2003年03月01日から03月31日日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
2003年3月31日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
拂底(フツテイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

拂底(フツテイ)。〔元亀本224七〕〔静嘉堂本257三〕〔天正十七年本中57ウ六〕

とあって、標記語「拂底」のを収載し、その読みを「フツテイ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

薄帋拂底之間所反故也〔至徳三年本〕

薄紙拂底之間所用反故也〔宝徳三年本〕

薄帋拂底之間所用反故也〔建部傳内本〕

薄紙(ハク―)拂底之際所反故(ホウコ)ヲ()ノ_-〔山田俊雄藏本〕

薄紙拂底之間所反故〔経覺筆本〕

薄紙(ハク―)拂底(フツテイ)之間所反故(ホウク)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「拂底」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「拂底」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

拂底(フツテイ/ハラウ、ソコ)[入・上] 。〔態藝門649七〕

とあって、標記語「拂底」の語を収載し、その読みを「フツテイ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

拂底(―テイ) 。〔・言語進退183一〕

拂底(フツテイ) 。〔・言語149八〕〔・言語139七〕

とあって、標記語「拂底」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

拂底(フツテイ) 。〔言辞152二〕

とあって、標記語「拂底」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「フツテイ」として、「拂底」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

406薄紙拂底之間所反故也 古文、又來書。別反故ニ|レル書也。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「拂底」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

拂底(フツテイ)ノ之間所反故(ホンコ)ヲ也更ラニス 拂底トハ。ソコヲハラフトヨムナリ。悉(コト/\)ク数(カス)ヲ尽(ツク)シハテタル事也。反故(ホンコ)トワホウグノ事也。餘所(ヨソ)ヨリ状ナンド來ルニハ。必返事(ヘンジ)ヲスル也。紙(カミ)若シ無クハ。反故(ホンゴ)ノ裏(ウラ)ニテモ用。サモ無ハ其文ヲウラガヘシテ可シ∨書。抑人ノ許ヨリ來ル文ニ返事せザル事不有。翌日(ヨクジツ)ニモ返事スベシ。翌日(ヨクジツ)トハ。明(アク)ル日ノ事ナリ。〔下十五ウ一〜三〕

とあって、この標記語「拂底」とし、語注記は「拂底とは、ソコヲハラフとよむなり。悉く数を尽しはてたる事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の際(あいだ)白紙拂底之際 花紙を薄帋(はくし)と書たる本もあり。何れにても聞ゆれとも下の反故といふに照合(てりあわ)すれハ花帋と書たる方を是(ぜ)とす。拂底ハそこをはらふと訓す。数をつくして給(たへ)たるを云也。〔54オ七〜八

とあって、標記語を「拂底」とし、語注記は「拂底は、そこをはらふと訓ず。数をつくして給たるを云ふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)に輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)る用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)て後(のち)(ハ)(いそ)ぎ持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参拂底ハ遣(つか)ひ尽(つく)して残なきをいふ。〔40ウ八〜41オ二〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)を(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)用物(ようもつ)の(こと)(まかせ)目録(もくろく)に(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)て(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)拂底ハ遣(つか)ひ尽(つく)して残(のこり)なきをいふ。〔72オ二・三〕

とあって、標記語「拂底」の語とし、語注記は、「拂底は、遣ひ尽して残りなきをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Futtei.フツテイ(拂底) Socouo faro<.(底を払ふ) すっかり使い果たす,あるいは,全く無くなる.例,Saqe,come nado futtei itaita.(酒,米など拂底致いた)酒,米などが無くなっている.〔邦訳286r〕

とあって、標記語「拂底」の語を収載し、意味を「すっかり使い果たす,あるいは,全く無くなる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ふッ-てい〔名〕【拂底】又、ほてい。底を拂ひて無きこと。物の甚だ乏しきこと。闕乏。易林本節用集(慶長)下、言辭門「拂底、フッテイ」庭訓往來、七月「薄紙依拂底、所反故也」宇津保物語、嵯峨院75「馳走せむと思ひ侍りつれど、かくのごとく(板本、とかくのこと)ほてい(拂底)に侍りつるほどに、云云」〔1764-5〕

とあって、標記語を「拂底」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ふっ-てい【拂底】〔名〕(底を払って無いの意)@(―する)物がすっかりなくなること。物をすっかりなくなすこと。また、物がはなはだしく欠乏すること。A(形動)ほとんどないさま。稀有(けう)なさま」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
隆職文書多以焼了、官中文書拂底歟。《『玉葉安元三年(1177)四月二九日》 
 
2003年3月30日(日)晴れ。東京(八王子)
大中臣(おほなかとみ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、標記語「大中臣」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

左衛門尉大中臣〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

大中臣(ヲホナカトミ) 。〔黒川本・姓氏中70ウ七〕

大中臣 。〔卷六・姓氏376三〕

とあって、標記語「大中臣」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「大中臣」の語を未収載にする。
 このように、上記の古辞書のなかで三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』に「大中臣」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

405進上宮内少輔殿 {司農尚書} 兵衛尉大中臣左衛門尉〔謙堂文庫藏四〇右I〕

とあって、標記語を「大中臣」とし、その語注記も未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

左衛門尉大中臣(ヲホナカトミ)進上 宮内(クナイ)ノ少輔(セウ)殿。〔下十五七〕

とあって、この標記語を「大中臣」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

左衛門(さへもん)の尉(ぜう)大中臣(おほなかとミ)左衛門尉大中臣。〔54オ五〕

とあって、標記語を「大中臣」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

左衛門(さゑもん)の尉(せう)大中臣(おほなかとミ)左衛門大中臣大中臣ハ天兒屋根命(あまつこやねのみこと)廿五代乃孫(そん)中臣清麻呂(なかとミきよまろ)右大臣(うだいじん)に任(にん)するとき初(はじめ)て大の字を加(くハ)へらると云々。清麻呂ハ人皇(にんわう)五十代桓武(くはんむ)天皇延暦(ゑんりやく)七年に薨(こう)ず。〔40ウ七〜八〕

左衛門(くない)の(せういふ)殿(どの)大中臣ハ天兒屋根命(あまつこやねのみこと)廿五代乃孫(そん)中臣清麻呂(なかとミきよまろ)右大臣(うだいじん)に任(にん)するとき初(はじめ)て大の字を加(くハ)へらると云々。清麻呂ハ人皇(にんわう)五十代桓武(くわんむ)天皇延暦(えんりやく)七年に薨(こう)ず。〔72ウ二〜三〕

とあって、標記語を「大中臣」とし、語注記は、「大中臣は、天兒屋根命廿五代の孫中臣清麻呂右大臣に任ずるとき初めて大の字を加へらると云々。清麻呂は、人皇五十代桓武天皇、延暦七年に薨ず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「大中臣」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「おほなかとみ〔名〕【大中臣】」の語を未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おおなかとみ【大中臣】〔名〕姓氏。本姓は中臣で、神護景雲三年(七六九)、中臣清麻呂は信任厚く、その功労によって、称徳天皇より大中臣(朝臣)を賜ったことにはじまる。清麻呂は、正二位右大臣にまでのぼっている。「大中臣」は、清麻呂およびその子孫のみが称することを許されたもので、以後、清麻呂の一流(二門)は、中臣氏の中で嫡流ともいうべき地位を得た。職掌としては、神祇の官人で、代々伊勢祭主を世襲した。江戸時代になって、藤波を家名とした」」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
又永江藏人大中臣頼隆、同初參是太神宮祠官後胤也訓み下し又永江ノ蔵人大中臣頼隆、同ク初参ス。是レ太神宮祠官ノ後胤ナリ。《『吾妻鏡』の寿永三年二月二十日条》 
 
2003年3月29日(土)晴れのち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
左衛門尉(サエモンのジョウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」と「勢」部に、

左衛門(――) 唐名/左金吾。〔元亀本274七〕 (セウ)(同)。〔元亀本358七〕

左衛門(――) 唐名/左金吾(―キンコ)〔静嘉堂本313八〕 (ぜウ)(同)。〔静嘉堂本436二〕

とあって、標記語「左衛門」と「」の二語に分けて収載し、その読みを「さえもん」と「ぜウ」とし、「左衛門」の語注記には、「唐名、左金吾」を記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

左衛門尉大中臣〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「左衛門尉」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』に、標記語を「左衛門尉」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

左衛門(サエモン) -―大夫。-―尉。-―佐。〔・官名210七〕〔・官名164七〕

左衛門(サヘモン) -―大夫。-―尉。-―佐。〔・官名175六〕

とあって、標記語「左衛門」とし、語注記群に「左衛門尉」を記載する。また、易林本節用集』には、

左衛門佐(―エモンノスケ) 金吾右-―尉(ぜウ)。-―督(カミ)。-―大夫。〔官位176四〕

とあって、標記語「左衛門佐」の語をもって収載し、語注記に「左衛門尉」を記載する。
 このように、上記当代の古辞書には「左衛門」と「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

405進上宮内少輔殿 {司農尚書} 兵衛尉大中臣左衛門尉〔謙堂文庫藏四〇右I〕

とあって、標記語を「兵衛」とし、その語注記も未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

左衛門尉大中臣(ヲホナカトミ)進上 宮内(クナイ)ノ少輔(セウ)殿。〔下十五七〕

とあって、この標記語を「左衛門尉」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

左衛門(さへもん)(ぜう)大中臣(おほなかとミ)左衛門尉大中臣。〔54オ五

とあって、標記語を「左衛門尉」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

左衛門(さゑもん)の尉(せう)大中臣(おほなかとミ)左衛門大中臣左衛門ハ正月の返状に見ゆ。〔40ウ四・六〕

左衛門(くない)の(せういふ)殿(どの)左衛門ハ正月の返状に見ゆ。〔72オ六〕

とあって、標記語を「左衛門尉」とし、語注記は、「左衛門の尉は、正月の返状に見ゆ」と記載する。この正月返状とは、正月六日状で「源左衛門尉」をいう。ただし、「左衛門尉」についての注記は未記載にある。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「左衛門尉」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ゑもん〔名〕【左衛門】ゑもんふ(衞門府)の條を見よ。

さゑもん-だいふ〔名〕【左衛門大夫】〔大夫は、五位の稱なり〕五位の左衛門尉の稱。相當は、六位なるが、特に、五位に叙せられたるに、規模として、稱するなり。職原抄、下、左右衛門府「大尉、相當、従六位上」枕草子、八、九十一段「大夫は、左衛門の大夫」「福島左衞門大夫正則」〔0869-5〕

とあって、標記語を「左衛門」「左衛門大夫」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「さえもん【左衛門】〔名〕」の小見出しに「さえもんの尉(じょう) 左衛門府の第三等の官。大尉・少尉各々二人あり、従六位下、正七位上相当」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
去十五日、本三位中將前左衛門尉、於四國、告勅定旨於前内府訓み下し去ヌル十五日ニ、本三位ノ中将前ノ左衛門ノ尉(前ノ左衛門ノ尉重国ヲ遣ハシテ)、四国ニ於テ、勅定ノ旨ヲ前ノ内府ニ告グ。《『吾妻鏡』の寿永三年二月二十日条》 
 
2003年3月28日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
宮内少輔(クナイのセウフ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

宮内卿(クナイキヤウ) 唐名/尚書。〔元亀本349六〕

宮内卿(――) 唐名司農/尚書。〔静嘉堂本222五〕〔天正十七年本中40ウ六〕

とあって、標記語「宮内卿」と収載し、標記語「少輔」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

進上宮内少輔殿〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「宮内少輔」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「宮内少輔」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

宮内省(クナイせイキウタイ、ミヤ,ウチ,カヘリミル)[平・去・去]。當唐工部卿相當正四位下唐名工部尚書大輔權相當正五位下唐名工部侍郎少輔權相當従五位下唐名同負外郎歟。丞大少唐名工部郎中録大少唐名工部主事〔官位門501七・八〕

とあって、標記語「宮内省」の語を収載し、その読みを「クナイセイ」とし、その語注記には、それぞれの役名と唐名を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

宮内(クナイ) ――大輔。――卿。――少輔以上唐名工部/一本云司農尚書也。〔・官名157八〕

宮内(クナイ) ――大輔。――卿/――少輔以上唐名司農尚書。〔・官名129四〕〔・官名118六〕〔・官位143七〕

とあって、標記語「宮内」の語を収載し、その語注記に「宮内少輔」の語を唐名と共に記載する。また、易林本節用集』には、

宮内卿(クナイキヤウ) 尚書。司農/大輔。少輔。〔官位128六〕

とあって、標記語「宮内卿」の語をもって収載し、語注記に「少輔」を記載する。
 このように、上記当代の古辞書に「宮内」または「宮内省」「宮内卿」とし、語注記に「少輔」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

405進上宮内少輔殿 {司農尚書} 兵衛尉大中臣往左衛門尉〔謙堂文庫藏四〇右I〕

とあって、標記語を「宮内少輔」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

左衛門尉大中臣(ヲホナカトミ)進上 宮内(クナイ)ノ少輔(セウ)殿。〔下十五七〕

とあって、この標記語を「宮内少輔」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

進上 宮内(くない)の少輔(しやうゆう)殿(との)進上 宮内少輔殿。〔54オ六

とあって、標記語を「宮内少輔」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

宮内(くない)の少輔(せうふ)殿(どの)宮内少輔殿宮内小輔ハ従(しう)五位下に相當(さうたう)す。唐名(からな)ハ工部(こうほう)侍郎(じらう)といふ。〔40ウ五・六〕

宮内(くない)の少輔(せうふ)殿(どの)宮内小輔ハ従(じゆう)五位下に相當(さうたう)す。唐名(からな)ハ工部(こうほう)侍郎(じらう)といふ。〔72オ六〕

とあって、標記語を「宮内少輔」とし、語注記は、「宮内の小輔は、従五位の下に相當す。唐名は、工部侍郎といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「宮内少輔」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くない-しゃう〔名〕【宮内省】みやのうちのつかさ。古へ、八省の一、宮中、大小の事務、及、調度、調物、等の事を掌る。今の省も、略、同じ。〔0536-4〕

せう-いう〔名〕【少輔】〔大輔より、混訛す〕せう(少輔)に同じ。〔1091-5〕

とあって、標記語を「宮内省」と「少輔」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「く-ない【宮内】〔名〕@皇居のうち。きゅうちゅう。みやのうち。A「くないしょう(宮内省)の略」」とあって、小見出し「くないの輔(すけ)令制で宮内省の二等官。大輔と少輔があった」と記載し、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
宮内少輔 陸奥太郎・遠江三郎・足利五郎・長井左衛門大夫《『吾妻鏡嘉禎三年四月二十二日の条》
宮内省 卿。大輔正/権少輔。丞大/小。録/省掌。《冷泉家時雨亭文庫蔵『簾中抄』99ウ六》
 
2003年3月27日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
七月七日(しちぐわつなのか)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「之」部に、

七月(――) 文月。七夕。晒文。書献。三星親月。此月諸墳墓故之夷則。孟秋。初秋。〔元亀本328二〕

七月(――) 文月。七夕。晒文。書献。二星故云。親月。此月諸人墳墓故云夷則。孟秋。初秋。〔静嘉堂本389四〕

とあって、標記語「七月」を収載し、語注記には「文月。七夕。晒文。書献。二星故云。親月。此月諸人墳墓故云夷則。孟秋。初秋」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

七月五日〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

七月 フツキ。〔黒川本・天象中101オ三〕()

七月 フツキ/律中夷則。〔卷第七・天象38五〕

とあって、十巻本に、標記語「七月」の語を収載し、訓みは「ふつき」とする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「七月七日」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

商聲(シヤウせイ)ハ(ツカサドル)‖西方(せイハウ)ノ之音(コヱ)ヲ|夷則(イソク)ハ(タ)リ‖七月(シチゲツ)ノ之律(リツ)|商傷(シヤウシヤウ)(ナリ)(モノ)(スデ)ニ(ヲイ)テハ而悲傷(ヒシヤウ)ス()ハ(リク)ナリ(モノ)(スギ)テハ∨(サカン)ナルニ而當(マサニ/ベシ)(サツ)ス 秋聲賦。〔態藝門968八〜969二〕

とあって、『秋聲賦』の句を引用しそのなかに「七月」の語を収載し、その訓みを「シチゲツ」とする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「七月七日」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

七月(シチ―) 初秋(ソシウ)。孟秋。夷則(イソク)。初商(シヨシヤウ)。早秋(サウ―)。文月(フミツキ)。〔數量211二・三〕

とあって、標記語「七月」の語をもって収載し、語注記には月の異名語を記載する。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「シチグワツ」として、「七月」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本が示すところの月の名である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

404七月七日 尚書暦曰七月七日禺中洗浴除罪禺中者巳時也。玄女五姓圖云、七月七日午時沐浴除四千罪大吉。仲尼、遊方問録云、昔高辛氏有子。七歳性嗜湯餅。以七月七日死故、其日作湯餅之。因此后人郊爲節也。金谷園記云、七月七日夜洒掃於庭露。施机莚甘菓酒、兼散香粉於庭上。以清河皷織女言、奕々白氣歳石反美皃也。光耀五色以爲徴。応見者便拜而願壽。子若有乞。唯得一、兼求不三及。得自古來往々皆有其験尺素曰、穀(チ)ノ索餅七夕風{味也}。〔謙堂文庫藏四〇右C〕

※七月七日―異名(スツキ)夷則(イソク)孟秋。〔国会図書館藏左貫注書込み〕

とあって、注釈書のなかで唯一意識的に標記語を「七月七日」と改編し、語注記をもってその記載関連資料をここに収載するものである。

 このなかで、『遊方問録』の引用文言については、静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來註』古冩頭注書込みに、「古説ニ古(イニシヘ)高辛氏ノ少女七月七日ニ死す。其霊常ニ麥餅ヲ食故其死日ニ當索麺ヲ用テ其霊ヲ祭。後人此日索麺ヲ食スレハ年中瘧病ナシト也。七夕祭ヲ乞巧奠トイフ」と記載する。※「高辛氏」―五帝ナリ。※「」―ホ/サケ。ここには、「湯餅」を「麥餅」とし、「湯餅」でなく「索麺」を食すことで瘧病を避けようという慣習を記述している。

 次に、『金谷園記』については、『河海抄』卷十五28に「金谷園記云、七月七日夜、洒掃於庭。露施机莚|、甘菓酒、兼散香粉於庭上、以謂河皷織女、言、此二星歓會夜也、俗人候之、或見天漢中|、奕々白氣歳石反美容也、光耀五色以爲徴應、見者便拜、而願乞冨、乞壽、乞子」〔528下十五「ほしあひみる人もなし」〕とあって、同じき内容をここに引用していることを確認する。ただし、下線部の箇所についてはこの書には見えない。

 次の一條禅閤兼良作『尺素徃来』〔寛文八年刊〕については、「穀(チ)ノ葉之上索餅(サクヘイ)者七夕(セキ)之風流(リウ)」〔下47オ二・三〕とするものである。

静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來註』古冩頭注書込みには、他に「七夕ニ織女嫁ル‖牽牛ニ|事、續年偕記ミヘタリ。又曰、牽牛娶リ‖織女ヲ|天帝借ス‖二万錢ヲ|。下シテ∨(ズ)∨ヘサ。被テ∨驅在リ‖宮室(ウチ)ニ|ト云云」△朗詠江云、日本ニハ清涼殿升壷ニテ、六人シテ〓(木+八)圖脚〓(人人人)供、灯九本立。鏡七孔錦五色ヨリ時迄祭也。針一本七孔アリ」といった頭注書込みを記載している。

 古版庭訓徃来註』では、

七月五日。〔下十五七〕

とあって、この標記語を「七月五日」とし、「七月七日」としていないことに留意したい。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)にも、

七月五日/七月五日。〔54オ五

とあって、標記語を「七月五日」としする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』にも、

七月(しちぐハつ)五日(いつか)七月五日。〔40ウ四〕

七月(しちぐわつ)五日(いつか)。〔72オ六〕

とあって、標記語を「七月五日」とする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xichiguat.シチグヮッ(七月) 〔陰暦の〕七月.→Futcuqi.〔邦訳761l〕

とあって、標記語「七月七日」の語を収載し、意味を「〔陰暦の〕七月」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しちぐ-〔名〕【七月】年の、第七に當る月。文月。ふづき。〔0901-5〕

なぬ-〔名〕【七日】〔七日(ななか)の轉か、七日(ななのか)の略轉か〕(一)なのか(七日)に同じ。萬葉集、十七46長歌「近くあらば、今二日だみ、遠くあらば、奈奴可の内は、過ぎめやも、來なむ、わがせこ、ねもごろに」(二)月の第七日目の稱。又特に正月、及、七月の七日をも云ふ。ななか。榮花物語、廿四、若枝「ついたちなぬかも過ぎぬれば」蜻蛉日記、上、上23「時は七月五日、云云、天の川、なぬかを契る、心あらば、星會(ほしあひ)ばかりの、影を見よとや」〔1464-3〕

とあって、標記語を「七月」と「七日」の二語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しち-がつ【七月】〔名〕@一年の第七番目の月。陰暦では秋。文月(ふみづき)。ふづき。しちがち。《季・夏(陰暦では秋)》A(陰暦七月十五日が盂蘭盆にあたるところから)盆の節供。B強盗をすること、また、強盗犯をいう、盗人仲間の隠語。C馬鹿者をいう、盗人・てきや仲間の隠語」と「なぬ-か【七日】〔名〕@日の数七つ。また、七日間。一週間。なのか。A暦の月の初めから七番目の日。また特に、正月七日、京の祇園祭の六月七日、七夕の七月七日など、特定の月の七番目の日のことを月を明示せずいう。なのか。《季・新年》Bある事があった日から数えて七番目の日。七日目。C小児が誕生して七日目。また、この日に行なわれた産養(うぶやしない)の祝い。しちや。D近世、一一月二二日から同二八日までの御講の期間。また、その期間の天候状態。御講日和(びより)。E女子の月経の期間。[補注]→「なのか(七日)」の補注」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
節日 正月一日。七日。十五日。三月三日。七月七日。九月九日。《冷泉家時雨亭叢書『簾中抄』129オ七》
 
2003年3月26日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
牛胸懸(うしのむなかい)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「無」部に、

胸懸(ムナガケ)。〔元亀本175九〕

胸懸(ムナカイ)。〔静嘉堂本196二〕〔天正十七年本中27ウ六〕

とあって、標記語「胸懸」のを収載し、その読みを「むながけ」と「むなかい」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(タウクヰヨウ) ムナカイ。馬―/現斑挙三字各用上字。 同/牛―。 同。 同。〔黒川本・雜物中44オ五・六〕

ムナカイ。後漢書云抜佩刀截/馬―。馬――是也。 已上同。 ムナカキ/牛―/車具也。〔卷第五・雜物119一〕

とあって、標記語「胸懸」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「胸懸」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

胸懸(ムナガケケウケン)[○・平] 鞍具也。或云鞅。〔態藝門461七〕

とあって、標記語「胸懸」の語を収載し、その読みを「むながけ」とし、その語注記は、「鞍具なり。或は鞅と云ふ」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

胸懸(ムナガケ) 鞍具。 同。〔・財宝117六〕〔・財宝130六〕

胸懸(ムナカゲ) 鞍具。 同。〔・財宝107五〕

とあって、標記語「胸懸」の語を収載し、その語注記は「鞍具」と記載する。また、易林本節用集』には、

(ムナガヒ) ―當(アテ)。―板(イタ)(ムナカヒ)。〔器財114六〕

とあって、標記語「」と「鞅」の語をもって収載し、語注記は「頸」と記載する。
 このように、上記当代の古辞書での訓みは「むながけ」「むながい」として、「胸懸」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

403房鞦胸懸等雖上品ニ|註文ニ|相違之樣申下恐々謹言 〔謙堂文庫藏四〇右@〕

とあって、標記語を「胸懸」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

房鞦(フサシリカヒ)胸懸(ムナカヒ)等雖トモ上品ニ|注文ニ|相違(イ)之樣 房鞦(フサシリカヒ)牛ノ胸懸ハ天性詞ニ出テ云ナリ。一切ノ事ヲ其縁ヲ以テ便トス。其謂ノ類ヲ以テ如此車牛ノ用歟。〔下十五オ四〜六〕

とあって、この標記語「胸懸」とし、語注記は「房鞦牛の胸懸は、天性詞に出でて云ふなり。一切の事を其縁を以って便とす。其れを謂ふの類を以って此の如き車牛の用いるか」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)胸懸 御車(ミくるま)を引する牛のむねに懸るかさりなり。右の衣冠(いくはん)其外の品々皆圖説(つせつ)にくわしけれハこゝに畧(りやく)す。〔54オ一

とあって、標記語を「胸懸」とし、語注記は「御車を引する牛のむねに懸けるかざりなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲牛胸懸ハ御車(ミくるま)を曳(ひか)する牛の胸(むね)に懸(かく)る飾(かさり)也。〔40ウ一〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲牛胸懸ハ御車(ミくるま)を曳(ひか)する牛の胸(むね)に懸(かく)る飾(かざり)也。〔72オ二・三〕

とあって、標記語「胸懸」の語とし、語注記は、「牛の胸懸は、御車を曳する牛の胸に懸くる飾りなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Munagai.ムナガイ(胸繋・鞅) 馬の胸繋(むながい).〔邦訳432r〕

とあって、標記語「胸懸」の語を収載し、意味を「馬の胸繋」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

むな-がい〔名〕【胸繋】むながき(鞅)の音便。其條を見よ。字類抄「當胸、ムナカイ、鞅、ムナカイ」易林本節用集(慶長)上、器財門「胸懸、ムナカヒ」平家物語一、殿上乘合事「御牛の胸懸(ムナガイ)、鞦(シリガヒ)切りはなち」()〔1972-2〕

むな-がき〔名〕【】〔胸絡(むなか)き、の義〕今、むながい。馬具の一。(乘車の牛にも云ふ)おしかけ(押掛)の條を見よ。倭名抄、十一4車具「鞅、無奈加岐、軛(くびき)下絆(マトフ)繩也」(牛に云ふ)同、十五1鞍馬具「當胸、無奈加岐」(馬に云ふ)。字類抄「當胸、ムナカイ、斑胸、同、鞅、ムナカイ」天治字鏡、十二29「〓(革+艸央)、、斑胸、牟奈加支」同、五7「垢、馬胸者也、牟奈加支」〔1972-2〕

とあって、標記語を「胸懸」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「むな-がい【胸懸】〔名〕(「むなかき(鞅)の変化した語」)鞦(しりがい)の一種。鞍橋(くらぼね)を固定するために馬の胸から鞍橋の前輪の四緒手(しおで)にかけて取り回す緒。鞦は胸懸と面懸とを合わせた総称。むながけ」、「むな-かき【胸懸】〔名〕「むながい(鞅)」に同じ」、「むな-がけ【胸懸】〔名〕「むながい(鞅)に同じ」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御車を疾く懸け破りてつかまつれ」と下知せられけれども、牛の胸懸切られて、首木も折れ、牛童どもも散り散りに成り行き、供奉の卿相雲客も、皆打ち落されて、御車に当たる矢をだに防き参らする人も無し。《『太平記巻第二十三・土岐頼遠御幸に参り合ひ狼藉致す事》 
 
2003年3月25日(火)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 卒業式
房鞦(ふさしりがい)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「婦」部に、

総鞦(フサシリガイ)。〔元亀本224五〕〔静嘉堂本257二〕

総鞦(フサノシリカイ)。〔天正十七年本中58オ一〕

とあって、標記語「総鞦」の語を収載し、その読みを「ふさしりがい」と「ふさのしりかい」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「房鞦」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「房鞦」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

房鞦(フサシリガイバウシユウ・ネヤ,―)[平・平] 鞍具。〔器財門622八〕

とあって、標記語「房鞦」の語を収載し、訓みを「ふさしりがい」とし、その語注記は、「鞍具」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

房鞦(フサシリカイ) 馬具。〔・財宝180六〕〔・財宝148五〕〔・財宝138六〕

とあって、標記語「房鞦」の語を収載し、訓みを「ふさしりかい」とし、その語注記は「馬具」と記載する。また、易林本節用集』には、標記語「房鞦」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書として、広本節用集』及び印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に訓みを「ふさしりがい」として、「房鞦」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語となっている。ここで、『運歩色葉集』は、なぜか標記語を「総鞦」としていて共通しないのである。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

403房鞦胸懸等雖上品ニ|註文ニ|相違之樣申下恐々謹言 〔謙堂文庫藏四〇右@〕

とあって、標記語を「房鞦」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

房鞦(フサシリカヒ)胸懸(ムナカヒ)等雖トモ上品ニ|注文ニ|相違(イ)之樣 房鞦(フサシリカヒ)牛ノ胸懸ハ天性詞ニ出テ云ナリ。一切ノ事ヲ其縁ヲ以テ便トス。其謂ノ類ヲ以テ如此車牛ノ用歟。〔下十五オ四〜六〕

とあって、この標記語「房鞦」とし、語注記は「房鞦牛の胸懸は、天性詞に出でて云ふなり。一切の事を其縁を以って便とす。其れを謂ふの類を以って此の如き車牛の用いるか」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ふさ)の鞦(しりがい) 大ふさをさけかざりたる鞦也。鞦の注前にあり。〔54オ一

とあって、標記語を「房鞦」とし、語注記は「大ふさをさげかざりたる鞦なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲房鞦ハ大総(ふさ)を下(さ)げ飾りたる也。鞦ハ六月の返状に注す。〔40ウ一〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲房鞦ハ大総(おほふさ)を下(さ)げ飾(かざ)りたる也。鞦ハ六月の返状に注す。〔71ウ五・六〕

とあって、標記語「房鞦」の語とし、語注記は、「房鞦は、大総を下げ飾りたるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fusa xirigai.フサシリガイ(房鞦) 馬の鞦(しりがい)の総(ふさ).ただし,この二語が連ねて用いられることはあまりなくて,その各語がそれぞれ単独に用いられる.〔邦訳285l〕

とあって、標記語「房鞦」の語を収載し、意味を「馬の鞦(しりがい)の総(ふさ)」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ふさ-しりがい〔名〕【房鞦】古くは連着(れんぢやく)の鞦。それに絲の總を着けたるもの。其總の厚く大きく長きを厚總(あつぶさ)、又は、大總(おほぶさ)と云ひ、紫なるを最上とし、(小總(こぶさ)もありり)、馬の三頭(さんづ)の上(辻(つじ)と云ふ)につくるを辻總(つじぶさ)と云ふ。天皇の御料は、悉皆紫染、其他は緋染(五位以上)、又、紫裾濃等、種種の色あり。相國寺供養記「次衞府長、騎馬總鞦」禮服記「鞦鞅有連着」注「俗云六總」源平盛衰記、廿一、小坪合戰事「泥葦毛の馬に、云云、燃立ばかりの厚總の鞦かけ」小右記、長和三年五月十六日「親王公卿走馬、云云、或懸連着鞦(大納言齋信)、或小總、辻總」太平記、十、長崎次郎高重最後合戰事「板東一の名馬に、金貝の鞍に、小總の鞦かけてぞ乘りたりける」吉部秘訓抄、仁安四年三月十三日、高野御幸、左衛門權佐經房「沃懸地鞍、辻總鞦」馬寮式「御鞦、云云、紫絲、云云」玉葉、治承二年十月三十日「春日祭使、良通、紫末濃鞦」〔1743-5〕

とあって、標記語を「房鞦」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ふさしりがい-【総鞦】〔名〕鞦の一種。大総、厚総を下げて飾りとした鞦」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
行列先陣隨兵十二騎、懸総鞦訓み下し》行列先陣ノ随兵十二騎、総鞦(フサシリガヒ)ヲ懸ク。《『吾妻鏡正嘉二年三月一日の条》 
 
ことばの溜池「えびら【箙】」(2002.10.30)「やなぐい【胡籬】」(2002.10.31)「おほほしのむかばき【大星行縢】」(2000.12.02) 大星行縢(―ホシノムカバキ)ハ鹿(シカ)ノ夏毛(ナツゲ)ナンドノ皮(カワ)也。又秋ノ皮ニモ有ナリ。凡(ヲヨソ)行騰(ムカバキ)ノ始(ハジ)マル事天竺太羅(タイラ)國ト云國ニ波斯匿(ハシノク)王ト申王御座(マシマ)ス。或(アル)時麗(ウルハ)シク吉(ヨ)キ女房(バウ)餘所(ヨソ)ヨリ來(キタ)レリ。帝王近付(チカツキ)給テ。久ク后(キサキ)ノ思ヒヲ成シ給フ。彼后懐胎(タイ)シ給ヒテ。頓(ヤカ)テ御産(ギヨサン)ノ紐(ヒボ)ヲトキ玉フ取リ上ゲ見奉ハ。艶(ウルハ)シキ王子ニテ渡ラせ玉フ。御門(ミカド)名残(ナコリ)ヲ惜(ヲシ)ミ玉ヒテ暇(イトマ)ヲ出シ給ハザリシカバ。后(キサキ)ノ玉ハク。我ハ北■ノ傍(カタハラ)ニ黒鹿山(コクロクセン)ト云山アリ。其主鹿ノ王ナリ。吾人間ニタヨリ。佛性ヲ得ンガ爲ニ大王ニ契(チギリ)ヲコメ奉ルナリ。我本望(ホンマウ)是マデナリ。一人ノ王子出來サせ玉ヘハ。身ノ幸(サイ)ヒ是ニ過(スギ)ジト思ヒ侍(ハンベ)レバ。暇(イト)マ申トテ掻消(カキケス)様ニ失(ウせ)ニケリ。此王子長(ヲトナシ)ク成(ナラ)せ玉フニ隨(シタガツ)テ諸藝(ゲイ)(スグ)レ玉フ。弓馬ノ道殊(コト)ニ達シ玉ヘリ。此王子ノ左ノ足(アシ)。ヒタスラ斑(マダラ)ナリ。單カラ鹿ノ毛ヲ見ル如シ。是併ラ鹿(シカ)ノ腹(ハラ)ニ宿(ヤド)ラせタマフ御験(シルシ)也。サテコソ斑足(ハンソク)王トハ。名付ケレ。此足見苦(ミクル)シヽトテ。袴(ハカマ)ト云事始マル。又馬ナンドニ駕(ノリ)給ニハ彼行騰(ムカバキ)ト云事ヲ仕出シ召(メ)ス也。此時ヨリヲコレリ」〔古版庭訓徃来註』下14ウ六〜下15オ四〕大星(おほぼし)の行縢(むかばき)大星行縢。大星ハ毛の紋なり。行騰ハ頼朝(よりとも)の時よりはしまる。鹿(しか)の皮を以てつくり馬上(ばしやう)夜行(やげう)にはした露を通さぬ為なり。今遊猟(ゆうれう)の皮とす。うらハ繻子(しゆす)緞子(どんす)染物なとにてする也。緒(を)ハ菖蒲革(せふぶかわ)黒革等にて作る。〔庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)53ウ七八〕▲大星行縢是ハ馬上(ばじやう)遊猟(ゆうれう)夜行(やきやう)に膝(ひさ)を蔽(おほ)ふて雨露(あめつゆ)を防(ふせ)ぐの具(ぐ)。爰(こゝ)に大星とあるハ鹿の皮(かハ)にて作(つく)りたるを指(さ)して毛色(けいろ)の白星(しろほし)をいへる也。裏(うら)ハ繻子(しゆす)緞子(どんす)(あや)染物等。緒(を)は菖蒲皮(しやうふがハ)を用ゆ。黒革(くろかハ)ハ略様(りやくやう)とぞ。〔頭書訓読庭訓徃來精注鈔』40オ七〜ウ一〕を参照。
 
2003年3月24日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
腰刀(こしかたな)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

腰刀(―ガタナ)。〔元亀本232十〕

腰刀(コシカタナ)。〔静嘉堂本267七〕

腰刀(―カタナ)。〔天正十七年本中62ウ六〕

とあって、標記語「腰刀」の語を収載し、その読みを「こしかたな」と「(こし)がたな」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。ここで、至徳三年本はこの語を欠いている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「腰刀」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「腰刀」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

腰刀(コシガタナヨフタウ)[平・平]。〔態藝門663六〕

とあって、標記語「腰刀」の語を収載し、その読みを「こしがたな」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「腰刀」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

腰當(コシアテ) ―物(モノ)。―刀(カタナ)。―挟(バサミ)。―鼓(ツヽミ)。〔器財157六〕

とあって、標記語「腰當」の語の冠頭字「腰」の熟語群に「腰刀」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書中、『運歩色葉集広本節用集易林本節用集』に「腰刀」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

402大口大帷太刀長刀腰刀箙胡大星行縢(ムカバキ) 鹿皮也。〔謙堂文庫藏三九左I〕

とあって、標記語を「腰刀」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

烏帽子(エホシ)直垂(ヒタタレ)大口大帷子(カタヒラ)太刀(タチ)長刀(ナキナタ)腰刀(コシガタナ)(ヱビラ)(ヤナグイ) 皆公家ノ衣裳(イシヤウ)ナリ。〔下十四ウ五・六〕

とあって、この標記語「腰刀」とし、語注記は「皆公家の衣裳なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)太刀長刀腰刀 装束(しやうぞく)の上にさす刀也。又九寸五分のよろひ返しとも云。〔53ウ五・六

とあって、標記語を「腰刀」とし、語注記は「装束の上にさす刀なり。また、九寸五分のよろひ返しとも云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲腰刀ハ短刀(たんとう)也。刺刀(よろひどほし)なとをいふ。〔40オ七〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲腰刀ハ短刀(たんとう)也。刺刀(よろひどほし)などをいふ。〔71ウ五・六〕

とあって、標記語「腰刀」の語とし、語注記は、「腰刀は、短刀なり。刺刀などをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Coxigatana.コシカタナ(腰刀) 腰にさして携える刀(Catana).〔邦訳156r〕

とあって、標記語「腰刀」の語を収載し、意味を「腰にさして携える刀」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

こし-がたな〔名〕【腰刀】〔自ら腰に刺し居る稱、太刀は、供人に持たす〕短刀の名。又腰指(こしざし)。鞘卷に同じ。刀劔問答「腰刀、云云、鞘卷の事なり、常に腰を離さぬ刀なる故、腰刀と云ふ」古事談、四、勇士「九寸ばかりなる腰刀」源平盛衰記、一、五節夜闇討事「殿上人たる者、腰刀を差しあらはす條、傍若無人の振舞也」(前後に、K鞘卷とあり)長門本平家物語、八、宮被討御事「腰刀を抜き、云云、腹掻くき切り」〔0679-2〕

とあって、標記語「腰刀」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こし-がたな【腰刀】〔名〕腰にさす、つばのない短い刀。栗形に折金をつけ、副子(そえご)として笄(こうがい)や小柄をつけることが多い。赤木柄、鞘巻(さやまき)など各種ある」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
心中祈念諏方將神、取腰刀切甲之上帯小具足、良久僅浮出淺瀬訓み下し心中ニ諏方ノ将神ニ祈念シテ、(コシ)ノ刀(カタナ)ヲ取リテ甲ノ上帯小具足ヲ切リ、良久シウシテ僅ニ浅瀬ニ浮カミ出ヅ。《『吾妻鏡承久三年六月十四日の条》 
 
2003年3月23日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
大口・大帷(おほくち・おほかたびら)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部と「賀」部に、

大口(―クチ)。〔元亀本78二〕 帷子(カタヒラ) 左傳九―(カタヒラ)(ハツテ)而哭/同十七以―傳フ‖ニ|。〔元亀本349六〕

大口(ヲウクチ)。〔静嘉堂本95五〕 帷子(カタヒラ) 左傳九―(カタヒラ)(ハウテ)而哭同十七以―/傳其書。〔静嘉堂本420七〕

大口(ヲウクチ)。〔天正十七年本上47ウ二〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「大口」と「帷子」の二語に分けて収載し、その読みを「(オホ)クチ{オウクチ}」と「カタヒラ」とし、語注記は「帷子」の語に「『春秋左傳』九、帷子(カタヒラ)(ハウ)て哭し、同じく十七帷子以って其の妻{書}を傳ふ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。至徳三年本は、「大口帷」として一語扱いにしている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

大口 ヲホクチノハカマ表袴 。〔黒川本・雜物中66ウ一〕

大口 ヲホクチノハカマ 已上同 ヲホクチ/衣前襟也。 。〔卷第六・雜物316五・六〕

(ヰ) カタヒラ 明衣 。〔黒川本・雜物上80オ四〕

カタヒラ 見由部/殿上侍臣不着―――。 已上同。〔卷第三・雜物209六〜210一〕

とあって、標記語「大口」「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(カタヒラ) 。〔絹布門98五〕

とあって、標記語を「」の語を収載する。次に広本節用集』には、

大口(ヲホクチタイコウ)[去・上] 袴類。大帷(ヲホカタビラタイイ)[去・平] 。〔絹布門214二〕

帷子(カタビライシ・タレヌノ,コ)[平・上] 。〔絹布門267五〕

とあって、標記語「大口」と「大帷」の二語を併記収載し、その読みを「をほくち」「をほかたびら」とし、その語注記は、「大口」の語に「袴類」と記載する。また、「帷子」の語も収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

大口(ヲウクチ) 類。〔・財宝64六〕

大口(ヲヽクチ) 。〔・財宝65七〕〔・財宝60二〕〔・財寳70五〕

帷子(カタビラ)。〔・衣服83七〕

帷子(カタヒラ/タレヌノ)。〔・財宝80七〕

(カタビラ/ヌレヌノ)。〔・財宝73四〕

帷子(カタヒラ)。〔・財宝87七〕

とあって、標記語「大口」「帷子」の語を収載し、その語注記は、弘治二年本の「大口」語に「袴の類」と記載する。また、易林本節用集』には、

(カタヒラ)(同)。〔食服75四〕

とあって、標記語「」「」の二語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「おおくち」と「かたひら」として、収載する傾向が見られるなか、広本節用集』には「大口」「大帷」の語が収載され、それは古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語の表記形態であることに注目したい。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

402大口大帷太刀長刀腰刀箙胡大星行縢(ムカバキ) 鹿皮也。〔謙堂文庫藏三九左I〕

とあって、標記語を「大口」「大帷」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

烏帽子(エホシ)直垂(ヒタタレ)大口大帷子(カタヒラ)太刀(タチ)長刀(ナキナタ)腰刀(コシガタナ)(ヱビラ)(ヤナグイ) 皆公家ノ衣裳(イシヤウ)ナリ。〔下十四ウ五・六〕

とあって、この標記語「大口」「大帷子」とし、語注記は「皆公家の衣裳なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

大口(おほくち)大口 はかまに似たる物なり。〔53ウ五

大帷子(おほかたひら)大帷子 大口の上に着る物也。〔53ウ五

とあって、標記語を「大口」と「大帷子」とにし、語注記は「はかまに似たる物なり」と「大口の上に着る物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲大口ハ唐土(もろこし)(ぎ)の文帝(ぶんてい)より始るとぞ。白張(しらはり)にて作る。今能(のう)の袴に用るもの是也。▲大帷子ハ官家(くはんけ)の下着(したき)所謂(いはゆる)(あせ)とり也。〔40オ六・七〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲大口ハ唐土(もろこし)(ぎ)の文帝(ぶんてい)より始るとぞ。白張(しらはり)にて作る。今能(のう)の袴に用るもの是也。▲大帷子ハ官家(くわんけ)の下着(したぎ)所謂(いはゆる)(あせ)とり也。〔71ウ五・六〕

とあって、標記語「大口」と「大帷子」の二語にし、語注記は、「大口は、唐土魏の文帝より始るとぞ。白張にて作る。今能の袴に用るもの是なり」と「大帷子は、官家の下着、所謂汗とりなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vo>cuchi.ヲゥクチ(大口) 演劇〔能〕に用いる袴で,口が広くて引きずるように長いもの.※原文はCalcoes.〔Facamaの注〕→Saxifasami,u.〔邦訳701l〕

Catabira.カタビラ(帷子) 夏着るひとえの着物で,中央部が開いているもの.→Catamayedare;Couari〜Fada〜;Minogoi;Tacamiya;Yu〜.〔邦訳105r〕

とあって、標記語「大口」「帷子」の二語を収載し、意味を「演劇〔能〕に用いる袴で,口が広くて引きずるように長いもの」と「夏着るひとえの着物で,中央部が開いているもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

おほ-くち〔名〕【大口】(一)大いに口を開くこと。宇治拾遺物語、二、第三條「此磐()を見るに、まことに、龍の大口をあきたるに似たり」(二){次次條の語の略。〔0312-4〕

おほ-かたびら〔名〕【大帷子】布にて製し、装束の下に着る、短き服。古へは汗取りとして、夏のみ用ゐしが、後世は夏冬とも用ゐる。色は夏秋は紅、冬春は白、老人は香染を用ゐたり。〔0311-5〕

とあって、標記語を「大口」と「大帷子」との二語にして収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おおくち-【大口帷】〔名〕[二](「おおくちばかま(大口袴)」の略)裾の口が広い袴を云。大口の袴。@下袴の一種。束帯の時に表袴(うえのはかま)の下のはきものとして用いる。平絹(へいけん)・精好(せいごう)の類で仕立てて、赤染めを普通とするが、老人は白のままとした。赤大口。赤袴。A下袴の一種。指貫(さしぬき)や直垂(ひたたれ)の袴の下にはく。前面を精好、後面を大精好(おおせいごう)で仕立てて、後腰(うしろごし)を張らせて着用する。込大口(こみおおくち)。後張(うしろばり)の大口。風流(ふりゅう)の時は上の袴を省略して用い、能装束の着用にその様式を伝えている。B童形装束で半尻(はんじり)所用の時にはく袴。前面を大精好、後面を精好で仕立てる。前張(さいばり)の大口。前張。C能装束の一つ。後部を左右に強く張った袴。生絹でつくる。生地の色で、白大口、緋大口、緋以外の色を地とする色大口、模様大口などに分けられ、大臣・僧・武将・女など、それぞれの役柄によって使い分けをする。D歌舞伎の衣裳の一つ。能装束からとった袴。能の形式を模した松羽目物(まつばめもの)に多く用いられる」と標記語「おお-かたびら【大帷子】〔名〕@装束の下に着る布製の衣。単衣(ひとえ)より小さく短い。もと汗取りとして夏だけ用いたが、後世は春冬は白、夏秋は紅、老人は香染を用いた。また、単衣・下襲の襟(えり)をつけ、袖に単衣の袖だけつけて用いることがある。A武家で糊をこわくつけた白布で仕立て、単衣の直垂(ひたたれ)の下に重ねて着たもの」とあって、いずれも『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御衣白御單二重、織物御奴袴、濃下袴、御直垂十具、〈織物村濃布五具〉御小袖十具、御大口一、唐織物御衣一領、御明衣一、今木一訓み下し》御衣白キ御単二重、織物ノ御奴袴、濃ノ下袴、御直垂十具、〈織物ノ村濃ノ布五具〉御小袖十具、御大口一ツ、唐織物ノ御衣一領、御明衣一ツ、今木一ツ。《『吾妻鏡建長四年四月一日の条》
其所、立衣枷被懸御服半尻狩御衣浮泉綾御水干袴、〈地白青格子、〉色々御小袖十具、御帷子等也訓み下し其ノ所ニ、衣枷ヲ立テ、御服半(衣架)尻狩ノ御衣〈浮泉綾、〉御水干袴、〈地白ノ青格子、〉色色ノ御小袖十具、御帷子(カタヒラ)等ヲ懸ケラルルナリ。《『吾妻鏡建長八年八月二十三日の条》
 
2003年3月22日(土)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
直垂(ひたたれ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、標記語「直垂」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

直垂 ヒタヽレ。〔黒川本・雜物下90ウ七〕

直垂 ヒタヽレ。〔卷第十・雜物345二〕

とあって、標記語「直垂」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

直垂(ヒタヽレ) 。〔絹布97二〕

とあって、標記語「直垂」の語を収載する。次に広本節用集』には、

直垂(ヒタヽレチヨクスイ,ナヲシ)[入・○] 或作單垂(ヒタヽレ)。〔絹布門1034七〕

とあって、標記語「直垂」の語を収載し、その読みを「ヒタヽレ」とし、その語注記は、「或作○○」形式で「單垂」といった別表記字を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

直垂(ヒタヽレ)單垂()。〔・衣服254三〕

直垂(ヒタヽレ) 單垂(ヒタヽレ)。〔・財宝217六〕

直垂(ヒタヽレ) 又單垂。〔・財宝203二〕

とあって、標記語「直垂」と「單垂」の二語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

直垂(ヒタヽレ) 。〔食服224六〕

とあって、標記語「直垂」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「ひたたれ」として、「直垂」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。また、下記に記載する真字注の語注記の引用はどの古辞書にも未記載にある。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

401狩衣烏帽子直垂 草(ウカヤ)不葺合尊尾篭之義本也。〔謙堂文庫藏三九左H〕※直垂―王常住メシモノナリ。〔天理図書館藏『庭訓往来註』書込み〕、※鵜緊屮(ウカヤ)不葺合尊。〔国会図書館藏左貫注の注記〕 

☆この訓みは、『塵添嚢鈔』に依れば、「ウカヤフキアハセスノミコト」という。『嚢鈔』第四の六十一・尾籠事に、「是本朝云始セリ。慥ナル記録見侍ネ共或説應神天皇海神ノ御末ナル故龍尾御座シテ是ヲ隠サン為装束裾(キヨ)ト云者作リ始テ是ヲ引彼隠給ケル也。然出御時内侍未裾ノ内知障子籠奉ケリ。其時尾籠也ナルヨリ始レル詞也トナン予是ヲ思ヒニ其義然共装束裾是ヨリ始マリ龍尾此君ノミマシマス事難信用侍ヘリ。其故此御世唐通(シニトウ)シテ經書装束唐朝ヨリ」を参照。

とあって、標記語を「直垂」とし、その語注記は、「草不葺合尊の尾篭の義を本とすなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

烏帽子(エホシ)直垂(ヒタタレ)大口大帷子(カタヒラ)太刀(タチ)長刀(ナキナタ)腰刀(コシガタナ)(ヱビラ)(ヤナグイ) 皆公家ノ衣裳(イシヤウ)ナリ。〔下十四ウ五・六〕

とあって、この標記語「直垂」とし、語注記は「皆公家の衣裳なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)烏帽子直垂大口 はかまに似たる物なり。〔53ウ四・五

とあって、標記語を「直垂」とし、語注記は「はかまに似たる物なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲直垂ハ其形(かたち)長絹(ちやうけん)に似(に)て菊綴(きくとち)なし。練絹を以て作(つく)る。胸緒(むなを)ハ打紐(うちひも)也。又布(ぬの)直垂は大なる紋(もん)を付る。依(よつ)て俗(ぞく)に大紋(だいもん)といふ。諸大夫(しよだいふ)これを着(ちやく)す。〔40オ六〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲直垂ハ其形(かたち)長絹(ちやうけん)に似(に)て菊綴(きくとち)なし。練絹(ねりきぬ)を以て作(つく)る。胸緒(むなを)ハ打紐(うちひも)也。又布(ぬの)直垂ハ大なる紋(もん)を付る。依(よつ)て俗(ぞく)に大紋(だいもん)といふ。諸大夫(しよだいぶ)これを着(ちやく)す。〔70ウ五〕

とあって、標記語「直垂」の語注記は、「直垂は、其形長絹に似て菊綴なし。練絹を以て作る。胸緒は、打紐なり。また、布直垂は、大なる紋を付る。依て俗に大紋といふ。諸大夫これを着す」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fitatare.ヒタヽレ(直垂) 公家(Cugues)が着用したり,武士が鎧の上に着たりする或る着物. ※原文にはpor cima das armasとあるが,“鎧の下に”の誤りであろう.→Nauoxi.〔邦訳245l〕

とあって、標記語「直垂」の語を収載し、意味を「公家(Cugues)が着用したり,武士が鎧の上に着たりする或る着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひた-たれ〔名〕【直垂】〔もと、宿直の時、直衣(とのゐぎぬ)の上に着たるものと云ふ。上に直(ひた)と垂るる意の名なるべし。身の前後共に短く、帶なく、袴に着込み、武士の專用となれるも、宿衞に必ず着たるに起これるなるべし〕(一)古へ、庶人の服。後に禮服となる。紗、生絹(すずし)、精好(せいがう)、等にて作り、方領にて、紋無し。袖括りあり、胸紐、菊綴、皆、組緒なり。裾は袴の内に入り、袴は踝(くるぶし)に至る。後世は、長袴をも用ゐる。地、色、文は、衣、袴、共に同じ。又、鎧直垂(よろひひたたれ)、布(ぬの)直垂あり。各條に註す。四季草、秋草(伊勢貞丈)「古は官位なき侍も、式正の時は、素襖を脱ぎて直垂を着しけるなり、云云、御當家(徳川氏)に至りて、武家の禮服の階級を改めたまひて、四位の侍從已上は、精好の直垂、四品は狩衣、諸大夫は布直垂(大紋)、重き役人は布衣、其外は素襖と、御制法を立てられ、云云」和泉式部集「紫のおりものの直垂をきたりける」忠見集「ある人の直垂えさせんとあるが、うらをなん失ひたると申す」古今著聞集、五、和歌「おとど感じ給ひて、萩織りたる御ひたたれ、押し出して給はせけり」平治物語、二、信頼降參事「齢七十計なる入道の、柿の直垂に、文書袋くびに掛けたるが」源平盛衰記、三十四、知康藝能事「先づ鼓を取て、始には居ながら打けるが、後には跪き、直垂を肩脱ぎて、云云」太平記、四十、中殿御會事「佐佐木佐渡四郎左衛門尉時秀、地白の直垂、云云、小串次郎左衛門尉詮行、地K(ぐろ)直垂に銀箔にて二雁を押し、云云、大内修理亮、地香の直垂、云云、本間左衛門太郎義景、地白紫の片身がはりの直垂、云云、征夷大將軍正二位大納言源朝臣義詮卿、薄色の立紋の織物の指貫に、紅の打衣を出し、常の直垂也」(二)次條の語の略。台記、別記「賜比多多禮、仰云、路頭定有寒氣、以之禦寒」兵範記、保元三年二月五日「男女相伴被帳中、下官覆衾、(原注、直垂也)」今昔物語集、廿六、第十七語「入て寢んとするに、そこに綿四五寸ばかりあるひたたれあり、云云、練色の衣三が上に、此ひたたれ引着て臥したりける」玉海、文治六年正月十一日「御入内、北方臥御、其上先着紅御直垂、其上奉御衾〔1668-5〜1669-1〕

とあって、標記語を「直垂」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ひた-たれ【直垂】〔名〕@方領(ほうりょう)・闕腋(けってき)の肩衣(かたぎぬ)に袖をつけた衣服。袴と合わせて着用する。元来は庶民の労働着であったものが、平安末期から武士の日常着となり、水干にならって鰭袖(はたそで)。袖括(そでぐくり)・菊綴(きくとじ)が加えられ、鎌倉時代には幕府出仕の公服となり、室町時代には公家も私服とした。また、江戸時代には風折烏帽子をかぶり、袴を長袴として礼服となり、式日の所用とされた。A「ひたたれぶすま(直垂衾)」の略。B鎧直垂のこと」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
爰只今夢想、著梶葉文直垂、駕葦毛馬之勇士、一騎、西揚鞭畢《訓み下し》爰ニ只今夢想ニ、梶ノ葉ノ文ノ直垂(ヒタヽレ)ヲ著シ、葦毛ノ馬ニ駕シタル勇士、一騎、西ノカタニ鞭ヲ揚ゲ畢ンヌ(源氏ノ方人ヲ称シ西ヲ指シ鞭ヲ揚ゲ畢ンヌ)。《『吾妻鏡治承四年九月十日の条》 
 
ことばの溜池狩衣(かりぎぬ)」(2000.09.06)狩衣ハ紋有定(さだめ)なし。形(かたち)布衣(ほい)に似(に)たり。公卿(くきやう)鷹狩(たかがり)などに必着用(ちやくよう)す〔頭書訓読庭訓徃來精注鈔』40オ四・五〕。烏帽子(えぼし)」(2001.08.27)烏帽子ハ人皇(にんわう)四十代天武(てんふ)天皇の御宇(ぎよう)に始るとかや。其制(せい)数品(すひん)あり。皆(ミな)(かミ)にて張(は)る。K漆(くろうるし)を以て塗(ぬ)る〔頭書訓読庭訓徃來精注鈔』40オ五〕。を参照。
2003年3月21日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
水干(スイカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

水干(―ガン)。〔元亀本359四〕

水干(―カン)。〔静嘉堂本437三〕

とあって、標記語「水干」の語を収載し、その読みを「(スイ)ガン」と「(スイ)カン」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。「スイカン」の表記を「水旱」とするのが大半だが、宝徳三年本と建部傳内本は、「水干」と表記する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

水干 スイカン。〔黒川本・雜物下110オ一〕 水旱不損。〔黒川本・疉字下113ウ五〕

水干 スイカン。〔卷第十・雜物501六〕

水天 〃陸。〃驛。〃〓(火+雲)。〃。〃檻。〃泉。〃區。〃府。〃石。〃精。〃風。〃窓。〃蓼。〃波。〃手。〃干。〃銀。〃牛。〃雲。〃楊。〃閣。〔卷第十・重點528二〕

とあって、標記語「水干」の語を収載する。そして、「水旱」は別の意味と見ている。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「水干」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

水干(スイカン/ミヅ,モトム・ホス)[上・平] 上衣也。常住衣裳。天下旱時為雨著此服〔絹布門1147七・八〕

(ザル)トキハ(ハウ)トせ(ハフ)(スイカン)(ハツ)ス々々發(ハツ)スル(トキ)ハ万民(バンミン)(ヤマイ)ス 六韜。〔態藝門65一〕

とあって、標記語「水干」の語を収載し、その読みを「スイカン」とし、その語注記は、「上衣なり。常住の衣裳にあらず。天下旱時に雨る祈りをなすに此の服を著す」と記載する。この語注記は、下記に記す真字本の注記に等しい。ここに広本節用集』と真字本註の連関性が認められるのである。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

水干(―カン) 舞衣。〔・衣服270二〕

水干(スイカン) 。〔・財宝231五〕〔・財宝217三〕

とあって、標記語「水干」の語を収載し、語注記は、弘治二年本に「舞衣」と記載する。また、易林本節用集』には、標記語「水干」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「スイカン」として、「水干」の語が収載され、なかでも広本節用集』の語注記は下記真字本に最も近い内容であることからして、その連関性をここに認めておきたい。ただし、標記語を「水旱」から「水干」と改めていることは広本節用集』編者の高い見識に基づくものと考えている。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

400冠(カンムリ)表衣(ウ−キ/−ウハヘ)ノ水旱 常住衣裳-下旱ルノ時為祈此服着也。〔謙堂文庫藏三九左H〕

※水旱―東坡句云遠人カ罹ル水旱王命解■■。〔国会図書館藏左貫注書込み〕

とあって、標記語を「水旱」とし、その語注記は、「常住の衣裳にあらず、天下旱るの時祈りを為す、此の服を着なり」と記載する。ここで、元来「スイカン」が旱りの祈祷の際に着用されたものであることからというその由来が記載されていることに注意しておきたい。

 古版庭訓徃来註』では、

水干(スイカン) ハ打懸(ウチカケ)テ著(キ)ル衣也。〔下十四オ八〕

とあって、この標記語「水干」とし、語注記は「打懸けて著る衣なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

水旱(すいかん)水旱 うちかけて上に着る衣(ころも)なり。〔53ウ三

とあって、標記語を「水干」とし、語注記は「うちかけて上に着る衣なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲水干ハ紗平絹(しやへいけん)等にて制(せい)す。絹直垂(きぬひたゝれ)の如くにして胸紐(むなひも)露紐(つゆひも)あり。〔40オ三・四〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲水干ハ紗平絹(しやへいけん)等にて制(せい)す。絹直垂(きぬひたゝれ)の如くにして胸紐(むなひも)露紐(つゆひも)あり。〔71オ六〜ウ一〕

とあって、標記語「水干」の語注記は、「水干は、紗平絹等にて制す。絹直垂の如くにして胸紐露紐あり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suican.スイカン(水干) 演劇〔能〕で用いる或る薄い着物.→次条.〔邦訳585l〕

†Suican.*スイカン(水干) §また,公家(Cungues)の着用するある種の服.〔邦訳585l〕

Suican.スイカン(水旱) 洪水による損失と,旱魃によって起こる損失と.〔邦訳585l〕

とあって、標記語「水干」の語を収載し、意味を「また,公家(Cungues)の着用するある種の服」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すい-かん〔名〕【水干】〔かがふりの音便〕(一)頭に被るものの總稱。かうぶり。かうむり。かむり。水干帽革制考、「上古の水干は、いかにとも考ふべき據なし、推古の御宇より、如嚢水干を用ひたまひしを、天武天皇の十一年より、改めて漆紗水干を用ひ給ふ、是即、令にいふ頭巾にて、頭といふも、同物なり」(二)古へ、衣水干束帶の時に用ゐし、かぶりもの。其の形状、種類、多し、各條を見よ。(三)漢字の頭につく、種種の字の稱。(ウ水干、艸水干、竹水干の類)〔0432-1〕

とあって、標記語を「水干」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すいかん-【水干】〔名〕@水張りにして干した布。A@で作った狩衣の一種。盤領(まるえり)の懸け合わせを結紐(ゆいひも)と呼んで紐で結び合わせるのを特色とし、縫い合わせたところがほころびないように組紐で結んで菊綴(きくとじ)とし、裾を袴に着こめるのを例とした。地質は布製を本来のものとするが、風流として登(のぼり)や鰭袖(はたそで)に絹の織物を裁ち入れたり、全体に絹を用いたりした。B水のほとり。水涯」とし、標記語「すいかん-【水旱】〔名〕洪水(こうずい)と日照り。洪水と旱魃(かんばつ)。また、洪水や旱魃による被害」と表記漢字による意味区分が見られるのであるが、古写本『庭訓往来』や真字注にあってはその区分がなかったものとみたい。そして、どちらにも『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武衛裝水干、先奉遥拜男山方、謹令披閲之給訓み下し武衛水干装ヒ(装束)、先ヅ遥カニ男山ノ方ヲ拝ミ奉リ(ノ後)、謹ンデ之ヲ披閲セシメ給フ。《『吾妻鏡治承四年四月二十七日の条》
爲祈風雨水旱災難、於諸國々分寺、可轉讀最勝王經之旨、宣旨状、去夜到著訓み下し風雨水旱ノ災難ヲ祈ランガ為ニ、諸国ノ国分寺ニ於テ、最勝王経ヲ転読スベキノ旨、宣旨ノ状、去ヌル夜到著ス。《『吾妻鏡寛喜三年四月十九日の条》※『吾妻鏡』は日国のように表記による使分けがなされている。
水干(スイカン) 紗平絹(シヤヘイケン)ヲ用(モチユ)。大納言マテ内々(ナイ―)ニテ着(キル)∨之也。《『堂上伊呂波寄』服器》
 
2003年3月20日(木)晴れ。東京(八王子)→練馬
表衣(うはぎぬ・うへのきぬ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、「表書(ウハカキ)。表巻(―マキ)。表刺(―ザシ)袋。表包(―ヅヽミ)。表裹(同)表指(―サシ)」の六語を収載し、標記語「表衣」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ__(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

去戸俗/ウヘノキヌ/薄裳反。(サン) 同。(テイ) 同。表衣 同/俗用之。〔黒川本・雜物中50ウ三〕

ウヘノキヌ/宣聲之時出之参議定主始夏時着/位―。新―。袍裳反。夏袍事 滋相公傳云 弘仁十四年夏穀袍參冷泉院太上皇聞之甚賜美謔明年夏御熱盛發不得着厚衣試着穀袍極合御意天下自此悉着之是穀衣始自 貞主貞主身長六尺二寸。表衣 已上同/俗用之。〔卷第五・雜物177三〜六〕

とあって、訓みを「うへのきぬ」で標記語「表衣」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語を「表衣」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

八コ(ハツトク/ヤツ,サイワイ)[入・入]日本表衣(ウワギヌ)也。〔絹布門59一〕

とあって、標記語「八コ」の語注記に「日本の俗、表衣なり」と記載する。読みは「うわぎぬ」とする。また、易林本節用集』には、

(ウハ) ―著(ギ)。―裹(ヅヽミ)。―刺(ザシ)―衣(キヌ)。―袴(ハカマ)。〔食服117七〕

とあって、標記語「」の語をもって熟語群に収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書では、辛うじて広本節用集』で確認され、そして易林本節用集』をもって「表衣」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

400冠(カンムリ)表衣(ウ−キ/−ウハヘ)水旱 常住衣裳-下旱ルノ時為祈此服着也。〔謙堂文庫藏三九左H〕

とあって、標記語を「表衣」とし、その語注記は、「常住の衣裳にあらず、天下旱るの時祈りを為す、此の服を着なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

表衣(ウヘキヌ) ノ事黒(クロ)シ。装束(シヤウソク)也。〔下十四オ八〕

とあって、この標記語「表衣」とし、語注記は「黒し。装束なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(うへ)の衣(きぬ) 公家の上(うへ)に着る衣なり。〔53ウ二・三

とあって、標記語を「表衣」とし、語注記は「公家の上に着る衣なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲ハ即袍(ほう)なり。闕腋(けつてき)縫腋(ほうゑき)の二樣あり。共に染色(そめいろ)と地紋との差(たがひ)を以て尊卑(そんひ)を分(わか)つ。〔40オ三〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲表衣ハ即袍(ほう)なり。闕腋(けつてき)縫腋(ほうえき)乃二樣(やう)あり。共に染色(そめいろ)と地紋(ぢもん)との差(たがひ)を以て尊卑(そんひ)を分(わか)つ。〔70ウ六〕

とあって、標記語「表衣」の語注記は、「表衣は、即ち袍なり。闕腋縫腋の二樣あり。共に染色と地紋との差を以て尊卑を分つ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vuaguinu.ウワギヌ(上衣・表衣) 上に重ねて着る軽い着物.〔邦訳737r〕

とあって、標記語「表衣」の語を収載し、意味を「上に重ねて着る軽い着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うは-〔名〕【上着】衣の、最も上に着るものの稱。表衣金葉集、四、冬「なかなかに、霜のうはぎを、重ねても、鴛鴦の毛衣、さえまさるらむ」堀河百首、秋「標の内に、八重咲く菊の、朝ごとに、露こそ花の、うはぎなりけれ」〔0249-5〕

うへ--きぬ〔名〕【表衣】はう(袍)に同じ。倭名抄、十二18「袍、宇倍乃岐沼、一云、朝服、着襴之袷衣也」名目抄、「位袍(ゐはう)、又號表衣(うへのきぬ)源氏物語、八、花宴12「皆人は、うへのきぬなるに、あざれたる大君姿の、なまめきたるに」〔0253-3〕

とあって、標記語を「表衣」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うわ-ぎ【表衣】[一]〔名〕C近世以後の服装で、一番上に重ねて着る小袖。⇔下着(したぎ)」と標記語「うえ-の-衣(きぬ)衣冠、束帯の正装の時に着る上着。位階によって色彩を異にするが、文官のものを縫腋袍(ほうえきのほう)、武官のものを闕腋袍(けってきのほう)という。袍(ほう)。うえのころも」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
心ざしはいたしけれど、さるいやしきわざも習はざりければ、うへのきぬの肩を張り破りてけり。《『伊勢物語』第四十一段》 女師馳之晦尓袍(うへのきぬ)()(あらひ)()(ミつから)(はり)()()〔真字本第四十二段上21ウ一〕 
 
2003年3月19日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(かぶり・かんむり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

(カフリ)。〔元亀本104四〕〔静嘉堂本130八〕

(カンフリ)。〔天正十七年本上64オ六〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「かふり」と「かんふり」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(クワン) カヲフリ同。同。同。同。同。同。〔黒川本・雜物上80オ一〕

カフリ。貢飾漢高祖以竹皮為冠/―官亦―貫。黄帝造之。亦作/上房王反/亦曰頭巾。冤/―冤。―玉。 側草反。雲冠 舞―。天冠チキリカフリ已上同。冠事本朝事始云天武天皇十一年六月丁卯男夫始結髪仍着漆紗冠。〔卷第三・雜物208二〜五〕

とあって、十巻本に、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(カフリ) 。〔器財門110四〕

とあって、標記語を「」の語を収載する。次に広本節用集』には、

(カンムリクワン)[平去] 黄帝始作。異名金鐺。玄鬼。通天。豸。進賢。章甫窿菎。貂蝉柳宗元詩。虎皮李白詩。軒冕。竹皮冠漢高祖。介大冠也。緇希恵。又、夏収。黄収。母追。大古。〔器財門268四・五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「かんむり」とし、その語注記は、「黄帝始作」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(カンムリ)(同)(同)。〔・財宝83八〕

(カウフリ) 。〔・財宝80八〕〔・財宝87八〕

(カムリ) 。〔・財宝73五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語「」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「かんむり」「かうぶり」「かふり」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

400(カンムリ)表衣(ウ−キ/−ウハヘ)ノ水旱 常住衣裳-下旱ルノ時為祈此服着也。〔謙堂文庫藏三九左H〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(カンムリ) ハ公家ノ道具ナリ。〔下十四オ八〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は「公家の道具なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(かんむり) 聖徳太子(しやうとくたいし)冠乃制度(せいと)を定め玉ふ。大織大縫小縫大紫小紫大錦等錦大山小山大乙小乙大建小建等の品あり。〔53ウ一・二

とあって、標記語を「」とし、語注記は「聖徳太子、冠の制度を定めたまふ。大織・大縫・小縫・大紫・小紫・大錦等、錦、大山・小山・大乙・小乙・大建・小建等の品あり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。▲ハ人皇(わう)第四代懿徳(いとく)天皇の御宇(きよう)に始(はじま)る。今の制(せい)ハ四十二代文武(もんぶ)天皇乃御宇改めらるゝ所也。厚額(あつひたい)。透額(すきひたい)の二品あり。〔40オ二〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。▲ハ人皇(にんわう)第四代懿徳(いとく)天皇の御宇(きよう)に始(はじま)る。今の制(せい)ハ四十二代文武(もんぶ)天皇乃御宇改めらるゝ所也。厚額(あつひたひ)。透額(すきひたひ)の二品あり。〔70ウ五〕

とあって、標記語「」の語注記は、「は、人皇第四代懿徳天皇の御宇に始まる。今の制は、四十二代文武天皇の御宇改めらるゝ所なり。厚額・透額の二品あり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Camuri.カフリ(冠) 冠.あるいは,頭巾などのように頭にかぶる〔官位を示す〕標章.→次条;Coji(巾子).〔邦訳86r〕

†Camuri.*カフリ(冠) §また,日本のある種の文字〔漢字〕の上の部分.〔邦訳86r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「冠.あるいは,頭巾などのように頭にかぶる〔官位を示す〕標章」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かん-むり〔名〕【】〔かがふりの音便〕(一)頭に被るものの總稱。かうぶり。かうむり。かむり。冠帽革制考、「上古の冠は、いかにとも考ふべき據なし、推古の御宇より、如嚢冠を用ひたまひしを、天武天皇の十一年より、改めて漆紗冠を用ひ給ふ、是即、令にいふ頭巾にて、頭といふも、同物なり」(二)古へ、衣冠束帶の時に用ゐし、かぶりもの。其の形状、種類、多し、各條を見よ。(三)漢字の頭につく、種種の字の稱。(ウ冠、艸冠、竹冠の類)〔0432-1〕

とあって、標記語を「」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かんむり-【】[一]〔名〕(「かうぶり」の変化したもの)@頭にかぶるもの。特に、束帯、衣冠などの時、頭にかぶる物。直衣(のうし)でも晴(はれ)の時に用いる。黒の羅(うすもの)で作る。その頂に当たるところを甲(こう)といい、前額部を額(ひたい)という。後方の高い壺(つぼ)は髻(もとどり)を入れる巾子(こじ)で、その後に長方形の纓(えい)二筋を重ねて垂れる。冠の緒を形式化したもので古風に先端を円形にしたのを燕尾という。全体に有文(うもん)の羅をはったのを「繁文(しげもん)の冠」と呼び、五位以上が用いる。巾子の上部と纓の裾だけに文を入れたのを「遠文(とおもん)」の冠といい、六位以下の用とする。天皇の神事用は黒絹をはって「無文(むもん)の冠」という。こうぶり。こうむり。かむり。かぶり。かんぶり。A能装束の一つ。通常の冠と同じ形の初冠(ういこうぶり)のほかに、透冠(すきかんむり)、唐冠(とうかんむり)などがある。かむり。Bすべての上に位するすぐれたもの。C漢字の字形の構成部分のうち、上部にかぶせるもの。「宇」「花」「箱」などの「宀」「艸」「竹」の部分をいう」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。因みに、古辞書『温故知新書』を引用している。
[ことばの実際]
江判官能範〈布衣、、革緒細尻鞘太刀郎等三人、雜色四人、調度懸、一人放免四人〉訓み下し江ノ判官能範〈布衣、(カンフリ)、革ノ緒。細尻鞘ノ太刀。郎等三人、雑色四人、調度懸、一人。放免四人。〉《『吾妻鏡建保六年六月二十七日の条》 
 
2003年3月18日(火)曇り薄晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
硯箱(すずりばこ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、標記語「硯箱」の語を未収載にする。そして、真字注が語注記する「硯」と「筥」として、

(スヾリ)。〔元亀本362三〕  (ハコ)(同)。〔元亀本34九〕

(スヽリ)。〔静嘉堂本441五〕 (ハコ)(同)。〔静嘉堂本37一〕

(ハコ)(同)。〔天正十七年本19オ六〕〔西來寺本〕

とあって、語注記は未記載にする。

 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「硯箱」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「硯箱」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、標記語「硯箱」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。これを真字注が語注記する「」として見たとき、
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(スヽリ) 晋銀(シンキン)/五旬反。研見同。同。〔黒川本・雜物下109ウ四〕

スミスリ/スヽリ研見。六硯/圖書式云御。 已上同。〔卷第十・雜物500二〕

とあって、十巻本に、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(ゲウグワ)陶泓(タウワウ)馬蹄(バテイ)龍淵(リヨウエン)陳玄(チンゲン)鳳味(ホウミ)石郷侯(セキケイコウ) 以上異名ナリ。〔器財120四・五〕

とあるのみで、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』には、

(スヾリケン)[去] 子路始作釋名曰、硯者研也。可使和。儒書云、用硯之法石第一。瓦第二鶴林玉露蘓松利書史すゝり。 異名陶泓。端石。墨渕。玄津。端研。豆斑。紅縁。黄玉。黄石。褐色。鵲金。紫石。青金。磁洞。石未。古瓦。懸金。崕石。馬蹄。亀首。墨池。結隣。馬肝。筆海。東海。石丈人。即墨侯。紫潭。戸延。石処士。石人。石穴。老泓。風字硯。涵星。瓦。天眼。鶴眼。猪肝。色清宜。紫雲。龍尾。眉子。石郷侯。陳玄。烏石。詞源。寳泓。端溪出処也。瓦石。■■立。筆青玉。玉余小。石硯。雲根。朝林。金色。一天。雨虫。无双。干戈。時節。四硯。石微。馳基。磁潤。墨角烏。 澄泥貫花。魯石。金崔。亀有。張芝。石空。玉石。銀帶。玉渕。天銀。鑚鋪。巨璞。清淡。雲漢。清河。天宵。銀津。金池。角石。端色。角浪。松又。鶴金。蚪竈。眼鳳味。半柱。清直。大院。魯氷。空中。藥石。主充人。〔器財門1126一〜六〕 ※「波」部に標記語「はこ」は未収載。

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記の始めに「子路始作」と記載し、この注記が真字本と共通する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(スヽリ) 鶴林玉露松蘓利(スヽリ)。〔・財宝269五〕

松蘓利(スヽリ) 鶴林玉露在之。硯也。 (スヾリ/ケン) 。〔・財宝231二、四〕

松蘓利(スヾリ) 鶴林玉露在之。硯也。 (スヽリ) 。〔・財宝217一、二〕

(ハコ)(同)(同)・財宝21二〕〔・財宝19六〕

(ハコ)。匣/函。〔・財宝22五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は弘治二年本に「『鶴林玉露』、松蘓利と作る」と記載がある。標記語「」の語も収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

松蘓利(スヾリ)(同)(同) 。〔器財240四〕

(ハコ)(同)(同)。〔器財20二〕

鑑―。(同)(同)二字同上。〔器財20二〕

(ハコ)(同)書箱。〔器財20三〕

とあって、標記語「松蘓利」「」「研」の三語、標記語「」「筥」「函」の三語それぞれをもって収載し、語注記は未記載にする。已上の古辞書群のなかで、広本節用集』の語注記が下記真字本と共通する点は見逃せない。ここに継承過程があると見て良かろう。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

399小袖同懸帶蒔繪手箱硯函 子路作也。〔謙堂文庫藏三九左G〕

とあって、標記語を「硯箱」とし、その語注記は、「硯」として「は、子路の作なり」と記載する。この「硯」については、

 古版庭訓徃来註』では、

懸帶(カケヲビ)蒔繪(マキヱ)ノ手箱(テバコ)硯箱(スヽリバコ) 懸帶(カケヲビ)トハ七尺ノ帶ヲカタヨリウシロヘ打(ウチ)カケテ有ナリ。〔下十四オ七〕

とあって、この標記語「硯箱」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)蒔繪手箱硯筺 定家行成其外諸流の形なり。〔53オ八〜ウ一

とあって、標記語を「」とし、語注記は「定家・行成、其外諸流の形なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。〔39ウ六〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。〔70ウ五〕

とあって、標記語「硯箱」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suzuribaco.スヾリバコ(硯箱) 日本のインク壺〔硯〕を入れる小箱.〔邦訳594l〕

とあって、標記語「硯箱」の語を収載し、意味を「日本のインク壺〔硯〕を入れる小箱」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すずり-ばこ〔名〕【硯箱】硯、墨、筆、等を入れ置く、小さき匣。あたりばこ。硯函。古今著聞集、五、和歌、平治元年二月廿五日「硯蓋(すゞりばこ)に、紅の薄様を敷きて、雪を盛りて出されたるに」同、三、政道忠臣、承元二年十二月九日、京官除目「左大將にて、一の筥置かせ給ふとて、先の人の置違へられたる硯筥ながら、北へ押し上げさせ給たりける」熟語名詞に用ゐたるは、源氏物語、九、葵46「御硯のはこを、御帳の内に差し入て、おはしにけり」〔1050-4〕

とあって、標記語を「硯箱」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すずり-ばこ【硯箱】[一]〔名〕硯、墨、筆などを入れておく箱。すずりのはこ。すずり」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御帳の東西には三尺の几帳を立てられ、昼の御座の上には、御剣・御硯箱を置かれたり。《『太平記巻第四十・中殿御会の事》 
 
2003年3月17日(月)小雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
手箱(てばこ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「天」部に、

手箱(―バコ)。〔元亀本243八〕〔静嘉堂本281三〕

手箱(―ハコ)。〔天正十七年本中69ウ二〕

とあって、標記語「手箱」を収載し、その読みを「てばこ」と「てはこ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

手箱硯筺冠表衣水旱狩衣烏帽子直垂大口帷大刀長刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可申入候也恐々謹言〔至徳三年本〕

手箱硯筺冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷○[子]太刀腰刀胡籬大星行騰○[小]房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔宝徳三年本〕

蒔繪手箱冠表衣水干狩衣烏帽子直垂大口大帷太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖非上品任注文無相違之樣可被申下也恐々謹言〔建部傳内本〕

(マキ)__(ハコ)(カンムリ)(ウヘ)ノ_衣直_(ナヲシ)-(カリ)_--_(ヒタヽレ)__(カタ)___(ヱヒラ)_(ヤナグイ)__(ムカバキ)_(シリカイ)_(ムナカイ)等雖---之樣_恐々謹言。〔山田俊雄藏本〕

(マキ)手箱(テハコ)硯函(スヽリハコ)(ウヘ)ノ(キヌ)水旱(カン)直衣狩衣(カリギヌ)烏帽子直垂大口大帷(カタヒラ)大刀長刀腰刀(エビラ)胡籬(ヤナグイ)大星行騰(ムカバキ)房鞦(フサシリガイ)胸懸(ムナカケ)等雖上品註文相違之樣申下恐々謹言。〔経覺筆本〕

_(マキエ)ノ_(テハコ)_(スヽリハコ)(カフリ)(ウエ)ノ_(キヌ)-(スイカン)_(カリキヌ)__(エホシ)_(ヒタタレ)__(カタヒラ)___(コシカタナ)(エヒラ)_(ヤナクイ)__(ムカハキ)(フサ)ノ_(シリカヒ)__(ムナカイ)---之樣スニ_-々謹-。〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

手筥 テハコ 手箱。〔黒川本・雜物下17オ六・七〕

手筥(テハコ) 。〔卷第七・雜物234三〕

とあって、十巻本に、標記語「手筥」と「手箱」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年)、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語を「手箱」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

手水盥(テウヅダラヒ) ―箱(バコ)。―鉾(ボコ)。―戟(同)。―予(同)―筥(ハコ)。―蓋(カイ)。―楯(ダテ)。〔器財165三〕

とあって、標記語「手水盥」の語をもって収載し、冠頭字「手」の熟語群に「手箱」と「手筥」の二語を収載し、前者の読みを「てばこ」、後者を「てはこ」と記載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』と易林本節用集』にその訓みを「てばこ」と「てはこ」にして、「手箱」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

399小袖同懸帶蒔繪手箱函 子路作也。〔謙堂文庫藏三九左G〕

とあって、標記語を「手箱」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

懸帶(カケヲビ)蒔繪(マキヱ)ノ手箱(テバコ)硯箱(スヽリバコ) 懸帶(カケヲビ)トハ七尺ノ帶ヲカタヨリウシロヘ打(ウチ)カケテ有ナリ。〔下十四オ七〕

とあって、この標記語「手箱」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)蒔繪手箱硯筺 定家行成其外諸流の形なり。〔53オ八〜ウ一

とあって、標記語を「手箱」とし、語注記は「定家・行成、其外諸流の形なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

蒔繪(まきゑ)手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の衣(きぬ)水干(すいかん)直衣(なふし)狩衣(かりぎぬ)烏帽子(ゑぼうし)直垂(ひたゝれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたひら)太刀(たち)長刀(なぎなた)腰刀(こしかたな)(ゑびら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはき)房鞦(ふさしりがい)(うし)胸懸(むなかけ)(とう)上品(しやうほん)に非(あら)ずと雖(いへども)注文(ちうもん)に任(まか)せ相違(さうい)(な)き之(の)(やう)(まう)し下(くだ)さ被(る)(べ)き也(なり)恐恐(きやう/\)謹言(きんげん)蒔繪手箱硯筺衣水干直衣狩衣烏帽子直垂大口大帷子太刀長刀腰刀胡籬大星行騰房鞦牛胸懸等雖ズト上品注文相違之樣可恐々謹言。〔39ウ六〕

蒔繪(まきゑ)の手箱(てばこ)硯筺(すゞりばこ)(かんむり)(うへ)の(きぬ)水干(すゐかん)直衣(なほし)狩衣(かりきぬ)烏帽子(ゑぼし)直垂(ひたたれ)大口(おほくち)大帷子(おほかたびら)太刀(たち)長刀(なきなた)腰刀(こしかたな)(えひら)(やなぐい)大星(おほぼし)の行騰(むかはぎ)房鞦(ふさしりがい)(うし)の胸懸(むなかけ)(とう)(いへども)(あら)ずと上品(しやうほん)に(まか)せ注文(ちうもん)に(な)き相違(さうい)(の)(やう)(べ)き(る)(まう)し(くだ)さ(なり)恐恐(きよう/\)謹言(きんげん)。〔70ウ五〕

とあって、標記語「手箱」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tebaco.テバコ(手筥・手箱・手匣) 手箱,あるいは,小箱.〔邦訳640l〕

とあって、標記語「手箱」の語を収載し、意味を「手箱,あるいは,小箱」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ばこ〔名〕【手箱】手廻りの小き調度など入るる匣。字類抄「手筥、テハコ」女重寳記、五、女用器財「手箱、テバコ」類聚名物考、調度、七「てばこ、これは手具足を入る故いふなり、今は俗には、手道具と云ふに同じ、手筥とも云ふなり」嫁入記「一手ばこの内に、小ばこ四つあり、其内に入物、一にはおしろい、一にはたうのつち、一にはまゆずみ、一にはわけめのいとなどのやうの、おけはひぐそくの類なり」〔1362-3〕

とあって、標記語を「手箱」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「て-ばこ【手箱】[一]〔名〕手まわりの小道具などを入れておく小型の箱」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此外手筥二合〈納紺絹、〉御雙紙筥以上自御所、被出之訓み下し此ノ外手筥(テバコ)二合。〈紺ノ絹ヲ納ル、〉御双紙筥。以上ハ御所ヨリ、之ヲ出サル。《『吾妻鏡文永三年正月十三日の条》
 
2003年3月16日(日)晴れのち曇り雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
懸帶(かけおび)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「懸子(カケコ)。懸盤(カケバン)。懸物(―モノ)。懸金(―カネ)。懸香(カケガウ)。掛繪(カケエ)。掛畏(カケマクモ)愚童記」の七語を収載し、標記語「懸帶」は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪_書目_(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「懸帶」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「懸帶」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には「懸帶」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

399小袖懸帶蒔繪手箱函 子路作也。〔謙堂文庫藏三九左G〕

懸帶トハ此方ノムスヂノ帯也。ムヲリノコト也。又云桟敷ナドニ小袖ヲ懸也。又ヲビナドヲモカリルナリ。表ノ衣トハウワギヌ也。私云ウワギトヨムベキナリ。〔国会図書館藏左貫注頭注書込み〕

懸帶トハ此方ノムスヂノ帯也。ムヲリノコト也。又云桟敷ナドニ小袖懸也。又帯ナトヲモ懸也。表衣トハウワギ也。私云ウワギトヨムへキ也。〔天理図書館藏『庭訓徃來註』頭注書込み〕

とあって、標記語を「懸帶」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

懸帶(カケヲビ)蒔繪(マキヱ)ノ手箱(テバコ)硯箱(スヽリバコ) 懸帶(カケヲビ)トハ七尺ノ帶ヲカタヨリウシロヘ打(ウチ)カケテ有ナリ。〔下十四オ七〕

とあって、この標記語「懸帶」とし、その語注記は「懸帶とは、七尺の帶をかたよりうしろへ打かけて有るなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

村紺掻(むらこんかき)淺黄(あさぎ)の小袖(こそで)(おなじ)懸帶(かけおび)村紺掻淺黄小袖同懸帶 裳の大腰につけ肩へ遣る帯を懸帯と云。又さけ帯をも云。〔53オ八

とあって、標記語を「懸帶」とし、語注記は「裳の大腰につけ肩へ遣る帯を懸帯と云ふ。また、さげ帯をも云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾(あやすり)繪書(ゑか)目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲懸帶ハ裳(も)の大腰(おほこし)に付て肩(かた)へ遣(かく)る物也。又さげ帯共云。〔39ウ五〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲懸帶ハ裳(も)の大腰(おほこし)に付て肩(かた)へ遣(かく)る物也。又さけ帯(おび)共云。〔70ウ四・五〕

とあって、標記語「懸帶」の語注記は、「懸帶は、裳の大腰につけて肩へ遣る物なり。また、さげ帯共云ふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Caqeuobi.カケオビ(掛帯) 帯,あるいは,幅広の帯.※原文はCinjidouro(=cingidouro,cingidoiro),oucinto.“掛帯”は物詣りの折などに,女が胸の前にかけ背中で結んだ赤絹の帯を意味するが,ここでは単に“帯”と説明している.〔邦訳95r〕

とあって、標記語「懸帶」の語を収載し、意味を「帯,あるいは,幅広の帯」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かけ-おび〔名〕【懸帶】貴婦人の禮裝にて、裳(も)の腰に附けたる紐。頸に掛けて、前にて結ぶ。古への、ひきおびなりとぞ。(哢花抄)。新六帖、五「折しもあれ、えやは心を、かけおびの、おもひは胸のね隔てなるべし」。〔1975-5〕

とあって、標記語を「懸帶」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かけ-おび【懸帶】[一]〔名〕@社寺参詣の女子が物忌のしるしとして用いた、赤い帯。赤色の絹をたたみ、胸の前にかけ、背後で結んだもの。赤色以外のものも、稀にあったという。A女装の盛装に用いた裳(も)の紐。裳の大腰に付けて、肩に掛けて胸の前で結ぶもの」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
武藏坊是を見て、あはやと思ひけるところに三十三枚の櫛を取出して、「これは如何」と申(し)ければ、弁慶あざ笑ひて、「ゑい/\、何も知り給はずや、兒の髮をば梳らぬか」と言ひければ、權守理と思ひければ、傍らに差置きて、唐の鏡取出し、「これは如何」と言へば、「兒を具したる旅なれば、化粧の具足を持つまじき謂れがあらばこそ」と言ひければ、「理」とて八尺の掛帶(かけおび)、五尺の鬘、紅の袴、重の衣を取出して、「これは如何に。兒の具足にもこれが要るか」と申(し)ければ、「法師が伯母にて候者、羽黒の權現の惣の巫にて候が、鬘袴色よき掛帶(かけおび)買ふて下せ」と申(し)候程に、「今度の下りに持ちて下り、喜ばせんが爲にて候ぞ」と言ひければ、「それはさもさうず」と申(す)。《『義経記』卷第七、大系345十一・十三》 
 
「淺黄」いついては、ことばの溜池「あさぎ【淺黄】」(2001.02.20)を参照。
 
2003年3月15日(土)小雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
村紺掻(むらこうかき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「牟」部に、

村紺(ムラゴン)。〔元亀本175九〕

村紺(ムラゴウ)。〔静嘉堂本196二〕

とあって、標記語「村紺」を収載し、その読みを「むらゴン」と「むらコウ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪_書目_(―ユイ)__(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「村紺掻」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

村濃(ムラゴフ) 衣裳(イシヤウ)ノ(モン)。〔彩色136七〕

とあって、標記語を「村濃」の語をもって収載し、語注記に「衣裳の紋なり」と記載する。次に広本節用集』には、

村濃(ムラゴソンヂヨウ,―コマヤカ)[平・○] 衣裳紋也。〔光彩門461八〕

とあって、『下學集』と同じく標記語「村濃」の語をもって収載し、その読みを「むらご」とし、その語注記は、「衣裳紋なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

村濃(ムラゴ/―ゴウ) 衣裳紋。〔・財宝146四〕

村濃(ムラゴ) 衣裳紋(イシヤウモン)。〔・財宝117七〕

村濃(ムラゴ) 衣裳紋。〔・財宝107六〕

村濃(ムラゴ) 衣裳(イシヤウ)紋。〔・財宝130七〕

とあって、標記語「村濃」の語をもって収載し、その語注記は「衣裳の紋」と記載する。また、易林本節用集』には、

村紺(ムラゴ) 。〔食服114五〕

とあって、標記語「村紺」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書の多くが「村濃」で示し、訓みを「むらご」「むらごう」として、語注記は「村紺」とする古写本『庭訓徃來』及び下記真字本と共通する「衣裳紋也」で示している。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

397袷(アハセ/メ)ノ練緯(ヌキ)-(ウキモン)ノ綾摺(スリ)-繪書目結巻染村紺(コン/コマ) 衣裳紋也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

398(カキ)浅黄 水色紋付。〔謙堂文庫藏三九左F〕

とあって、標記語を「村紺」と「」とし、その語注記は、「衣裳紋なり」「水色紋付」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

村紺掻(ムラコンガキ)浅黄(アサギ)ノ小袖同村紺(ムラコン)ハ。手染絹(テソメキヌ)ナリ。〔下十四オ六〕

とあって、この標記語「村紺掻」とし、「村紺」の語注記は「村紺は、手染絹なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

村紺掻(むらこんかき)淺黄(あさぎ)の小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)村紺掻淺黄小袖同懸帶 裳の大腰につけ肩へ遣る帯を懸帯と云。又さけ帯をも云。〔53オ八

とあって、標記語を「村紺掻」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾(あやすり)繪書(ゑか)目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲村紺掻ハ未考。〔39ウ五〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲村紺掻ハ未考。〔70ウ四〕

とあって、標記語「村紺掻」の語注記は、「村紺掻は、未」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「村紺」または「村濃」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

むらこう-がき〔名〕【村紺掻】紺の叢濃(むらご)庭訓徃來、七月「目結、卷染、村紺掻」。〔1975-5〕

とあって、標記語を「村紺掻」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「むら-こうかき【村紺掻斑紺掻群紺掻】[一]〔名〕染色の名。淡い紺色の地に、ところどころを紺色でまだらに染めたもの。紺むらご」とあって、『庭訓往来』の語用例を『大言海』と同じく記載する。
[ことばの実際]
著紺村濃直垂、加小具足、跪常胤之傍訓み下し村濃(コンムラゴウ)ノ直垂ヲ著シ、小具足ヲ加ヘ、常胤ガ傍ニ跪ク。《『吾妻鏡治承四年九月十七日の条》
 
2003年3月14日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→永田町(赤坂ブリンセスホテル)
駒澤大学陸上競技部優勝祝賀会
卷染(まきぞめ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「満」部に、「巻燻(マキフスベ)。巻本(―ホン)」の二語を収載し、標記語「卷染」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪_書目_(―ユイ)__(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

纏染 マキソメ。〔黒川本・中92ウ一〕〔卷第六・光彩578三〕

とあって、標記語「纏染」の語をもって収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語を「卷染」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

卷染(―ソメ) 。〔食服140二〕

とあって、標記語「卷染」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書では易林本節用集』に訓みを「まきそめ」として、「卷染」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

397袷(アハセ/メ)ノ練緯(ヌキ)-(ウキモン)ノ綾摺(スリ)-繪書目結巻染村紺(コン/コマ) 衣裳紋也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「卷染」とし、その語注記は、「衣裳紋なり」と記載する。

古版庭訓徃来註』では、

目結(メユイ)ノ巻染(マキソメ)ノ ト云ハ。クヽシノコトナリ。〔下十四オ六〕

とあって、この標記語「卷染」とし、その語注記は「くくしのことなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

摺繪書(すりゑがき)の目結(めゆひ)卷染(まきそめ)摺繪書目結巻染 目結の卷染めとハかのこくらしそめ乃類なり。〔53オ六・七

とあって、標記語を「卷染」とし、語注記は「かのこくらしぞめの類なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾(あやすり)繪書(ゑか)目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲目結卷染めハ鹿子(かのこ)くらし染(そめ)の類なるべし。〔39ウ五〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲目結卷染めハ鹿子(かのこ)くらし染(そめ)の類なるべし。〔70ウ四〕

とあって、標記語「卷染」の語注記は、「目結卷染めは、鹿子くらし染の類なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「卷染」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

まき-ぞめ〔名〕【卷染】しぼりぞめの類。布帛を卷きて染めたるもの。枕草子、一、第三段「すそご、むらご、まきぞめなど、つねよりもをかしう見ゆ」夫木抄、六、藤「藤波の、よらばれぬれば、紫の、まきぞめ着たる、松かとぞ見る」。〔1871-5〕

とあって、標記語「卷染」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「まき-そめ【卷染】[一]〔名〕絞り染めの一種。絹や布を固く巻き、その上を細い糸で固く巻いて、色で染めた後、巻いた糸を解くと巻いたあとが白くなるもの」とあって、用例は『大言海』と同じくして、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
能登守(のとのかみ)教經(のりつね)「ふないくさは樣(やう)ある物(もの)ぞ」とて、鎧直垂(びたたれ)はき給(たま)はず、唐卷染(からまきぞめ)の小袖(こそで)に、唐綾威(からあやおどし)の鎧(よろい)きて、いか物(もの)づくりの大太刀(おほだち)はき、廿四さいたるたかうすべうの矢(や)をひ、しげどうの弓(ゆみ)をもち給(たま)へり。《『平家物語』巻第十一、「嗣信最期」大系下314二》 
 
2003年3月13日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
目結(めゆひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「免」部に、

目結(―ユイ)。〔元亀本296九〕

目結(メユイ)。〔静嘉堂本345二〕

とあって、標記語「目結」と収載し、その読みを「めゆい」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪__(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「目結」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』に、標記語を「目結」の語を未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

幕紋(マクノモン) 目結(メユイ)。〔・財宝20五〕〔・財宝23二〕

とあって、標記語「幕紋」の語を収載し、その語注記に「目結」を記載する。また、易林本節用集』には、

目結(メユヒ) 。〔食服196五〕

とあって、標記語「目結」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書では、『運歩色葉集』、印度本系統の『節用集』(黒川本)、そして易林本節用集』に「目結」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

397袷(アハセ/メ)ノ練緯(ヌキ)-(ウキモン)ノ綾摺(スリ)-繪書目結巻染村紺(コン/コマ) 衣裳紋也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「目結」とし、その語注記は、「衣裳紋なり」と記載する。

古版庭訓徃来註』では、

目結(メユイ)卷染(マキソメ) ト云ハ。クヽイノコトナリ。〔下十四オ五・六〕

とあって、この標記語「目結」とし、その語注記は「くくいのことなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

摺繪書(すりゑがき)目結(めゆひ)の卷染(まきそめ)摺繪書目結巻染 目結の卷染めとハかのこくらしそめ乃類なり。〔53オ六・七

とあって、標記語を「目結」とし、語注記は「目結の卷染めとは、かのこくらしそめの類なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾(あやすり)繪書(ゑか)目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲目結卷染めハ鹿子(かのこ)くらし染(そめ)の類なるべし。〔39ウ五〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲目結卷染めハ鹿子(かのこ)くらし染(そめ)の類なるべし。〔70ウ四〕

とあって、標記語「目結」の語注記は、「目結卷染めは、鹿子くらし染の類なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Meiyui.(ママ)メユイ(目結) 染め方の一種で,染料が染み込まない白い部分を残して染めるもの.※このMeiyuiは別条Meyuiの異表記形.yu(ユ)とiyu(ユ)との関係については,Cai(粥)の注参照.〔邦訳396l〕

とあって、標記語「目結」の語を収載し、意味を「染め方の一種で,染料が染み込まない白い部分を残して染めるもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-ゆい〔名〕【目結】回の如き形のしぼりぞめ(絞染)。又、目染(めぞめ)平家物語、十、千手事「齢二十ばかりなる女房、云云、目ゆひの帷子に染付けの湯卷して」「目結の直垂」。〔1996-5〕

とあって、標記語を「目結」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「め-ゆい【目結】[一]〔名〕@布帛や革(かわ)を糸でくくって染めてから糸を解いてくくり目を文様としたもの。くくりを寄せた数によって三つ目結・四つ目結・九つ目結・十六目結などがあり、一面に配したのを滋目結(しげめゆい)といい、その目の細かいのを鹿子結(かのこゆい)という。纐纈(こうけち)。鹿子絞り。くくり染め。目染め。A竹籠などの目を粗く編むこと。。B紋所の名。目結の文様を紋章としたもの。配置や形状から丸に角立四つ目結、繋ぎ九つ目結、四つ目結車、角立一つ目結などがあり、ときに結(ゆい)の字を略して云う。C馬の毛色の名」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
佐藤四郎兵衛これを聞(き)て、御前に畏まつて申(し)けるは、「かゝる事こそ御座候へ。この人どもが先驅論ずる間に、敵は近づきぬ。あはれ、仰せを蒙りて、忠信先を仕り候はばや」と申(し)ければ、判官、「いしう申(し)たる者かな。望めかしと思ひつるところに」とて、やがて忠信に先驅を給はつて、三滋目結の直垂に、萌黄威の鎧に、三枚兜の緒を締め、怒物作の太刀帶き、鷹護田鳥尾の矢廿四指したるを頭高に負ひなして、上矢に大の鏑二つ指したりける、節卷の弓持ちて、舳に打渡りて出合ひたり。《『義経記住吉大物二ケ所合戰の事》 
 
2003年3月12日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
摺繪書(すりヱがき)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、「摺鼓(スリツヾミ)。摺鉢(スリバチ)。○。摺衣(スリゴロモ)。○。摺本(スリボン)」「摺茶壷(スリチヤツボ)」の五語を収載し、標記語「摺繪書」「摺繪」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_摺繪__(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「摺繪書」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「摺繪書」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、「摺繪書」の語は未収載にある。そして、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。ただ、真字本は、「綾摺」と「繪書」といったことばの取り扱い方が異なるものもあって、この影響から採録が成されていないのであれば、真名本からの採録を多くする『運歩色葉集』に「綾摺」の語が採録されている可能性をと見るのだが、この語も未収載にある。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

397袷(アハセ/メ)ノ練緯(ヌキ)-(ウキモン)ノ(スリ)-繪書目結巻染村紺(コン/コマ) 衣裳紋也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「綾」「繪書」とし、その語注記は、「衣裳紋なり」と記載する。

古版庭訓徃来註』では、

浮文(ウキモン)ノ(アヤスリ)繪書(ヱカキ) トハ。ウチ織(ヲリ)ノ事ナリ。〔下十四オ五・六〕

とあって、この標記語「摺繪書」とせず、「綾摺」と「繪書」とにし、その語注記は「うち織の事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

摺繪書(すりゑかき)の目結(めゆひ)の卷染(まきそめ)摺繪書目結巻染 目結の卷染めとハかのこくらしそめ乃類なり。〔53オ六・七

とあって、標記語を「摺繪書」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾(あやすり)繪書(ゑか)目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲摺繪書ハ摺箔(すりはく)上繪(うハゑ)の類なるべし。〔39ウ四・五〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲摺繪書ハ摺箔(すりはく)上繪(うハゑ)の類なるべし。〔70ウ三〕

とあって、標記語「摺繪書」の語注記は、「摺繪書は、摺箔上繪の類なるべし」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「摺繪」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すり-〔名〕【摺繪】白地の織物に、染草を摺りて表はしたる、草木の花、葉などの模様。異本曽我物語、一「祐道、その日の装束には、秋の花野のすりゑせしに」。〔1067-5〕

とあって、標記語を「摺繪」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すりえがき【摺繪書】白地の布に染料をすりつけて模様を出すこと。また、その模様や絵。染草ですり出した布の絵模様もいう」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
鶯の文の小袖は摺絵かな<宗恕>《俳諧『犬子集』(1633年)一・鶯》 
 
2003年3月11日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
浮文(うきモン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、「浮世。浮沈、浮舩兵法」の三語を収載し、標記語「浮文」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)__綾摺繪_書目_(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「浮文」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「浮文」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、「浮文」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

397袷(アハセ/メ)ノ練緯(ヌキ)-(ウキモン)綾摺(スリ)-繪書目結巻染村紺(コン/コマ) 衣裳紋也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「浮文」とし、その語注記は、「衣裳紋なり」と記載する。

古版庭訓徃来註』では、

浮文(ウキモン)綾摺(アヤスリ)繪書(ヱカキ) トハ。ウチ織(ヲリ)ノ事ナリ。〔下十四オ五・六〕

とあって、この標記語「浮文」の語注記それ自体は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

浮文(うきもん)の綾(あや)浮文 浮文ハ顕文也。〔53オ六

とあって、標記語を「浮文」とし、語注記は、「浮文は、顕文なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲浮文ハ顕文(けんもん)をいふ。〔39ウ四〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲浮文ハ顕文(けんもん)をいふ。〔70オ六〜70ウ二〕

とあって、標記語「浮文」の語注記は、「浮文ハ顕文をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「浮文」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うきもん-〔名〕【浮文】(一)浮織にしたる紋。浮線綾など、是れなるべし。(固文(かたもん)に對す)。源氏物語、九葵11「うきもんのうへの袴」。〔0225-5〕

とあって、標記語を「浮文」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うきもん【浮文】[一]〔名〕浮き織りにした模様。また、その模様のある絹綾の衣服。うけもん。固文(かたもん)」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
なべてならぬ紅(くれなゐ)の御衣(ぞ)どもの上(うへ)に、白(しろ)浮文(うきもん)の御衣(ぞ)をぞ奉(たてまつ)りたる、御手習(てならひ)に添(そ)ひ臥(ふ)させ給(たま)へり。《『榮花物語』(1028-92年頃)卷第八・はつはな》 
 
練貫(ねりぬき)」ことばの溜池「大津の練貫」(2001.11.08)を参照。
 
2003年3月10日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(あこめ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、

袙袷(アコメ)。〔元亀本259八〕〔静嘉堂本294一〕

(アコメ)。〔元亀本264一〕〔静嘉堂本299七〕

とあって、標記語「袙袷」「」の語を収載し、その読みを「あこめ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地紫○[]練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪_書目_(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。経覺筆本だけが「袙袷」とし、他写本は「袙」と記載する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(シツ) アコメ/人質戸質二反。女人近身衣也。〔黒川本・雜物下26ウ二〕

アコメキヌ/女人近身衣也。〔卷第八・雜物306四〕

とあって、十巻本に、標記語「」の語を収載し、語注記には「女人近身衣なり」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(アコメ) 。〔絹布96六〕

とあって、標記語を「」の語を収載する。次に広本節用集』には、

(アコメハク)[入]。〔絹布門748八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「あこめ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(アコメ/ヂツ)。〔・衣服204八〕

(アコメ) 。〔・財宝170一〕〔・財宝159五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(アコメ) 。〔食服170七〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「あこめ」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

396唐-衣朽-葉地-紫羅(ウスアコメ/キヌ) 藍染K也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

※唐-(−ラキヌ)朽葉地(クチハジ)紫羅(ウスモノ)(アコメ/アハせ也) 藍染(アイソメ)K色也。〔静嘉堂文庫藏『庭訓徃來抄』古冩〕△袙袷(アハせ)トハ住吉大明神夷国退治時被テ召アルガ筑前国油井Mニヌキステサせ給ヲ石ニ成テ今ニ有也。色白也。〔頭注書込み〕△ キヌツスヽキヲヌヘル物也。本哥有。東路ノハニフノ小屋ノ袙カキツヽラノ實ヲヲノツ唐皮〔頭注書込み〕

袙袷トハ住吉大明神夷国退治ノ時被召筑前ニ湖井ノMニヌキステサせ給也。石ニ成テ今正ニ在リ。白キ也。/(アハせ)複衣也。―三重之。√ニ字ヲアコメト読モアリ白云也。ヌイモノナリ。〔国会図書館藏左貫注頭注書込み〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、「藍染のK(色)なり」と記載する。ここで、静嘉堂本・東洋文庫本は、古写本『庭訓徃來』〔経覺筆本〕と同じく「袙袷」に作る。

古版庭訓徃来註』では、

(ヂ)(ムラサキ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ) トハ絹(キヌ)ニ薄(スヽキ)ヲ縫(ヌウ)也。薄(スヽキ)ヲアコメト云。本歌(ホンカ)有。東路(アツマチ)ノ。ハニフノ小屋ノアコメ垣(カキ)。ノラノサネヲ。ヲノヅカラカハト。ヨミシナリ。薄(スヽキ)ニテ葺(フキ)タル家ヲアコノ家ト云ナリ。〔下十四オ四・五〕

とあって、この標記語「」の語注記は、「薄をあこめと云ふ」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(あこめ)の練貫(ねりぬき)(アコメ)練貫 あこめハすゝきをぬいたるをいふ。又藍染(あいそめ)の黒きを云ともいえり。〔53オ五・六

とあって、標記語を「」とし、語注記は、「あこめは、すゝきをぬいたるをいふ。また、藍染の黒きを云ふともいえり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲ハ堂上(たうしやう)なべて冬春着(ちやく)用せらるゝ衣の名。近代(きんだい)ハ用ひざるよし也。〔39ウ四〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲ハ堂上(だうしやう)なべて冬春着(ちやく)用せらるゝ衣の名。近代(きんだい)ハ用ひざるよし也。〔70ウ三〕

とあって、標記語「」の語注記は、「は、堂上なべて冬・春着用せらるゝ衣の名。近代は、用ひざるよしなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Acome.アコメ(袙) 日本の絹織物の一種で,濃い藍色で染めた地に白い文様のあるもの.〔邦訳11l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「日本の絹織物の一種で,濃い藍色で染めた地に白い文様のあるもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

あこめ〔名〕【】あこめぎぬを見よ。〔0024-4〕

あこめぎぬ〔名〕【】〔貞丈雜記、五、装束、袙「單と下襲の間に着こむる故に、あひこめの訓にて、あこめと云ふ也」(誓言(ちかひごと)、ちかごと。洗革(あらひかは)、あらかは)漢字は、衵(ジツ)なり、袙(バツ)と書けるあるは誤れり〕(一)男子、束帶、直衣、衣冠、狩衣等の時、下襲(したがさね)の下、單衣(ひとへ)の上に着る衣(きぬ)の名。表は綾、裏は平絹なり、表、裏、共に、紅にて、老人は、白を用ゐる。下略して、あこめ。三條家装束抄「束帶の下などに重ね用るは、纔著(さいぢやく)、以是爲袙」倭名抄十二、19「衵、阿古女岐奴」扶桑略記、廿六、康保三年十月七日、殿上侍臣舞、納蘇利「小舎人實資著天冠舞衣舞畢、召實資於床子、脱阿古女衣賜之」名義抄「衵、アコメキヌ、アコメ」(二)貴婦人、童女も、あこめを着たり、童女は、表(うへ)の衣(きぬ)を着ぬものなれば、あこめのままにてあるを、あこめ姿と云ひしが如し。源氏物語、葵37「小さき女童(わらは)、云云、程なきあこめ、人よりKく染めて、云云、着たるも、をかしき姿なり」(程なきは、小さきなり、ここは、喪服を云へるなり)同、廿八、野分14「女童(わらはべ)などの、をかしきあやめ姿、打ちとけて」類聚雜要集、三、童女装束事「打袙、長四尺」(打は、打衣(うちぎぬ)なり)胡曹集、女房夏冬装束「薄蘇芳の單重袙」正字通「衵、音日(ジツ)、説文、日日所常ニキル衣也、云云、男女近身衣誤」袙、音陌(ハク)、始喪之服」〔0024-4〕

とあって、標記語を「」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「あこめ【】〔名〕@中古、表(うえ)の衣(きぬ)と肌の衣との間にこめて着る衣。袿(うちき)より裾を短く仕立て、多く婦人・童女が用いた。あこめぎぬ。A男子束帯のとき、下襲(したがさね)の下、単衣(ひとえきぬ)の上に着けた裏付きの衣。寒暑に応じ、好みに任せて数領重ねたものを衵重(あこめかさね)という。[語源説](1)あひこめ(間込)の約〔貞丈雑記・言元梯・大言海〕。(2)あこめ(吾児女)の義〔東雅〕」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
萠黄狩禎、袴、薄色白練單村濃、平組括、平禮、已上院御厩舎人〈貞澤、金武、〉訓み下し萌黄狩襖、袴、薄色。白練ノ単村濃、平組ノ括、平礼、已上院ノ御厩舎人〈貞沢、金武、枝次〉《『吾妻鏡建久元年十二月一日の条》 
 
2003年3月9日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
紫羅(むらさきのうすもの)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「无」部と「宇」部に、

(ムラサキ)。〔元亀本178二〕 (ウスモノ)。〔元亀本184七〕

(ムラサキ)。〔静嘉堂本199一〕(ウスモノ)。〔静嘉堂本207七〕

とあって、標記語「」と「」の二語に分けて収載し、その読みを「むらさき」と「うすもの」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地○[]袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪_書目_(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

() ムラサキ/藤花。窗諭 同。〔黒川本・光彩中44ウ二〕 ウスモノ。〔黒川本・雜物中50ウ五〕

() ムラサキ窗諭 同。〔卷第・言語112五〕 ウスモノ。〔卷第五・雜物178五〕

とあって、十巻本に、標記語「」と「」の二語をもって収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(ロ) 。〔絹布95六〕

とあって、標記語を「」の語のみ収載する。次に広本節用集』には、

(ムラサキ)[上]。〔光彩門461八〕

(ウスモノ)[平]。(同/・カンバタ)[平]。〔器財門476三〕

とあって、標記語「」と「」の二語にして収載し、その読みを「むらさき」「うすもの」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ムラサキ) ―色。〔・草木145三〕

(ムラサキ) 。〔・草木116六〕〔・草木106五〕〔・草木129五〕

(ウスモノ)。〔・財宝150三〕〔・財宝121九〕〔・財宝111六〕〔・財宝136一〕

とあって、標記語「」と「」の二語にして収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、標記語「」「」の二語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「むらさき」「うすもの」として、「」「」の二語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

396唐--葉地-紫羅(ウスアコメ/キヌ) 藍染K也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「紫羅」とし、その語注記は、未記載にする。

古版庭訓徃来註』では、

(ヂ)(ムラサキ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ) トハ絹(キヌ)ニ薄(スヽキ)ヲ縫(ヌウ)也。薄(スヽキ)ヲアコメト云。本歌(ホンカ)有。東路(アツマチ)ノ。ハニフノ小屋ノアコメ垣(カキ)。ノラノサネヲ。ヲノヅカラカハト。ヨミシナリ。薄(スヽキ)ニテ葺(フキ)タル家ヲアコノ家ト云ナリ。〔下十四オ四・五〕

とあって、この標記語「紫羅」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

朽葉地(くちばぢ)(むらさき)の羅(うすもの)朽葉地 朽葉とハ豎(たて)黄にして横(よこ)あかきなり。〔53オ四・五

とあって、標記語を「紫羅」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。〔39オ七〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。〔70オ二〕

とあって、標記語「紫羅」の語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Vsumono.ウスモノ(羅・紗) 薄くて目の透いたある種の絹布で作った着物.〔邦訳734r〕

とあって、標記語「紫羅」の語を収載し、意味を「薄くて目の透いたある種の絹布で作った着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「むらさきのうすもの〔名〕【紫羅】」を未収載にし、ただ、

うすもの〔名〕【薄物】薄き織物。紗(シヤ)、羅(ロ)の類の總稱。うすはた。羅。孝徳紀、大化三年十二月「羅(うすもの)源氏物語、榊50「うすものの直衣ひとへ」包袱(ひらづつみ)にも用ゐらる。榮花物語、二十三、駒競「香染(かうぞめ)の薄物のつつみどもなり」今昔物語集、三十、第一語「香染ノ薄物ニ、筥ヲツツミテ」。〔0233-2〕

とあって、標記語を「薄物」の語をもって収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「むらさきのうすもの【紫羅】[一]〔名〕」は未収載にする。よって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。因みに、「うすもの【薄物】〔名〕@羅(ら)、紗(しゃ)などの薄い絹織物。また、それで作った夏用の衣服。うすはた。Aふくさ、風呂敷などの古称。B酒などをあたためる銅製の鍋の薄手なもの。C紙など薄くすいたもの」と記載する。
[ことばの実際]
其外綿繍愚筆不可討記者歟訓み下し其ノ外綿繍(レウラ)愚筆ニ(禹筆隷算)計ヘ記スベカラザル者カ。《『吾妻鏡文治五年八月二十二日の条》 
 
2003年3月8日(土)晴れ。東京(麹町)→世田谷(駒沢)
朽葉地(くちばヂ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「久」部に、

朽葉(クチバ)。〔元亀本189十〕〔静嘉堂本213八〕

朽葉(クチハ)。〔天正十七年本中36オ八〕

とあって、標記語「朽葉」の語を収載し、その読みを「クチバ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶〔至徳三年本〕

朽葉地○[]羅袙練貫浮文○[綾]摺繪書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帶〔宝徳三年本〕

朽葉地紫羅袙練貫浮文綾摺絵書目結巻染村紺掻淺黄小袖同懸帯〔建部傳内本〕

_(クチ―)_(ウスモノ)(アコメ)_貫浮_綾摺繪_書目_(―ユイ)_染村_(ムラコウ)(カキ)浅黄(アサキ)ノ_袖同_(―ヲヒ)〔山田俊雄藏本〕

朽葉地(クチハジ)(ウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)浮文(ウキモン)ノ(アヤ)摺繪書(スリエカキ)目結(―ユイ)巻染(マキソメ)村紺掻(ムラコウカキ)浅黄(アサキ)ノ小袖同懸帶(カケ―)〔経覺筆本〕

朽葉-(クチハチ)_(ムラサキウスモノ)(アコメ)練貫(ネリヌキ)_(ウキモン)(アヤ)(スリ)_(ヱカキ)_(メユイ)_(マキソメ)_(ムラコウ)(カキ)__(アサキ)ノ_袖同懸_(カケヲヒ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「朽葉地」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

朽葉(クチバ) 。〔彩色136七〕

とあって、標記語を「朽葉」の語を収載する。次に広本節用集』には、

朽葉(クチバキユウヨフ)[上・入]。〔光彩門506六〕

とあって、標記語「朽葉」の語を収載し、その読みを「クチバヂ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

朽葉(クチバ)。〔・衣服160二〕〔・財宝131三〕〔・財宝146二〕

朽葉(クチハ)。〔・財宝120四〕

とあって、標記語「朽葉」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

朽葉(クチバ) 。〔衣服130七〕

とあって、標記語「朽葉」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「くちば」として、「朽葉」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

396唐--葉地-紫羅袙(ウスアコメ/キヌ) 藍染K也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「朽葉地」とし、その語注記は、未記載にする。

古版庭訓徃来註』では、

-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ朽葉地(クチバヂ) トハ。カラ物ナリ。〔下十四ウ三〕

とあって、この標記語「朽葉地」の語注記は、「から物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

朽葉地(くちばぢ)(むらさき)の羅(うすもの)朽葉地 朽葉とハ豎(たて)黄にして横(よこ)あかきなり。〔53オ四・五

とあって、標記語を「朽葉地」とし、語注記は、「朽葉とは、豎黄にして横あかきなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉地(くちば)(むらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅袙。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲朽葉ハ経(たて)ハ紅(くれない)(ぬき)ハ黄(き)にて織(を)るをいふ。〔39ウ四〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲朽葉ハ経(たて)ハ紅(くれなゐ)(ぬき)ハ黄(き)にて織(お)るをいふ。〔70ウ二〕

とあって、標記語「朽葉」の語注記は、「朽葉は、経は紅緯は黄にて織るをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cuchiba.クチバ(朽葉) すでに落ちかかっている古い木の葉で,やや赤黄色になったもの.〔邦訳160l〕

Cuchiba.l,cuchibairo.クチバ.または,クチバイロ(朽葉.または,朽葉色)赤みを帯びた色で,さらに金茶色,または,黄色がかった色.〔邦訳160l〕

Cuchiba iro.クチバイロ(朽葉色)Cuchiba(朽葉)の条を見よ.〔邦訳160l〕

とあって、標記語「朽葉」「朽葉色」の語を収載し、意味を「赤みを帯びた色で,さらに金茶色,または,黄色がかった色」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

くち-〔名〕【朽葉】(一)落葉(おちば)の、朽ちたるもの。源氏物語、四十六、總角59「岩隠れに積れる、もみぢのくち葉」(二)次條の語の略。〔0531-3〕

くちば-いろ〔名〕【朽葉色】染色の名、即ち、朽葉の色、黄にして、赤みある色。略して、くちば。赭黄。拾遺集、七、物名「くちばいろの折敷(をしき)宇津保物語、樓上、下68「くちばの裾濃(すそご)の几帳の、繍(ぬひもの)したる、立てて」。〔0531-3〕

とあって、標記語を「朽葉地」の語は未収載にして、ただ「朽葉」でその二の「朽葉色」の語をもって収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「くちば-じ【朽葉地】〔名〕布などの地色が朽葉色であるもの」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
室町を見めぐりけるに、からあやの狂文、唐衣。朽葉地。紫どんす、りんず、きんらん、錦、色々様々の美麗なる物共をつみかさね《『慶長見聞集』(1614年)二》 
 
2003年3月7日(金)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
唐衣(カラキヌ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

唐衣(―コロモ)韓衣() 。〔元亀本93六〕

唐衣(カラキヌ)韓衣() 。〔静嘉堂本116一〕

―衣(―コロモ)韓衣() 。〔天正十七年本上57オ三〕

韓衣(―コロモ) 。〔西來寺本165四〕

とあって、標記語「唐衣」と「韓衣」の二語に分けて収載し、その読みを静嘉堂本は「からきぬ」、元亀二年本及び天正十七年本・西來寺本は「からころも」とし、語注記は、「韓衣」の語の典拠として「万」すなわち、『万葉集』を記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ唐衣(―キヌ)〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ唐衣(―キヌ)〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)唐衣(―キヌ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、「(から)きぬ」と読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

背子(ハイ・カラキヌ) 婦人表衣也。〔黒川本・雜物上80オ七〕

背子 カラキヌ/婦人表衣也。〔卷第三・雜物210四〕

とあって、『倭名類聚抄』と同じ標記語である「背子」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「唐衣」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書のなかで唯一『運歩色葉集』がこの語を収載し、その訓みを「からころも」と「からきぬ」として、「唐衣」の語を収載する。これは、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

396--葉地-紫羅衵(ウスアコメ/キヌ) 藍染K也。〔謙堂文庫藏三九左E〕

とあって、標記語を「唐衣」とし、その語注記は、未記載にする。

古版庭訓徃来註』では、

-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ唐衣(カラキヌ) トハ。カラ物ナリ。〔下十四ウ三〕

とあって、この標記語「唐衣」の語注記は、「から物なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からぎぬ)唐綾狂文唐衣 狂文ハ色色(いろ/\)乃浮文(うきもん)なり。唐衣ハ腰より上はかりにして袖身(そでミ)よりせばし。〔53オ三・四

とあって、標記語を「唐衣」とし、語注記は、「唐衣は、腰より上ばかりにして、袖身よりせばし」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲唐衣ハ腰限(こしぎり)の衣服(いふく)にて袖(そで)身より狭(せば)し。十二単(ひとへ)の上に着(き)るもの也。〔39ウ三〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲唐衣ハ腰限(こしぎり)の衣服(いふく)にて袖(そで)身より狭(せば)し。十二単(ひとへ)の上に着(き)るもの也。〔70ウ三〕

とあって、標記語「唐衣」の語注記は、「唐衣は腰限の衣服にて袖身より狭し。十二単の上に着るものなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Caracoromo.カラコロモ(唐衣) シナの衣服.〔邦訳100l〕

とあって、標記語「唐衣」の語を収載し、意味を「シナの衣服」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

から-ぎぬ〔名〕【背子唐衣】〔からは、幹(體(からだ)にて、胴着(ドウギ)の意と云ふ〕貴婦人の大禮服。裳と共に着るを、男の束帶に准ず、錦、綾にて作り、袷(あはせ)にて五衣(いつぎぬ)の上に着る、袖幅、短く、前の丈は、衣の袖丈と同じく、背の丈は、それよりも短し。倭名抄、十二18「背子、形如半臂、無腰襴之袷衣也、婦人表衣、以錦爲之、加良岐沼枕草子、七、六十四段「男童(をのわらは)の着るやうに、なぞ、からぎぬは、短き衣とこそ言はめ」榮花物語、三十七、煙後「浮線綾の裳、からぎぬ松屋筆記、八十七「女官装束は、裳唐衣は、束帶に准ず」〔0438-4〕

とあって、標記語を「唐衣」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「から-ぎぬ【唐衣】〔名)〕(古くは「からきぬ」)中古、女子の朝服で上半身につける表衣(うわぎ)。唐様(からよう)の丈(たけ)の短い胴着とするが、平安以来、闕腋(わきあけ)で狭い袖をつけ、襟を外に折り返して着るのを特色とする。唐の御衣(おんぞ)。[語源説](1)もと唐国から伝わったところから〔東雅・和訓栞〕。(2)カラは体をいうカラ(幹)で、胴着の意〔筆の御霊・大言海〕」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
御文「今の問いかに。うしろめたうこそ。内に参りて、ただ今帰り出ではべりなむ。唐衣きてみることもうれしさをつつまば袖ぞほころびぬべきなかなかつつましとなむ、今日の心ちは」とあり。御返り「ここには、憂きことを嘆きしほどに唐衣袖は朽ちにき何につつまむ」と聞えたまへるを、あはれに思す。《『落窪物語』卷二》
 
2003年3月6日(木)晴れのち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
狂文(キヤウモン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「記」部に、元亀二年本は、脱語部分にあたり、静嘉堂本には「狂乱(キヤウラン)。狂人(―ジン)。狂女(―ヂヨ)。狂歌(―ガ)。狂起(キヤウキ)。狂雲(キヤウウン)。狂言(―ゲン)」の七語を収載し、標記語「狂文」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「狂文」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語を「狂文」の語を未収載にする。次に広本節用集』(文明年間成立)には、

狂文(キヤウモン/クルウ,フン・カザル・フミ)[平・平]。〔光彩門817八〕

とあって、標記語「狂文」の語を収載し、その読みを「キヤウモン」とし、その語注記は、未記載にする。 このように、上記当代の古辞書のうち広本節用集』にだけ訓みを「キヤウモン」として、「狂文」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物濃單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-(ビ)-(モスソ/モ)-- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「狂文」とし、その語注記は、「色々浮紋の有るを乱れ合せて云ふなり」と記載する。
古版庭訓徃来註』では、

-(カラアヤ)-(キヤウモン)唐衣(カラキヌ) トハ。カラ物ナリ。〔下十四ウ三〕

とあって、この標記語「狂文」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

唐綾(からあや)狂文(きやうもん)の唐衣(からぎぬ)唐綾狂文唐衣 狂文ハ色色(いろ/\)乃浮文(うきもん)なり。唐衣ハ腰より上はかりにして袖身(そでミ)よりせばし。〔53オ三・四

とあって、標記語を「狂文」とし、語注記は、「狂文は、色色の浮文なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲狂文とハ種々(いろ/\)乃浮文(うきもん)をいふ。〔39ウ三〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲狂文とハ種々(いろ/\)乃浮文(うき―)をいふ。〔70ウ一・二〕

とあって、標記語「狂文」の語注記は、「狂文とは、種々の浮文をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fio<mon.l,feo<mou.ヒャゥモン.または,ヘャゥモン(狂文) ある日本の絹の着物についている,四色から成る模様,または,絵.〔邦訳235r〕

とあって、標記語「狂文」の語を収載し、意味を「ある日本の絹の着物についている,四色から成る模様,または,絵.」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

きやうもん〔名〕【狂文】ひゃうもん(平文)の條を見よ。〔2021-3〕

とあって、標記語を「狂文」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「きょうもん【狂文】〔名〕種々の模様をまぜて表わしたもの。また、その織物」とあって、『庭訓往来』のこの語用例を記載する。
[ことばの実際]
からあやの狂文、唐衣、朽葉地、紫とんす、りんず、きんらん、錦、色々様々の美麗なる物共をつみかさね《『慶長見聞集』(1614年)二》 
 
唐綾(からあや)」ことばの溜池(2002.10.10)参照。
2003年3月5日(火)晴れ。東京(八王子)→静岡県清水町
(も)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、

(モスソ)。〔元亀本351一〕〔静嘉堂本422五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「もすそ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。標記語「裳」の訓みを経覺筆本だけが「もすそ」とし、他はすべて「も」としている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(シヤウ) (クン) 同/又作。〔黒川本・雜物下98四〕

/云常。/亦作。〔卷第十・雜物407三〕

とあって、標記語「」と「裙」の二語を収載する。訓みは「も」としている。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

() 以上三種律家(リツ(ケ))ノ之所也。〔絹布96七〕

とあって、標記語を「」の語注記は、「以上の三種は、律家の用いる所なり」と記載する。次に広本節用集』には、

(モ/モスソ)(モスソ・モ/シヤウ)[平]律家所用。〔絹布門1067四・五〕

とあって、標記語「裙」と「」の二語を収載し、その読みを「もすそ」と「も」とし、その語注記は、『下學集』を継承して「律家の用いる所」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(モスソ/モ) 律家所用。〔・財宝259七〕〔・財宝207九〕

(モスソ/モ) 律家所用。(モ/クン)。〔・財宝221六〕(モスソ) 母蘇尊。〔・國花合紀集抜書281二〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(モノスソ)()(/シヤウ)(モスソ/エイ)(同/シ) 衣下之裳。〔食服230二・三〕

とあって、標記語「裙」「裾」「」「裔」「齋」の五語をもって収載し、語注記は最後に「衣下之裳」と記載する。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「もすそ」と「も」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物濃單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

(ビ)-(せイカウ)ノ(モ) ハ。ハカマ同事。〔下十四ウ三〕

とあって、この標記語「」の語注記は、「はかま同じ事」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

美精好(びせいがう)(も)美精好 ハうるはしくこまやかなる絹(きぬ)にてしたる裳なり。裳ハ長さ一丈はかり幅(はヽ)、腰(こし)にて二尺四五寸あり。大腰に然帯をつけ、肩にをる。又小腰長さ四尺あまり引腰長さ六尺はかりに幅二寸はかりなるをつけを着る時五裳を附る。男子(なんし)の束帯(そくたい)のことし。〔52ウ四・五

とあって、標記語を「」とし、語注記は、「は、長さ一丈ばかり幅、腰にて二尺四五寸あり。大腰に然帯をつけ、肩にをる。また、小腰長さ四尺あまり、引腰長さ六尺ばかりに幅二寸ばかりなるをつけを着る時五裳を附る。男子の束帯のごとし」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲美精好ハうつくしき精好の絹(きぬ)にて製(せい)したる裳(も)也。爰(こゝ)にいふ裳ハ官女(くハんちよ)の装束(しやうぞく)也。長(たけ)一丈ばかり腰(こし)に結(むす)びて後(うしろ)ろへ曳(ひ)くもの。〔39ウ二・三〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲美精好ハうつくしき精好の絹にて制(せい)したる裳也。爰にいふ裳ハ官女(くハんぢよ)の装束(しやうぞく)なり。長(たけ)一丈ばかり腰(こし)にむすびて後(うしろ)ろへ曳(ひ)くもの。〔70オ六〜70ウ二〕

とあって、標記語「」の語注記は、「裳は、官女の装束なり。長一丈ばかり腰にむすびて後ろへ曳くもの」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mosuso.モスソ(裳裾) 着物の裾.〔邦訳424l〕

とあって、標記語「」の語を「もすそ」のみ収載し、意味を「着物の裾」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

〔名〕【】〔纏(ま)く意かと云ふ〕(一){昔、腰より下に着る衣。(裳に褶(ひをみ)、(即ち上裳(うはも)、裾、即ち下裳(したも)とあり)。續日本紀、九、承和七年三月の詔に「自今以後、云云、一裳之外、不重着」とあり。みも。倭名抄、十二19衣服類「上(表)曰裙、下(裏)曰、毛」(二重にはきて、上裳(うはも)、下裳(したも)と云ふ)神代紀、上21「天照大~、云云、縛(みも)袴」萬葉集、廿36長歌「美母の裾(すそ)抓みあげ」(防人の母に云ふ)。(二){腰部より後の方のみに覆ひ着る袴の如きものにて、襞深く、種種の繍物などを施す。五衣(いつつきぬ)、唐衣(からぎぬ)と共に、女房の大禮服とす。源氏物語、五十一、蜻蛉22「は、ただ今、我より上なる人なきにうちたゆみて、色もかへりざりければ」(三)僧侶の腰に着くるもの。玄蕃寮式「讀師法服、九條袈裟、云云、一腰」(四)布團(ふとん)の類。すべて下に用ゐるもの。即ち、衾(ふすま)は臥(ふし)も、氈(かも)は毛(け)も、筵(むしろ)はも代(しろ)、袴(はかま)は穿(はく)もの類なり。〔1998-5〕

とあって、標記語を「」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「も【】[一]〔名〕@古代、腰から下にまきつけた衣服の総称。A男子の礼服の時、表袴の上につけるもの。上は四幅、下は六幅であるものを一二襞に畳んで縫い着ける。上部に紐があって、着用する時は腰に引きまわし、前で引き違えて結ぶ。B宮廷奉仕の婦人、またそれに相当する貴族の婦人の正装の時、表着(うわぎ)や袿(うちき)の上に腰部より下の後方にだけまとう服。腰に当たる部分を大腰といい、左右に引腰と称する紐を長く垂れて装飾とし、別に紐を左右の腰の脇より下へまわして結んで止める。これを小腰という。C僧侶の腰につける衣」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
不空羂護摩同被行之。訓み下し不空羂護摩同ク之ヲ行ハル。《『吾妻鏡貞永元年十月十七日の条》 
 
2003年3月4日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
美精好(ビセイガウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部には、標記語「美精好」は未収載にし、「勢」部に、

×〔元亀本349六〕

精好(せイカウ)。〔静嘉堂本427一〕

とあって、標記語「精好」の語を収載し、その読みを「セイカウ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「美精好」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

精好(セイガウ) 。〔絹布95六〕

標記語を「精好」の語をもって収載する。次に広本節用集』には、

精好(せイガウ・クワシヽ,コノム/アキラカ,ヨシ)[平・去] 絹類。〔態藝門1085四〕

とあって、標記語「精好」の語を収載し、その読みを「セイガウ」とし、その語注記を「絹類」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

精好(セイガウ) 絹類。〔・財宝264五〕〔・財宝225八〕〔・財宝212六〕

鎧可着次第 ○三大口精好(セイカウ)・財宝96六〕

とあって、標記語「精好」の語を収載し、その語注記は「絹類」と記載する。また、易林本節用集』には、

精好(セイガウ) 。〔食服234七〕

とあって、標記語「精好」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「セイガウ」として、「精好」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物濃單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

精好―袈裟也。/精好ハ袈裟也。云加沙精好トヨムヘキ也。或説村上天王時ニ慈恵大師禁中ヘ細々御参アリテ縫ト云物ヲ見テ慈恵ノ素絹ヲツクリ始也。口傳アリ。〔国会図書館藏左貫注書込み〕

とあって、標記語を「美精好」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

(ビ)-(せイカウ)(モ) ハ。ハカマ同事。〔下十四ウ三〕

とあって、この標記語「美精好」の語注記は、「はかま同じ事」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

美精好(びせいがう)(も)美精-(せイカウ)(モ) ハうるはしくこまやかなる絹(きぬ)にてしたる裳なり。裳ハ長さ一丈はかり幅(はヽ)、腰(こし)にて二尺四五寸あり。大腰に然帯をつけ、肩にをる。又小腰長さ四尺あまり引腰長さ六尺はかりに幅二寸はかりなるをつけを着る時五裳を附る。男子(なんし)の束帯(そくたい)のことし。〔52ウ四・五

とあって、標記語を「美精好」とし、語注記は、「うるはしくこまやかなる絹にてしたる裳なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲美精好裳ハうつくしき精好の絹(きぬ)にて製(せい)したる裳(も)也。爰(こゝ)にいふ裳ハ官女(くハんちよ)の装束(しやうぞく)也。長(たけ)一丈ばかり腰(こし)に結(むす)びて後(うしろ)ろへ曳(ひ)くもの。〔39ウ二・三〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲美精好裳ハうつくしき精好の絹にて制(せい)したる裳也。爰にいふ裳ハ官女(くハんぢよ)の装束(しやうぞく)なり。長(たけ)一丈ばかり腰(こし)にむすびて後(うしろ)ろへ曳(ひ)くもの。〔70オ六〜70ウ二〕

とあって、標記語「美精好」の語注記は、「美精好の裳は、うつくしき精好の絹にて制したる裳なり。爰にいふ裳は、官女の装束なり。長一丈ばかり腰にむすびて後ろへ曳くもの」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「美精好」の語を未収載にする。そして「精好」の語で、

Xeigo<.セイガゥ(精好) 絹(Quinu)と呼ばれる織物の一種.〔邦訳745l〕

とあって、標記語「精好」の語を収載し、意味を「絹(Quinu)と呼ばれる織物の一種」とする。※「精好」については、ことばの溜池「丹後精好」(2001.11.26)参照。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

びせいがう〔名〕【美精好】(一)美しき精好織。庭訓往来、七月「美精好裳」孕常磐(寳永、近松作)一「そぞろ浮き立つ出立は、赤地の錦の着長に、美精好の大口、重代の御佩刀」。〔1666-2〕

とあって、標記語を「美精好」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「びせいごう【美精好】〔名〕美しき精好織」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
此外兼被納御塗篭物等美精好絹五十疋、美絹二百疋、怙絹二百疋、紺絹二百端、紫五十端、系千兩、綿二千兩、檀紙三百怙、厚紙二百怙、中紙千帖、次被納御厨子中物、砂金百兩、南庭十兩、次御服二重訓み下し此ノ外兼テ御塗篭ニ納レラルル物等、美精好(ビセイガウ)ノ絹五十疋、美絹二百疋、帖絹二百疋、紺ノ絹二百端、紫五十端、糸千両、綿二千両、檀紙三百帖、厚紙二百帖、中紙千帖、次ニ御厨子ノ中ニ納レラルル物、砂金百両、南庭十両、次ニ御服二重。《『吾妻鏡建長四年四月一日の条》 
 
2003年3月3日(月)晴れのち雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
濃紅袴(こきくれなゐのはかま)」※「はかま【袴】」については、他にことばの溜池「鎖袴」(2002.10.28)を参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部と「波」部に、

濃紅(コイクレナイ)。〔元亀本233五〕 (ハカマ)。〔元亀本34九〕

濃紅(コイクレナイ)。〔静嘉堂本268六〕 (ハカマ)。〔静嘉堂本37一〕

濃紅(コイクレナイ)。〔天正十七年本中63オ四〕 (ハカマ)。〔天正十七年本上19オ六〕

とあって、標記語「濃紅」と「」の二語に分けて収載し、その読みを「こいくれない」と「はかま」とし、いずれも語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。此語の訓みは、「こいくれない」と「こきくれない」との二種が見られる。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

コシ。色―/又コマヤカ也。〔黒川本・光彩下6ウ四〕

コシ。色―亦コマヤカナリ。〔卷第七・光彩141四〕

クレナヰ/戸公反。〔黒川本・光彩中76ウ一〕

クレアヰ 同/俗用。尓雅云染謂之―今之紅也。〔卷第六・光彩419一〕

(コ) ハカマ。又作(シウ) 同/短衣也。〔黒川本・言語112五〕

ハカマ 短衣也。已上同。〔卷第一・雜物177四〕

とあって、標記語「」「」と「」の三語に分けて収載し、語注記は未記載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「濃紅袴」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(コク/ヂヨウ,コマヤカ)[平]。〔態藝門28二〕

(クレナイ/コウ)[平]。〔光彩門506六〕

(ハカマ/)[去]。(同/)[去]。(同/タウ)[平]。〔絹布門58八〕

とあって、標記語「」「」と「」の三語に分けて収載し、その読みを「こく」「くれない」「はかま」とし、その語注記は、いずれも未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(コキ/コマヤカナリ) 色。〔・言語進退189四〕

(コキ) コマヤカ也/色。〔・言語157一〕

(コキ) 色―/コマヤカ也。・言語146五〕

(クレナイ)。〔・言語進退160五〕〔・言語進退133一〕〔・言語122二〕〔・言語・148五〕

(ハカマ)。〔・財宝21一〕〔・財宝19三〕〔・財宝17七〕〔・財宝21八〕

とあって、標記語「」「」と「」の三語に分けて収載し、その読みを「こき」「くれない」「はかま」とし、その語注記は、未記載にする。また、易林本節用集』には、

濃淺黄(コヒアサギ) ―紅(クレナイ)。〔食服155七〕

とあって、標記語「濃淺黄」の語をもってその語注記に冠頭字「濃」の熟語群として「濃紅袴」の語を記載する。
 このように、上記当代の古辞書には、「濃紅」の語を『運歩色葉集』と天正十八年本節用集』・易林本節用集』が収載し、他の古辞書は、「」「」と「」の三語に分けて収載する。また、「」の語は同じく全ての古辞書に収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-物濃單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

濃紅袴 ヒシホノ袴ト云也。同表紅也。〔静嘉堂本『庭訓徃來抄』古写冠頭書込み〕

とあって、標記語を「濃紅袴」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

濃紅(コキクレナヒ)(ハカマ) ハ内裏(だいり)仙洞(せんとう)ノスマヰスル人著(キ)ルナリ。千入ノハカマ是也。ウラヲ白ク表(ヲモ)テハ練(ネリ)ヲ飽(アク)マテ紅(クレナヒ)ニソムルナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「濃紅袴」の語注記は、「内裏・仙洞のすまひする人著るなり。千入のはかま是なり。うらを白く表ては練を飽くまで紅にそむるなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

隔子(かうし)の織物(おりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)隔子織物單衣濃紅 皆女房達の装束(しやうそく)也。単衣ハ下(した)ぎなり。其上に五衣(いつゝきぬ)其上に表着(うハき)其上に唐衣(からきぬ)を着る也。但し五つ衣又七つ衣あり。春(はる)(ふゆ)ハ八つも九つも十も重(かさね)ると也。濃紅の袴ハ千入(ちしほ)の袴乃事なり。表ハへにゝして裏ハ白なり。〔52ウ六〜八

とあって、標記語を「濃紅袴」とし、語注記は、「濃紅袴は、千入の袴の事なり。表はへにゝして、裏は白なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)單衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲濃紅袴ハ千入(ちしほ)の袴ともいふ。表(おもて)ハ真紅(しんく)にて裏(うら)ハ白し。〔39オ四〜39ウ二〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲濃紅袴ハ千入(ちしほ)の袴ともいふ。表(おもて)ハ真紅(しんく)にて裏(うら)ハ白し。〔69ウ五〜70オ六〕

とあって、標記語「濃紅袴」の語注記は、「濃紅袴は、千入の袴ともいふ。表は、真紅にて裏は、白し」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Coicurenai.コイクレナイ(濃紅) 非常に深い紅色.〔邦訳142l〕

†Facama.ハカマ(袴) 半ズボン〔袴〕,または,ズボンの下.§Facamano coxi.(袴の腰)日本の袴の後ろの側にある,あの薄板.§Facamano machi.(袴の襠)袴の両脚の間の所にさし加える布ぎれ.§Facamano mayegoxi.(袴の前腰)袴の前面の腰に接する部分.§Facamano qiguiua.(袴の着際)袴を着用した時に袴〔の上端〕が届いて腰に接する所.§Facamano ixizzuqi.(袴の石突)袴の裾,あるいは,末端.§Facamano soba.(袴の稜)例,Facamano sobauo toru.(袴の稜を取る)袴の横脇の部分を取って帶にはさむ.§Facamano vxirouobi.(袴の後帯)後ろの方で結ぶための〔袴の〕紐.※原文のCalcoesはcalca~oの複数形.calca~oは,腰から膝,または,膝の少し下までの男性用半ズボンを指す.当時のcalca~oは,大体“袴”に似ているが,股に密着してゆとりがなく,横脇のあきまや腰板に当たるものがないなど,種々の違いがあるけれども,他に適切な語がないので,早くからこの語を日本の“袴”にあてて用いている. 原文のCiroulasはceroulasに同じ.ズボンの下に着用する衣類で,麻や木綿やリンネルで作ったズボン下,下着を指す.“袴”の類に“肌袴”や“股引”もあるので,“袴”を総括的に説明するために,このciroulasを付け加えたものか.別条Fadacamaにはこの語の用例がある.→Fumicucumi,u;Saqeyabure,ru;Yeboxi camiximo.〔邦訳192r〕

とあって、標記語「濃紅袴」の語を収載し、意味を「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「こきくれなゐ〔名〕【濃紅】」「くれなゐのはかま〔名〕【紅袴】」の語は未収載にする。

こき〔形〕【】濃(こ)しの連體形、其條を見よ。〔0656-2〕

くれなゐ〔名〕【】〔呉(くれ)の藍(あゐ)の約、其條を見よ〕(一)すゑつむはな。紅花(べにばな)萬葉集、十一46「紅(くれなゐ)の、花にしあらば、衣手に、染めつけ持ちて、往(い)ぬべくおもほゆ」(二)紅花(べにばな)の汁にて染め成したる色。赤くして、鮮(あざや)かなる色。(紅花(べにばな)、及、紅(べに)の條を見よ)萬葉集、五21「久禮奈爲の、裳(も)の裾濡れて」同、十一24「呉藍(くれなゐ)の、八鹽(やしほ)の衣」(三)此語、色(いろ)、移(うつ)す、など云ふ語の序(ジヨ)に用ゐらる。萬葉集、四44「物言ひの、恐(かしこ)き國ぞ、紅の、色に莫(な)(い)でそ、思ひ死ぬとも」同、七33「言痛(ごちた)くば、左右(かもかも)せむを、紅の、移し心や、妹に逢はざらむ」。〔0561-5〕

はかま〔名〕【】〔穿裳(はきも)の轉。衾(ふすま)の臥裳(ふすも)の轉なるが如し〕(一){腰脚を絡(まと)ふ衣。古きは、陰處を掩ふものにて、製、猿股引の如きものか、後に、はだばかま(膚袴)と云ふものならむ。褌。神代紀、上14「投其褌(はかま)、是謂開噛~」崇~紀、十年九月「屎漏于褌、乃脱甲而逃之」雄略即位前紀「臣の子は、栲(たへ)の婆伽摩を、七重をし、庭に立たして、あゆひなたすも」履中即位前紀「爲我殺皇子、吾必敦報汝、乃脱衣褌(きぬはかま)與之」(上(かみ)衣、下(しも)褌なり)。(二){後に、專ら、衣の上に用ゐて、腰より兩脚まで被ふべく寛く作れる衣。紐にて腰に約し、二脚に當る所、分れて袋の如し。表(うへ)の袴、指貫(さしぬき)の袴あり。又、長袴、半袴、馬乘袴、行燈(アンドン)袴等あり。各條に註す。袴。倭名抄、十二19衣服類「袴、八賀萬、脛上衣名也」(三)植物の莖などを絡(まと)ふ寛(ゆる)き皮。苞。藁の袴、稲莖の(はかま)、土筆の花(はかま)なども、此類なるべし。書字考節用集、六、生植門「苞、ハカマ、黄衣也」(四)方、又は、圓の小さき匣を酒瓶(とくり)の座とするもの。蜀山百首「世の中は、扨もせはしき、酒の燗、ちろりのはかま、きたりぬいだり」。〔1565-1〕

とあって、標記語を「」「」「」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「こいくれない【濃紅】〔名〕くれない色みら濃いもの。濃きくれない。深紅(しんく)」標記語「はかま【】[一]〔他サ五(四)〕@とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
 
2003年3月2日(日)曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
單衣(ひとへきぬ・うすきぬ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「飛」部に、標記語「單衣」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。このなかで、経覺筆本が「單物」と記載している。他は「單衣」と記載する。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

單衣(タンイ) ヒトヘキヌ/都寒反。〔黒川本・雜物下90オ八〕

單衣 ヒトヘキヌ。同。〔卷第九・雜物342四〕

とあって、十巻本に、標記語「單衣」の語を「ひとへきぬ」と訓み収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「單衣」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、ア部の

襖單衫(アウタンザン/フスマ,ヒトヱ,カタビラ)[上・平・平]云生(スヽシ)ノ單絹(ヒトヱキヌ)。〔絹布門748八〕

とあって、標記語「襖單衫」の語注記中に「ひとゑきぬ」で「單絹」とし記載が見える。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ヒトヘ)(同)。〔・言語219六〕

(ヒトヘ)(同)。〔・言語204七〕

とあって、言語門に標記語「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

單衣(ヒトヘギヌ) 。〔食服224六〕

とあって、標記語「單衣」の語をもって収載し、訓みを「ひとへぎぬ」とし、語注記は未記載にする。
 このように、上記の古辞書のうち、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』、易林本節用集』に、訓みを「ひとへぎぬ」として、「單衣」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。そして、『運歩色葉集』や広本節用集』には継承されていない語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「單衣」とし、訓みは「うすぎぬ」とあり、その語注記は未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)ノ織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「單衣」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

隔子(かうし)の織物(おりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)隔子織物單衣濃紅 皆女房達の装束(しやうそく)也。単衣ハ下(した)ぎなり。其上に五衣(いつゝきぬ)其上に表着(うハき)其上に唐衣(からきぬ)を着る也。但し五つ衣又七つ衣あり。春(はる)(ふゆ)ハ八つも九つも十も重(かさね)ると也。濃紅の袴ハ千入(ちしほ)の袴乃事なり。表ハへにゝして裏ハ白なり。〔52ウ六〜八

とあって、標記語を「單衣」とし、語注記は、「單衣は、下ぎなり。其上に五衣其上に表着、其上に唐衣を着るなり。但し、五つ衣、また、七つ衣あり。春冬は、八つも九つも十も重ねるとなり也」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲単衣ハ下着(したぎ)也。〔39オ四〜39ウ二〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲単衣ハ下着(したぎ)也。〔69ウ五〜70オ四〕

とあって、標記語「單衣」の語注記は、「単衣は、下着なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「單衣」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ひとへぎぬ〔名〕【單衣】〔一重衣の義。禮記、玉藻篇、注「襌、有衣裳而無裏」〕(一){衣の一重にて裏なきもの。ひとへもの。ひとへごろも。倭名抄、十二19衣服類「單衣、比止閉岐沼」齊明紀、六年三月「從一船裏二老翁、廻行熟視積綵帛等物、便換着單衫(ひとへぎぬ)、各提布一端、乗船還去」涙をもらしおとしても、いとはづかしく、つつましげにまぎらはしかくして」(二)略して、ひとへ。装束の下に重ねて着る衣の名。表着(うはぎ)の色に因りて、其色に定めあり。地は綾にて、張り、又は、板引にす。若年は重菱の紋、老年は遠菱、極老は白き色、四季共に着用すとぞ。後照念院殿装束抄單衣、云云、束帶下赤張單衣事」北山抄、九、羽林要抄「相撲召合、云云、就中御覽之日、上臈亞相、於御前勸盃、無單衣身、還似無禮、然而存故實、遺悋惜之名乎」頼信卿記「享保二十年四月一日庚午、巳刻仙洞着御御衣冠、云云、御衣、裏山吹、御單(豎菱紅)、御鎭守御奉幣相濟後入御十一月三日戌戌、御即位、依之院御幸、着御赤色御袍(菊)、麹塵御衣(裏山吹、下同事)、紅御(堅菱)」。〔1681-5〕

とあって、標記語を「單衣」を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ひとへぎぬ【單衣】[一]〔名〕@裏地のついていない衣服。A装束の下の肌着、または肌小袖の上につける裏なしの衣(きぬ)。女子は袴の上につけるので裾を長く引き、男子は袴に着こめるので裾を短く仕立てるのを普通とした」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。

[ことばの実際]
單衣ヒトヘキヌ 釋名云衣無裏曰單 々夜比止閉岐奴/謂衣則袴可知之。《十卷本倭名類聚抄』(934年頃)卷四・国立歴史博物館藏176六》
下於中御所西對渡廊立屏風、被著所賜之御衣〈浮線綾狩御衣、紫浮織物御奴袴、蘇芳二袙紅單衣〉則又被參簾中訓み下し中ノ御所ノ西ノ対ノ渡リ廊ニ於テ、屏風ヲ立テ、賜フ所ノ御衣ヲ著セラル。〈浮線綾狩御衣、紫ノ浮織物御奴袴、蘇芳二袙紅ノ単衣〉則チ又簾中ニ参ラル。《『吾妻鏡』の条》 
 
2003年3月1日(土)曇り後雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
織物(をりもの)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「遠」部に、

織物(ヲリモノ)。〔元亀本77七〕〔静嘉堂本94八〕〔天正十七年本上47オ五〕

とあって、標記語「織物」の語を収載し、その読みを「ヲリモノ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月五日の状に、

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔至徳三年本〕

紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文之唐衣〔宝徳三年本〕

紅葉重楊薄紅梅色々筋小袖隔子織物単衣濃紅袴美精好裳唐綾狂文唐衣〔建部傳内本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)ノ之唐衣〔山田俊雄藏本〕

紅葉重(モミチ―)楊裏(ヤナキウラ)薄紅梅(ウス―)色々(スチ)ノ小袖隔子(カウ―)ノ-(ヲリ―)單物(ヒトヘモノ)濃紅(コキ―)ノ袴美(ビ)精好(モスソ)-(カラアヤ)-(キヤウモン)ノ之唐衣〔経覺筆本〕

-葉重(モミチカサネ)-(ヤナキウラ)--(ウスコウハイ)色々(スチ)ノ小袖(コソテ)隔子(カウシ)ノ-(ヲリ―)單衣(ヒトヘノキヌ)-(コイクレナイ)ノ(ハカマ)(ビ)-(せイカウ)(モ)-(カラアヤ)-(ヒヤウノモン)之唐衣〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(キ) ヲリモノ 同。織物 同/用也。〔黒川本・雑物上66オ七〕

織物 已上同。〔卷第三・雜物78一・二〕

とあって、十巻本に、標記語「」「」「織物」の語を収載する。

 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「織物」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

織物(ヲリモノシヨクフツ)[○・入]。〔絹布門214二〕

とあって、標記語「織物」の語を収載し、その読みを「ヲリモノ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

織物(ヲリモノ)。〔・財宝64四〕〔・財宝65七〕〔・財物60一〕〔・財寳70五〕

とあって、標記語「織物」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

織物(ヲリモノ) 衣服。〔財宝62四〕

とあって、標記語「織物」の語をもって収載し、語注記は「衣服」と記載する。
 このように、上記当代の古辞書には訓みを「をりもの」として、「織物」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本にも見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

395抑来廿日比勝-負之-候爲-キ∨-葉重楊(ヤナキ)-裡薄--梅色々筋小袖小-隔子(カウ―)ノ-單衣(ウスキヌ)-(コキ―)ノ-袴美(ビ)-(モスソ/モ)-綾狂- 色々有浮紋乱合云也。〔謙堂文庫藏三九左B〕

とあって、標記語を「織物」とし、その語注記は、未記載にする。
古版庭訓徃来註』では、

楊裏(ヤナギウラ)薄紅梅(ウスコウバイ)色々(スジ)ノ小袖隔子(カウシ)ノ織物(ヲリモノ)單衣(ヒトヘギヌ) 楊裏(やなぎうら)トハ。表(ヲモテ)ハ黄色(キイロ)ニテ裏(ウラ)ノ青(アヲ)ク(キ)ナルヲ云ナリ。〔下十四ウ一・二〕

とあって、この標記語「織物」の語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

隔子(かうし)織物(おりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)隔子織物單衣濃紅 皆女房達の装束(しやうそく)也。単衣ハ下(した)ぎなり。其上に五衣(いつゝきぬ)其上に表着(うハき)其上に唐衣(からきぬ)を着る也。但し五つ衣又七つ衣あり。春(はる)(ふゆ)ハ八つも九つも十も重(かさね)ると也。濃紅の袴ハ千入(ちしほ)の袴乃事なり。表ハへにゝして裏ハ白なり。〔52ウ六〜八

とあって、標記語を「織物」とし、語注記は、「織物とは、上は白く下ハ赤し」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

紅葉重(もみちがさ)ね楊裏(やなぎうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろ/\)の筋小袖(すぢこそで)隔子織物(かうしをりもの)単衣(ひとへきぬ)濃紅(こきくれない)の袴(はかま)美精好(びせいこう)の裳(も)唐綾(からあや)経狂文(きやうもん)乃唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)地紫(ぢむらさき)の羅(うすもの)(あこめ)練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の綾摺(あやすり)繪書(ゑか)き目結(めゆひ)卷染(まきそめ)村紺掻(むらこうかき)淺黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)紅葉重楊裏薄紅梅色々筋小袖隔子織物單衣美精好裳唐綾狂文唐衣朽葉地紫羅衵。練貫浮文摺繪書目結巻染村紺掻浅黄小袖同懸帶。▲隔子織物ハ碁(ぐ)の目に織(をり)なしたる絹(きぬ)をいふ。〔39オ四〜39ウ一〕

紅葉重(もみちかさね)楊裏(やなきうら)薄紅梅(うすこうばい)色々(いろいろ)の筋小袖(すぢこそで)隔子(かうし)織物(おりもの)單衣(ひとへぎぬ)(こ)(くれなゐ)の(はかま)美精好(びせいかう)の(も)唐綾(からあや)狂文(きやうもん)唐衣(からきぬ)朽葉(くちば)(ぢ)(むらさき)の(うすもの)(あこめ)。練貫(ねりぬき)浮文(うきもん)の(あや)摺繪書(すゑかき)目結(めゆひ)巻染(まきぞめ)村紺掻(むらこんかき)浅黄(あさぎ)小袖(こそで)(おなじ)く懸帶(かけおび)。▲隔子織物ハ碁(ぐ)の目に織(をり)なしたる絹(きぬ)をいふ。〔69ウ五〜70オ四〕

とあって、標記語「織物」の語注記は、「隔子織物は、碁の目に織りなしたる絹をいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vorimono.ヲリモノ(織物) 日本で織られる絹織物の一種.〔邦訳718l〕

とあって、標記語「織物」の語を収載し、意味を「日本で織られる絹織物の一種」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ヲリモノ〔名〕【織物】(一)木綿、絹、麻等、すべて、絲を機にかけて織り成せる物の稱。布帛。(二){絹布に、多く文(あや)あるものの稱。綾。竹取物語「いふべくもあらぬ綾おり物に、繪をかきて」。〔0330-4〕

とあって、標記語を「織物」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「おり−もの【織物】〔名〕@糸を機(はた)にかけて織った布の総称。絹織物、毛織物、木綿織物など。Aさまざまの紋様を浮き出すように織った絹の布。または、それで仕立てた衣服。綾織物。綾。昔、宮中で着用する場合は、上級女房以上に限られていた」とあって、『庭訓往来』の語用例を未記載にする。
[ことばの実際]
堅文織物奴袴、出薄色紅梅褂、訓み下し堅文ノ織物(ヲリモノ)奴ノ袴、薄色紅梅ノ褂ヲ出ス《『吾妻鏡建久元年十二月二日の条》 
 
 
 

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