2003年04月01日から04月30日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 
2003年4月30日(水)晴れ一時雨のち曇り。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
直綴(ヂキトツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

直綴(―ドツ) 。〔元亀二年本67八〕

直綴(―トツ) 。〔静嘉堂本79八〕

(―トツ) 。〔天正十七年本上40オ四〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「直綴」もしくは「」の表記で収載し、訓みを「ヂキトツ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古写本中、訓みを「モウス」としているのは山田俊雄藏本であり、「ボウシ」としているのは文明本であり、その訓みに異同が見られる語である。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「直綴」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(ヂキトツ) 也。〔絹布門96六〕

とあって、標記語「直綴」の語を収載し、語注記に「は、或は綴に作す」と記載する。次に広本節用集』には、

直綴(ヂキトツナヲシ、ツヾル)[上入・入] 。〔絹布門162二〕

とあって、標記語「直綴」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

直綴(ヂキトツ) 衣。〔・財宝門50五〕〔・財宝門47五〕〔・財宝門56二〕

直綴(ヂキトツ) 。〔・財宝門52二〕

とあって、標記語「直綴」の語を収載し、訓みを「ヂキトツ」とし、語注記は三本に「衣」と記載する。また、易林本節用集』に、

直綴(チキトツ) 。〔食服門50四〕

とあって、標記語「直綴」の語を収載し、訓みは「チキトツ」とする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ヂキトツ」として、「直綴」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

419帽子直綴 昔衣裳別爲也。今爲也。〔謙堂文庫藏四一右E〕

とあって、標記語を「直綴」とし、その語注記は、「に同じ昔衣と裳と別に爲すなり。今は一に爲すなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水精(すいしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「直綴」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

直綴(じきとつ)直綴 古ハ褊衫(へんさん)裙子(くんし)とて上下(かみしも)にわかりた居(い)しを後に一ツにつらねて直綴とすみじかき衣なり。〔55ウ七〜八

とあって、標記語を「直綴」とし、語注記は、「古は、褊衫・裙子とて上下にわかりた居しを後に一つにつらねて直綴とす、みじかき衣なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲直綴ハ今の僧衣(そうえ)也。昔ハ褊衫(へんさん)裙子(くんす)とて上下別(べつ)なりしを後世(こうせい)つらねて直綴(ちきとづ)と名(なつ)く。今(いま)(ぞく)に十徳(しつとく)といふハ褊衫(へんさん)の事なるに又直綴(ぢきとつ)の音(こゑ)を訛(よミなま)りて十徳といふハ弥(いよいよ)(あやま)れる也。〔41ウ六〜七〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(ヂキトツ)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲直綴ハ今の僧衣(そうい)也。昔ハ褊衫(へんさん)裙子(くんす)とて上下別(べつ)なりしを後世(こうせい)つらねて直綴(ぢきとづ)と名(なづ)く。今俗(ぞく)に十徳(じつとく)といふハ褊衫(へんさん)の事なるに又直綴(ぢきとづ)の音(こゑ)を訛(よミなま)りて十徳(じつとく)といふハ弥(いよいよ)(あやま)れる也。〔74オ六〜ウ一〕

とあって、標記語「直綴」の語とし、語注記は、「直綴は、今の僧衣なり。昔は、褊衫・裙子とて上下別なりしを後世つらねて直綴と名く。今俗に十徳といふは、褊衫の事なるに、また、直綴の音を訛りて十徳といふは、弥誤れるなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Giqitot.ヂキトツ(直綴) 坊主(Bonzos)が上に重ねて着る着物,または,僧衣.〔邦訳317r〕

とあって、標記語「直綴」の語を収載し、意味を「坊主(Bonzos)が上に重ねて着る着物,または,僧衣」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ヂキ-トツ〔名〕【直綴】〔上衣の偏衫(へんさん)と、下衣の裙子(こしごろも)とを、直に綴り合はせたるもの〕僧の服の名。即ち、普通の法衣(ころも)なり、腰以下にひだあり。衣服の上に着る。道服の如し。勅修百丈清規、五「直綴、相傳、前輩、見僧有偏衫而無裙、有裙而無偏衫、遂合二衣直綴園太暦、延久四年四月十五日「公賢大臣、脱直衣、次着法衣、墨染大直綴也、其色濃」〔1262-1〕

とあって、標記語を「直綴」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じき-とつ直綴】〔名〕(「とつ」は「綴」「」の慣用音。上衣の偏衫(へんさん)と下衣の裙子(くんす)とを直接つづり合わせたところからという)上衣に裳をとじつけて着用を簡便にした略儀の僧服。じきてつ。」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
しかあるを、いづれの字にわが直綴(トツ)はおけりとわすれず、みだらざるを記號といふなり。《『正法眼蔵』三192,洗浄,十一23オC》
 
2003年4月29日(火)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→日本橋(高島屋)
帽子(モウス)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

帽子(ホウシ) 。〔元亀二年本44四〕

帽子(――) 。〔静嘉堂本49四〕

帽子(―シ) 。〔天正十七年本上25ウ三〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「帽子」を収載し、訓みを「ホウシ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古写本中、訓みを「モウス」としているのは山田俊雄藏本であり、「ボウシ」としているのは文明本であり、その訓みに異同が見られる語である。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「帽子」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

帽子(モウス) 。〔絹布門97一〕

とあって、標記語「帽子」の語を収載する。次に広本節用集』には、

帽子(モウスホウ―、ヲヽウ,コ) 。又云烏帽(ウホウ)。〔絹布門1067三〕

とあって、標記語「帽子」の語を収載し、語注記には「又云○○」の形式で「烏帽」の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

帽子(モウス) 。〔・財宝門259五〕〔・財宝門207九〕

帽子(モウス/ボウシ) 。〔・財宝門221六〕 帽子(ボウシ/モウス) 。〔・財宝門32三〕

とあって、標記語「帽子」の語を収載し、訓みを永祿二年本は、「モウス」と「ボウシ」併用表記する。また、易林本節用集』に、

帽子(モウス) 。〔食服門230二〕

とあって、標記語「帽子」の語を収載し、訓みは「モウス」とする。

 このように、上記当代の古辞書での訓みを「モウス」「ボウシ」として、「帽子」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

419帽子直綴 昔衣裳別爲也。今爲也。〔謙堂文庫藏四一右E〕

とあって、標記語を「帽子」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水精(すいしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「帽子」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

帽子(もうす)帽子 頭にかふるもの也。唐僧(とうそう)雨を祈(いの)る時炎天(ゑんてん)に頭(かうべ)あつかりしゆへ則天皇后(そくてんくハうこう)御衣(ぎよい)の袖(そて)を裂(さき)て頭に着せ玉ひしより帽子(もうす)始りしと也。〔55ウ六〜七

とあって、標記語を「帽子」とし、語注記は、「頭にかぶるものなり。唐僧雨を祈る時、炎天に頭あつかりしゆへ則天皇后御衣の袖を裂きて頭に着せたまひしより帽子始りしとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲帽子ハ僧(そう)の頭(かしら)に被(かぶ)るもの其制(せい)一ならず共に頭巾(づきん)の類也〔41ウ六〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲帽子ハ僧(そう)の頭(かしら)に被(かぶ)るもの其制(せい)一ならず共に頭巾(づきん)の類也〔74オ一〜五〕

とあって、標記語「帽子」の語とし、語注記は、「帽子は、僧の頭に被るもの其制一ならず、共に頭巾の類なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Bo>xi.ボウシ(帽子) Cazzuqu mono.(被く物)頭にかぶるもの,あるいは,頭を縛るもので,つばつき帽子,とんがり帽子,頭巾や,かぶり布など.§Vatabo>xi(綿帽子)真綿製の頭に巻く布.§Bina~bo>xi(美男帽子)踊りを踊る人とか外出する時の婦人とかが頭に縛る一種のタオルで,先端を長く垂らしておくもの.※原文はそれぞれ1)chapeo,2)carapuca,3)barrete.〔邦訳62r〕

Mo>su.モウス(帽子) 禅宗僧(Lenxus)が仏事の時とか人前に出る時とかにかぶるある種の頭巾.〔邦訳424l〕

とあって、標記語「帽子」の語を収載し、意味を「(被く物)頭にかぶるもの,あるいは,頭を縛るもので,つばつき帽子,とんがり帽子,頭巾や,かぶり布など」と「禅宗僧(Lenxus)が仏事の時とか人前に出る時とかにかぶるある種の頭巾」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

モウ-〔名〕【帽子】〔まうすの轉〕まうす(帽子)に同じ。下學集、下、絹布門「帽子、モウス」易林本節用集(慶長)下、食服門「帽子、モウス」〔1998-3〕

とあって、標記語を「帽子」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「もう-帽子】〔名〕(「もう」は「帽」の呉音。「す」は「子」の唐宋音)禅宗で、僧がかぶる頭巾(ずきん)の一つ。形は一定しない」とあって、『庭訓往来』の語用例を記載する。
[ことばの実際]
〈御帽子役〉中務權少輔重教。《訓み下し》〈御帽子ノ役ハ〉中務権ノ少輔重教《『吾妻鏡』文応二年正月七日の条》
 
2003年4月28日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
念珠(ネンジユ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「祢」部に、「念佛(ネンブツ)。念願(―グワン)。念比(―ヒ)。念力(―リキ)。念誦(―ジユ)。念者(―シヤ)。念食(―ジキ)。念々(ネン/\)」とあって、標記語「念珠」を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。古写本中、「念珠」としているのは、至徳三年本と経覺筆本のみで他本は、宝徳三年本・文明本・山田俊雄藏本の「数{數}珠・珠数」若しくは、建部傳内本の未記載というように諸本の表記に異同が見られる語である。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「念珠」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「念珠」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ネンジュ」として、「念珠」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

418水精半装束念珠 珠数同也。〔謙堂文庫藏四一右E〕

とあって、標記語を「念珠」とし、その語注記は、「珠数に同じなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

水精(すいしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「念珠」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)念珠(ねんしゆ)香爐水精半装束念珠 念珠ハ数珠(じゆす)の事也。仏を念(ねん)する故念珠と云。数取(かすとり)にするゆへ珠数とも云。惣水精(そうすいしやう)は位(くらい)乃珠数なりとそ。〔55ウ四・五

とあって、標記語を「念珠」とし、語注記は、「念珠は、数珠の事なり。仏を念ずる故、念珠と云ふ。数取にするゆへ珠数とも云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲半裝束念珠ハ半(はん)分水晶(しやう)をつなぎたる数珠(しゆす)也。〔41オ三〜41ウ六〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲半裝束念珠ハ半分(はんふん)水晶(すゐしやう)をつなぎたる数珠(じゆず)也。〔74オ一〜五〕

とあって、標記語「念珠」の語とし、語注記は、「半裝束念珠は、半分水晶をつなぎたる数珠なり」と記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nenju.ネンジユ(念珠) Vomo> tama.(念ふ珠)ゼンチョ(gentios 異教徒)の数珠.§Nenju uo teni curu.l,Nenjyu uo tcumaguru.(念珠を手に繰る,または,念珠を爪繰る)数珠をもって祈りを唱える.〔邦訳458l〕

とあって、標記語「念珠」の語を収載し、意味を「念ふ珠、ゼンチョ(gentios 異教徒)の数珠」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねん-じゅ〔名〕【念珠】〔一顆を爪繰る毎に佛を念ずるより云ふ〕ずず(數珠)に同じ。ネンズ。おもひのたま。倭名抄、十三2僧坊具「念珠、一云、數珠」字類抄念珠、ネンジユ」舊唐書、李輔國傳「輔國不暈血、常爲僧行、視事之隙、手持念珠宇治拾遺物語、一、第六條「不動袈裟といふ袈裟かけて、木練子の念珠の大きなる、繰りさげたる聖法師入り來て立てり」〔1528-2〕

ねん-〔名〕【念珠】(一)ねんじゅ(念珠)に同じ。(二)浴(ゆあみ)すること。台記(頼長)「依鼻垂不念珠、但今日無温氣」鼻垂後始念珠」注「夜前浴」(玉勝間、八)〔1528-3〕

とあって、標記語を「念珠」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ねん-じゅ念珠】〔名〕@(念仏の際に、数珠(じゆず)を繰って唱えた回数を数えるところから)数珠をいう。ねんず。A「ねんじゅ(念誦)」に同じ」と標記語「ねん-念珠】〔名〕「ねんじゅ(念珠@)」に同じ」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
水精念珠四貫。《『続日本紀』巻卅四宝亀八年(七七七)五月癸酉〈廿三〉》
 
2003年4月27日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
半装束(ハンシヤウゾク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、標記語「半装束」を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「半装束」の語を未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「半装束」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ハンシヤウゾク」として、「半装束」の語は未収載にし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

418水精半装束念珠 珠数同也。〔謙堂文庫藏四一右E〕

とあって、標記語を「半装束」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水精(すいしやう)半装束(はんしやうぞく)念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「半装束」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)香爐水精半装束念珠 念珠ハ数珠(じゆす)の事也。仏を念(ねん)する故念珠と云。数取(かすとり)にするゆへ珠数とも云。惣水精(そうすいしやう)は位(くらい)乃珠数なりとそ。〔55ウ四・五

とあって、標記語を「半装束」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲半裝束念珠ハ半(はん)分水晶(しやう)をつなぎたる数珠(しゆす)也。〔41オ三〜41ウ六〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲半裝束念珠ハ半分(はんふん)水晶(すゐしやう)をつなぎたる数珠(じゆず)也。〔74オ一〜五〕

とあって、標記語「半装束」の語とし、語注記は、「半裝束念珠は、半分水晶をつなぎたる数珠なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suixo<.ハンシヤウゾク(半装束) 半装束,または,ガラス.〔邦訳587l〕

とあって、標記語「半装束」の語を収載し、意味を「半装束、または、ガラス」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ばん-しやうぞく〔名〕【番装束】番人の着る装束。曽我物語、九、屋形屋形の前にて咎められし事「足早に行きけるに、千葉介が屋形の前をぞ通りける、云云、装束の警護の者、數十人、是も篝を焚きてぞ固めける」〔1623-5〕

とあって、標記語を「装束」の語を収載するにとどまり、「半装束」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「はんしゃうぞく--じゅず半装束数珠】〔連語〕(荘重な儀式・法要のおりに用いる装束の数珠が水晶の珠でできているところから)水晶の珠に琥珀(こはく)などを少しまぜて作った数珠」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
道者みな下向して後、静正面に參りて念誦して居たりけるところに、若大衆の申(し)けるは、「あら美しの女の姿や、只人共覺えず、如何なる人にておはすらん。あの樣なる人の中にこそ面白き事もあれ。いざや勸めてみん」とて、正面に近づきしに、素絹の衣を著たりける老僧の、半裝束の數珠持ちて立ちしが、「あはれ權現の御前にて、何事にても候へ、御法樂候へかし」とありしかば、静これを聞きて、「何事を申(す)べきとも覺えず候。近き程の者にて候。毎月に參篭申(す)なり。させる藝能ある身にても候はばこそ」と申(し)ければ、「あはれ此權現は靈驗無雙に渡らせ給ふ物を。且は罪障懺悔の爲にてこそ候へ。此垂跡は藝有(る)人の、御前にて丹誠運ばぬは、思ひに思ひを重ね給ふ。面白からぬ事なりとも、わが身に知る事の程を丹誠を運びぬれば、悦びに又悦びを重ね給ふ權現にてわたらせ給ふ。これ私に申(す)にはあらず、一重に權現の託宣にて渡らせ給ふ」と申されければ、静これを聞きて、恐しや、われはこの世の中に名を得たる者ぞかし。《『義経記』五・靜吉野山に棄てらるる事》
 
2003年4月26日(土)晴れ。東京(八王子)→横浜(金沢文庫)
水晶(スイシヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「須」部に、

水晶(―シヤウ)水精(―シヤウ) 。〔元亀二年本359五〕

水晶(―シヤウ)水精() 。〔静嘉堂本437四〕

とあって、標記語「水晶」と「水精」の二表記を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)ノ念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

水精 スイシヤウ 俗。〔黒川本・雜物下110オ二〕

水精 スイシヤウ。〔卷第十・雜物501四〕

とあって、標記語「水精」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

水精(スイシヤウ)晶同用也。〔器財門103七〕

とあって、標記語「水精」の語を収載する。次に広本節用集』には、

水晶(スイシヤウ/ミヅ,アキラカ)[上・平]晶與精同。〔器財門1125二〕

とあって、標記語「水晶」の語で収載し、その読みを「スイシヤウ」とし、その語注記に、「晶と精同じ」と記載し、「水精」の表記を認知しているのである。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

水晶(スイシヤウ) 或作水精。〔・財宝269五〕

水晶(スイシヤウ)。〔・財宝231二〕

水晶(スイシヤウ)水精。〔・財宝217一〕

とあって、標記語「水晶」の語で収載し、その語注記は弘治二年本に「或は水精に作す」と記載し、他本も注記に「水精」の語を記載する。また、易林本節用集』には、

水精(スイシヤウ) ―晶(シヤウ)。―瓶(ビン)。―嚢(ナウ)。〔器財門240三〕

とあって、標記語「水精」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「スイシヤウ」として、「水精」若しくは「水晶」の語をもって収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

418水精半装束念珠 珠数同也。〔謙堂文庫藏四一右E〕

とあって、標記語を「水精」とし、その語注記は、未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

水精(スイシヤウ)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「水精」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)香爐水精半装束念珠 念珠ハ数珠(じゆす)の事也。仏を念(ねん)する故念珠と云。数取(かすとり)にするゆへ珠数とも云。惣水精(そうすいしやう)は位(くらい)乃珠数なりとそ。〔55ウ四・五

とあって、標記語を「香爐」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔41オ三〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)〔74オ一〕

とあって、標記語「水精」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Suixo<.スイシヤウ(水精水晶) 水精,または,ガラス.〔邦訳587l〕

とあって、標記語「水精」の語を収載し、意味を「水精、または、ガラス」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

すゐ-しやう〔名〕【水晶水精】又、すゐさう。こほりいし。珪酸鉱屬、自然なるは、形、皆、六稜にして石英(セキエイ)と云ひ、細工したるを水晶と云ふ、色、純白なるを常とす、これを白(しろ)水晶と云ふ、最も透明にして堅し、琢(みが)きて眼鏡、數珠、其外、種種の飾りとして珎重す。白石英。又満俺(マンガン)を含みて、色の、紫なるあり、紫(むらさき)水晶と云ふ。紫石英。又、酸化鐵を含みて、色、Kきを、K(くろ)水晶と云ふ。K石英。又、色の、紅なるあり、紅(べに)水晶、又、紅石英(クセキエイ)と云ふ。紅石英。本草水精、亦、頗黎之屬、有K白二色、倭國多水晶第一」枕草子、九、百十段「月の、いと明きに、川を渡れば、牛の歩むままに、すゐしゃうなどの割れたるやうに、水の散りたるこそ、をかしけれ」榮花物語、五、浦浦別「えも云はず大きに、水晶の玉ばかりの涙、續きこぼるる」〔2-939-5〜940-1〕

とあって、標記語を「水精」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「すい-しょう水精】〔名〕@透明な石英の結晶。ガラス光沢をもち、成分は無水珪酸。六方晶系。主として六角柱状でペグマタイトや石英鉱脈中に産する。不純物や結晶構造のゆがみによって、草入水晶・綿入水晶などのような特殊な概観をもったり、また、紫、黄、黒、桃色mなどを呈したりする。装飾・光学機材・通信用機器・印材などに用いられる。水玉(すいぎょく)。すいそう。A植物「すいか(西瓜)」の異名」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
大阿闍梨御布施、法服一具〈在革鞋、〉横被一帖、水精念珠一連〈在銀打枝、〉上童裝束二具、童裝束四具、被物卅重〈錦一重、織物九重、綾廿重〉錦裹物一〈納綾十具、〉精好絹卅疋、白綾卅疋、色々綾卅疋、顯文紗卅疋、唐綾卅段、計帳卅端織筋卅端、紫染物三十端、紫村濃三十端絹村濃三十端、染付三十端、卷絹三十疋、帖絹三十疋、地白綾三十端、淺黄染綾三十段、色皮三十牧、〈已上納漆箱、付組結之〉《訓み下し》大阿闍梨上堂シ、御誦経、鐘并ニ法用シ訖ハルノ後、御布施ヲ大阿闍梨ニ引カル。錦ノ被物、并ニ加布施ノ、御剣。〈顕方卿両度之ヲ取ル〉。大阿闍梨ノ御布施、法服一具〈革鞋在リ、〉(草鞋在リ)横被一帖、水精(スイシヤウ)ノ念珠一連〈銀ノ打枝ニ在リ、〉上童ノ装束二具、童装束四具、被物三十重。〈錦一重、織物九重、綾二十重。〉錦裹物一ツ。〈綾十具納ル、〉精好ノ絹三十疋、白綾三十疋、色色ノ綾三十疋、顕文紗三十疋、唐綾三十段、斗帳三十端。織筋三十端、紫ノ染物三十端、紫村濃三十端。絹村濃三十端、染付三十端、巻絹三十疋、帖絹三十疋、地白ノ綾三十端、浅黄染ノ綾三十段、色皮三十枚(染物三十端、色皮三十枚)、〈已上漆ノ箱ニ納レ、組ラ付ケ之ヲ結フ〉。《『吾妻鏡』正嘉元年十月一日の条》
數珠(じゆず)は四條の寺町(まち)や、海老屋(ゑびや)御方(おかた)が仕立(した)てたる、玉を磨(みが)ける水晶(すいしやう)に、皆紅(みなぐれなゐ)の房(ふさ)を入(い)れ、玉章(づさ)(そ)へて遣(や)られける。《仮名草子集『竹齋』上・大系100O》
(み)れば(たいまひ)を飾(かざ)り、垣(かき)に金花(きんくわ)を飾(かざ)り、戸(と)には水晶(すいしやう)を連(つら)ね、鸞輿屬車(らんによしよくしや)の玉衣(たまぎぬ)の色(いろ)を重(かさ)ね、花(はな)の錦(にしき)の御褥(しとね)、誠(まこと)に輝(かゝや)き渡(わた)る有様(ありさま)は、浄瑠璃世界(ぢやうるりせかい)と申(まう)すとも。これにはいかで優(まさ)るべし。《仮名草子『恨の介』下77M》
 
2003年4月25日(金)小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
香爐(カウロ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

香炉(―ロ) 。〔元亀二年本94二〕〔静嘉堂本116七〕〔天正十七年本上57ウ一〕

とあって、標記語「香炉」を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)鈴佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)ノ念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

香爐 カウロ 俗。〔黒川本・雜物上81ウ三〕

香爐 カウロ。〔卷第三・雜物215五〕

とあって、標記語「香爐」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

香爐(カウロ) 。〔器財門105六〕

とあって、標記語「香爐」の語を収載する。次に広本節用集』には、

香爐(カウロ/カウバシ,ヤク・イルリ)[平・平]異名愽山。金鴨。鵲尾。睡鳧。金鳧。金猊。金愽。金爐。黄爐。寳薫。寳鼎。睡鴨。寳鴨。鵲毛。仁風。火舎。〔器財門267八〜268一〕

とあって、標記語「香爐」の語を収載し、その読みを「カウロ」とし、その語注記は未記載にし、異名語群を列ねている。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

香爐(カウロ) 炉同。〔・財宝83三〕

香爐(カウロ) ―合(バコ)。―筋(バシ)。〔・財宝80三〕〔・財宝87四〕

香爐(カウロ) ―合。―裹。―臺。―筋。―鋸。〔・財宝73一〕

とあって、標記語「香爐」の語を収載し、その語注記は弘治二年本に「炉同じ」と記載が見える。また、易林本節用集』には、

香爐(―ロ) ―題(ダイ)。―盤(バン)。―包(ツヽミ)。―箸(バシ)。〔器財75五〕

とあって、標記語「香爐」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「カウロ」として、「香爐」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。ただし、『運歩色葉集』は「香炉」の表記をもって収載することを確認しておきたい。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

417香爐 燒香也。近代明帝返魂香ヨリ起也。惣シテ燒処ニハ、佛~三宝付烟顕也。況霊魂等如此。〔謙堂文庫藏四一右D〕

とあって、標記語を「香爐」とし、その語注記は、「燒香は、佛の時よりなり。近代は、漢の明帝返魂香より起るなり。惣じて香を燒く処には、佛~三宝、烟を付して顕すなり。況や霊魂等此くのごとし」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクテウ)(レイ)佛具(ブツグ)ノ如意(ニヨイ)香爐(カウロ) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「香爐」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)香爐水精半装束念珠 念珠ハ数珠(じゆす)の事也。仏を念(ねん)する故念珠と云。数取(かすとり)にするゆへ珠数とも云。惣水精(そうすいしやう)は位(くらい)乃珠数なりとそ。〔55ウ四・五

とあって、標記語を「香爐」とし、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔41オ三〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)〔74オ一〕

とあって、標記語「香爐」の語とし、語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co<ro.カウロ(香爐) 香炉.〔邦訳150r〕

とあって、標記語「香爐」の語を収載し、意味を「香炉」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かう-〔名〕【香爐】灰、火を盛りて、香(カウ)を薫(た)くに用ゐる器。陶、銅などにて、種種の形に作る。西京雜記「丁緩作九層博山香爐、鏤以奇禽怪獸、皆自然飛動」〔0349-4〕

とあって、標記語を「香爐」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「かう-香爐】〔名〕@香(こう)をたくのに用いる器。陶器、または銅、金、銀などで作り、置(おき)香炉、柄(え)香炉、釣(つり)香炉など種々の形がある。香盤。A「こうてい(香亭)」に同じ」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
皇極天皇元年壬寅七月、天下炎旱之間、雖有方々祈祷、依無其驗、大臣蝦夷、〈馬子大臣男、〉自取香爐祈念、猶以雨不降。《訓み下し》皇極天皇元年壬寅ノ七月ニ、天下炎旱ノ間、方方祈祷有リト雖モ、其ノ験無キニ依テ、大臣蝦夷〈馬子ノ大臣ノ男〉、自ラ香炉(カウロ)ヲ取テ祈念スレドモ、猶以テ雨降ラズ。《『吾妻鏡』建保二年六月五日の条》 
 
2003年4月24日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
仏具(ブツグ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、

佛具(―グ) 。〔元亀二年本223七〕

佛具(―ク) 。〔静嘉堂本256二〕〔天正十七年本中57オ五〕

とあって、標記語「佛具」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)ノ念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「佛具」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「佛具」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

佛事(ブツジ) ―説(せツ)。―語(ゴ)。―詣(ケイ)。―像(サウ)。―教(ケウ)。―陀(ダ)。―後(ゴ)。―性(シヤウ)。―物(モツ)。―法(ホフ)。―知(チ)。―恵(エ)。―慧(エ)。―前(ぜン)―具(グ)。―心(シム)。―果(クワ)。―意(イ)。―祖不傳(ソフデン)。―恩(オン)。〔言辞152一〕

とあって、標記語「仏事」の冠頭字「佛」の熟語群に「佛具」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書では易林本節用集』に訓みを「ブツグ」として、「佛具」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

416佛具如意 佛具獨鈷三鈷五鈷火舎(ケツ)閼伽(アカ)桶乳木標此八真言道具 壇上四隅柱也乳木護摩白膠(ヌルテ)ノ木也。火舎香炉也。如意比丘始。即橋梵婆提之亊也。常居帝釈天帝釈心。又貴体牛。爪。口(ミシカム)ニ。形律ニ達得法善巧也。雖ムニ。人笑之。作如意顔隠也〔謙堂文庫藏四一右A〕

とあって、標記語を「佛具」とし、その語注記は「佛具は、獨鈷三鈷五鈷火舎(ケツ)閼伽(アカ)桶乳木標此八は、真言道具なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクテウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意(ニヨイ)香爐(カウロ) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「佛具」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

佛具(ぶつく)佛具 佛家に用る道具をいふ。〔55ウ一

とあって、標記語を「佛具」とし、語注記は、「佛家に用る道具をいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲佛ハ輪燈(りんとう)鶴亀(つるかめ)花瓶(くハひん)の類をすべていふ。〔41ウ二〜五〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲佛ハ輪燈(りんとう)鶴亀(つるかめ)花瓶(くハひん)の類をすべていふ。〔73ウ六〜74オ四〕

とあって、標記語「佛具」の語とし、語注記は、「佛具は、輪燈(りんとう)・鶴亀(つるかめ)・花瓶(くハひん)の類をすべていふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Butgu.ブツグ(佛具) Fotoqno do<gu.(仏の道具)祭壇の仏(fotoqe)の前などで用いる物.〔邦訳68l〕

とあって、標記語「佛具」の語を収載し、意味を「仏の道具。祭壇の仏の前などで用いる物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ブツグ〔名〕【佛具】ぶっき(佛器)に同じ。ブグ。和漢三才圖會、十九、~祭佛器「佛具(ブツグ)、按、佛具、因宗派有異、云云」〔1762-1〕

とあって、標記語を「佛具」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぶつ-ぐ【佛具】〔名〕仏事に用いる器具。仏前を飾るための花瓶、香炉などの器具。仏器。ぶぐ」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
長谷寺の菩薩戒に參(まい)らせ給て、御丁より始(はじ)め、よろづの佛具めでたうせさせ給ひて、別當・法師によろこびをせさせ給ふ。《『榮花物語』卷第十五・うたがひ》 
 
2003年4月23日(水)小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
錫杖(シヤクデウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、標記語「錫杖」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

鐃鉢錫杖仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

鐃鉢錫杖仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

鐃鉢錫杖(シヤク―)佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)ノ念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

錫杖 シヤクチヤウ。〔黒川本・雜物下73オ六〕

錫杖 シヤクチヤウ。〔卷第九・雜物163一〕

とあって、標記語「錫杖」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「錫杖」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

錫杖(シヤクヂヤウ/ナマリ,ツヱ)[○・上] 。〔器財門925五〕

とあって、標記語「錫杖」の語を収載し、その読みを「シヤクヂヤウ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

錫杖(シヤクジヤウ) 。〔・財宝241五〕

錫杖(シヤクヂヤウ) 。〔・財宝207五〕

錫杖(シヤクチヤウ) 又智杖。〔・財宝191七〕

とあって、標記語「錫杖」の語を収載し、その語注記は尭空本に「また、智杖」と記載が見える。また、易林本節用集』には、

錫杖(シヤクヂヤウ) 。〔器財209一〕

とあって、標記語「錫杖」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「シヤクデウ」として、「錫杖」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

414錫杖華厳抄書也。專ス‖三宝。又云、爰佛具之亊也。〔謙堂文庫藏四一右@〕

とあって、標記語を「錫杖」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクテウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意(ニヨイ)香爐(カウロ) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「錫杖」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

錫杖(しやくぢやう)錫杖 この音にあしき虫(むし)(けだもの)思ることいえり。知らすして小虫をふミ殺(ころ)さん事を氣遣(きつか)ひて行脚(あんきや)の時錫杖をふるとなり。〔55ウ二

とあって、標記語を「錫杖」とし、語注記は、「この音にあしき虫・獸思ることいえり。知らずして小虫をふみ殺さん事を氣遣ひて行脚の時錫杖をふるとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲錫杖ハ是によつて煩悩(ほんなう)を除(のそ)き三界(がい)を出るとかや。〔41オ二〜五〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲錫杖ハ是によつて煩悩(ほんなう)を除(のぞ)き三界(さんがい)を出るとかや。〔73ウ六〜74オ三〕

とあって、標記語「錫杖」の語とし、語注記は、「錫杖は、是によつて煩悩を除き三界を出るとかや」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xacugio<.シャクヂャゥ(錫杖) 山伏(Yamabuxis)の持つ一種の杖.これを揺り動かすと音を立てるように,〔上方の〕先端にたくさんの鐶をはめたもの.〔邦訳741r〕

とあって、標記語「錫杖」の語を収載し、意味を「山伏(Yamabuxis)の持つ一種の杖.これを揺り動かすと音を立てるように,〔上方の〕先端にたくさんの鐶をはめたもの.」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃく-ぢゃう〔名〕【錫杖】〔翻譯名義集「錫杖、由振時作錫錫聲也、亦名聲杖」〕(一)又、さくぢゃう。僧、修験者の携ふる杖、頭に、數個の環あり、行くに、地を突きて、響をなさしめ、惡蟲、毒獸を警むと云ふ。王維詩「上人飛錫杖榮花物語、十七、音樂「ともかくも云はれで、涙ぞ出でくる僧の服装(なり)ども、皆、梵音、錫杖、皆、品品に從ひて、色色なり」盛衰記、四十六、南都御幸大佛開眼事「地藏菩薩を安置せり、右に、黄金の錫杖を突、左に、如意寳珠を持給へるが」源氏物語、四十、幻22「常よりも殊に、錫杖(さくぢやう)の聲聲など、あはれにおぼさる」(二)祭文讀の、振り鳴らす具。形、僧の携ふる錫杖の環を去りたる上部に似たり。〔0977-5〕

とあって、標記語を「錫杖」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しゃく-じょう【錫杖】〔名〕(梵 khakkharaの訳語。声杖、智杖などとも訳す)@杖の一種。大乗の比丘の十八種物の一つ。上部のわくに数個の輪が掛けてあり、振ると鳴るので、道を行くとき、乞食(こつじき)のときなどに用い、また、読経などの調子を取るのにも用いられる。さくじょう。A法会のときに行なう四種の儀式である四箇法要の一つ。また、そのときの偈(げ)。錫杖の偈を唱え、一節の終りごとに@を振るところからいう。讃頌が九節からなる九条錫杖と、九条の初二条と終わり一条を誦する三条錫杖がある。特に、三条錫杖をいい、九条を長錫杖という場合もある。B祭文語りが唄に合わせて振って鳴らした楽器」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
白髮なりける老僧の、錫杖を以て、皇子の御枕に彳み、人々の夢にも見え、幻にも立けり。《『平家物語』卷第三・頼豪》 
 
2003年4月22日(火)晴れ後小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
鐃鉢(ネウハチ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「祢」部に、

鐃鉢(―ハチ) 。〔元亀二年本164二〕

鐃鉢(ネウハチ) 。〔静嘉堂本181六〕

(ネウハチ) 。〔天正十七年本中21ウ六〕

とあって、標記語「鐃鉢」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

錫杖鈴仏具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋〔至徳三年本〕

錫杖仏具如意香爐水精半装束珠帽子直綴鼻高草鞋〔宝徳三年本〕

鐃鉢錫杖鈴佛具如意香爐水精半装束帽子直綴鼻高草鞋〔建部傳内本〕

錫杖(シヤク―)佛具如意香爐水精(―シヤウ)半装束珠数帽子(モウス)直綴(―トツ)鼻高(ビ―)草鞋(―アイ)〔山田俊雄藏本〕

鐃鉢(ニユウハチ)錫杖鈴佛具如意香爐水精(スイシヤウ)半装束(―シヤウゾク)ノ念珠(ジユズ)帽子直綴(ヂキトツ)鼻荒(ビカウ)草鞋(―カイ)〔経覺筆本〕

(ネウハチ)錫杖(シヤクシヤウ)(レイ)佛具(ブツグ)如意香爐(―ロ)水精(―シヤウ)半装束(―シヤウソク)数珠(シユズ)帽子(ボウシ)直綴(チキトツ)鼻廣(ヒクワウ)草鞋(サウカイ)〔文明本〕「珠(ヅ)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「鐃鉢」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

(ネウ)(ハチ) 。〔器財門112三〕

とあって、標記語「鐃鉢」の語を収載する。次に広本節用集』には、

(ネウハチ/ドラ,―)[平・入] 。〔器財門427五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その読みを「ネウハチ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

饒鉢(ネウハチ) 。〔・財宝134三〕

(ネウハチ) 。〔・財宝107八〕〔・財宝98六〕〔・財宝120六〕

とあって、標記語「饒鉢」「」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(ネウハチ) 。〔器財108二〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ネウハチ」として、「」「鐃鉢」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語は後者の表記である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

413鐃鉢 {昔ニテ}土羅也。〔謙堂文庫藏四一右@〕

とあって、標記語を「鐃鉢」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

鐃鉢(ネウハチ)錫杖(シヤクテウ)(レイ)佛具(ブツグ)ノ如意(ニヨイ)香爐(カウロ) 何レモ不記ニ。〔下十六オ二・三〕

とあって、この標記語「鐃鉢」とし、語注記は「いずれも記すに及ばず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(ねよう) 佛具(ぶつぐ)なりあく魔(ま)この音に恐れて障礙(しやうげ)をなさすといふ。〔55ウ一

(はち) 法事に打鳴(うちな)らすきんといふものなり。〔55ウ一〜二

とあって、標記語を「」「」とし、語注記は、「佛具なり。あく魔この音に恐れて障礙をなさずといふ」と「法事に打鳴らすきんといふものなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によゐ)香爐(かうろ)水精(すいしやう)半装束(はんしやうそく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ちきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)錫杖佛具如意香爐水精半装束念珠帽子直綴鼻高草鞋。▲ハ銅(とらはちし)の大なるもの也。繞鉢(にやうはち)といふ。〔41オ三〜七〕

(にやう)(はち)錫杖(しやくぢやう)(れい)佛具(ぶつぐ)如意(によい)香爐(かうろ)水精(すゐしやう)半装束(はんしやうぞく)の念珠(ねんしゆ)帽子(もうす)直綴(ぢきとづ)鼻高(びかう)草鞋(さうあい)。▲繞ハ銅(とらばちし)乃大なるもの也。繞鉢(ねうはち)といふ。〔73ウ六〜74オ三〕

とあって、標記語「鐃鉢」の語とし、語注記は、「繞は、銅子の大なるものなり。繞鉢といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nho>fachi.l,Nho>fat.ニョゥハチ,または,ニョゥハッ() 青銅か真鍮(しんちゅう)かで作った,sestrosに似た二個の楽器で,それらを互いに触れ合わせて音を出すもの.§Nhio>fatuo narasu.(を鳴らす)このsestrosを鳴らす. ※sistroに同じで,昔の楽器.弓形に彎曲した一枚の金属板に,同じく金属の小さな棒を数本動けるように貫通したもので,これを振動させると,長くひびく鋭い音を立てる.〔邦訳460r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「青銅か真鍮かで作った,sestrosに似た二個の楽器で,それらを互いに触れ合わせて音を出すもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねう-はち〔名〕【鐃鉢】〔はちは梵語、跋陀羅(Iatra.)の略〕佛家の楽器。響銅(さはり)にて作る。圓くして皿の如く、中凹めり。中央に韋の紐を附け、二枚、撃合はせて聲を發せしむ。どうばちし(銅子)の條をも見よ。字類抄「鐃鉢、ネウハチ」書字考節用集、七、器財門「鐃鉢、ネウハチ、僧家樂器」唐書、禮樂志「鐃鉢鐘磬、幢簫琵琶」山門堂舎記(應永)寳幢院「寺家所司義憲等、西下禮堂着座、件夜四智讃、鐃鉢等之役無之、學侶不相交故也」榮花物語、廿二、鳥舞「樂のこゑ、笙、笛、琴、箜篌、琵琶、鐃、銅をしらべあはせたり」心中刃氷朔日(寳永、近松作)中「太鼓、鉦も繞も、やがて入らうと涙ぐみ」〔1518ー3〕

とあって、標記語を「鐃鉢」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「にょう-はち【鐃鉢】〔名〕仏家・寺院で用いる二種の打楽器、鐃と。つねに組み合わせて用いられたところから併称される。のちには、を特にさしていう。にょうはつ」標記語「にょう-はつ【鐃鉢】〔名〕「にょうはち(鐃)に同じ」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
法螺鐃鉢。《平信範兵範記』−仁平二年(1152)七月九日の条》 
 
2003年4月21日(月)曇り後晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
鈍色(ドンジキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「登」部に、「鈍根(ドンコン)。鈍性(ドンせイ)。鈍癡(チ)。鈍智(チ)。鈍漢(カン)。鈍刀(タウ)」の六語を収載するが、標記語「鈍色」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条裳横尾鈍色〔建部傳内本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦(ニシキ)ノ七条裳横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色(ハカマ)〔経覺筆本〕

-(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ衣法-(ホウフク)(ニシキ)ノ-条裳(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「鈍色」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

鈍色(ドンシキ) 。〔絹布門96六〕

とあって、標記語「鈍色」の語を収載する。次に広本節用集』には、

鈍色(ドンジキ/―シヨク、ニブシ,イロ)[去・入] 。〔絹布門130五〕

とあって、標記語「鈍色」の語を収載し、その読みを「ドンジキ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

鈍色(トンジキ) 。〔・財宝43五〕

鈍色(ドンジキ/ニウイロ) 。〔・財宝44五〕

鈍色(ドンジキ) 。〔・財宝41二〕

鈍色(ドンシキ) 。〔・財寳48八〕

とあって、標記語「鈍色」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

鈍色(ドンシキ) 。〔食服42五〕

とあって、標記語「鈍色」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ドンジキ」「ドンシキ」として、「鈍色」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

412(ドン) 灰色也。[謙堂文庫藏四〇左I]

とあって、標記語を「鈍色の下袴」とし、その語注記は「灰色なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

鈍色(ドンジキ)(ハカマ) 鈍色ト云ハ白キ練(ネリ)ノ衣ナリ。則(スナハ)チ下(シ)タ袴(ハカマ)有ベシ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「鈍色」とし、語注記は「鈍色と云ふは、白き練の衣なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

鈍色(ドンジキ)鈍色 ねりきぬの衣也。天台(てんたい)真言(しんこん)なとふまえる。〔54ウ八〜55オ一

とあって、標記語を「鈍色」とし、語注記は、「ねりきぬの衣也。天台(てんたい)真言(しんこん)なとふまえる」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「鈍色」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「鈍色」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

どん-じき〔名〕【鈍色】(一)にびいろ。(鈍色)に同じ。(二)僧の灰色に染めたる服にて、衣冠、直衣にあたるもの。袍に似て、僧綱(ソウガウ)(えり)を立つ。晴には上(うへ)の袴、略儀には指貫を着す。法體装束抄鈍色を可令著次第」海人藻芥、中「鈍色は俗の狩衣なり」〔1423-1〕

とあって、標記語を「鈍色」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「どん-じき【鈍色】〔名〕@薄黒い色。灰色。にびいろ。どんしょく。A法衣(ほうえ)の一種。袍服と同じく上衣(袍=ほう)とはかま(裙=くん)と帯の三つから成るが、袍服が袷(あわせ)であるのに対して、単衣(ひとえ)であるもの。無紋の絹の良質なもので仕立て、僧綱領(そうごうえり)を立てる。鈍色の衣」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
今夜被置御所物、鈍色裝束〈代裘〉御塗篭帖絹五百疋、繕綿二千兩、紺小袖千領、御倉、八木千石、御厩、御馬二十疋《訓み下し》今夜御所ニ置カルル物、鈍色(ドンジキ)装束〈代裘〉御塗篭帖絹五百疋、繕綿二千両、紺ノ小袖千領、御倉ニ、八木千石、御厩ニ、御馬二十疋。《『吾妻鏡』建久二年十二月二十四の条》 
 
2003年4月20日(日)小雨。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
錦七條(にしきのシチデウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「尓」部に、

(ニシキ) 。〔元亀二年本41一〕〔天正十七年本上23オ三〕〔西來寺本〕

(―) 。〔静嘉堂本45一〕

とあって、標記語「」の語を収載するが、標記語「七條」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條横尾鈍色下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条横尾鈍色下〔建部傳内本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服(ニシキ)ノ七条横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服七條横尾鈍色下(ハカマ)〔経覺筆本〕

-(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ衣法-(ホウフク)(ニシキ)ノ-(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(キン) ニシキ/蜀江還郷。〔黒川本・雜物上30ウ五〕

。〔卷第二・雜物263四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、標記語「七條」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「錦七條」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

(ニシキキン)[上] 説文云。錦金也。其用重價如。故制ヘリ帛与金也。錦文也。出於蜀者為五色備也。(チウ)刺成故名也。綺羅皆文也。異名蜀機。氷蚕織花。鮫室。氷緑。〔絹布門88一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、標記語「七條」語は未収載にする。「錦」の語注記は、「説文云く、錦は金なり。其れ功を用ひ重ねて價金のごとし。故に字を制し帛に従へり金とすなり。錦は文を織るなり。蜀より出づるは、上と為し五色を備ふなり。(チウ)質と為して刺し成す故にと名づくなり。・綺・羅皆文のなり」と記載し、末尾に異名語彙を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(ニシキ) 。〔・財宝28四〕〔・財宝28七〕〔・財宝26四〕

七条(――) 。〔・京中小路名282二〕〔・京中小路名266三〕〔・京中小路名237四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、「七条」の語は見えていてもこれは京中小路名のため異なる。その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

(ニシキ) 。〔食服26五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、「七条」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ニシキ」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

410薄墨-(フク)七条(モ) 或云、裙也。〔謙堂文庫藏四〇左E〕

とあって、標記語を「七條」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(ニシキ)ノ七條 ハ位(クライ)ノ袈裟(ケサ)ナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「七條」とし、語注記は「位の袈裟なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

錦の七条(しちでう)(も)七條 衣の上に加ふる物なり。又二十五条もあり。〔55オ五〜六

とあって、標記語を「七條」とし、語注記は、「衣の上に加ふる物なり。又二十五条もあり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲錦七條ハ錦(にしき)にて作(つく)る袈裟也。大衣(だいえ)七條五條是を三衣(さんえ)といふ。〔41ウ一〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲錦七條ハ錦(にしき)にて作(つく)る袈裟也。大衣(だいえ)七條五條是を三衣(さんえ)といふ。〔73ウ四〕

とあって、標記語「七條」の語とし、語注記は、「錦七條は、錦にて作る袈裟なり。大衣・七條・五條是を三衣といふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nixiqi.ニシキ() 織物の一種でbrocadilhoに似たもの.※brocadoは,金糸,銀糸で模様を織り出した絹織物.brocadilhoは,本来brocado品質の劣った織物を指す語であるが,本書ではNixiqi(錦),Qinran(金襴)にあてている.〔邦訳468l〕

とあって、標記語「錦七條」の語を収載し、意味を「織物の一種でbrocadilhoに似たもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しき〔名〕【】〔丹繁(にしき)の義にて、赤きを本として、目の繁き意と云ふ。或は云ふ、丹敷の義と〕(一)五彩の絲にて、種種の模様を織出せる、厚くして、極めて美なる絹布の名。綺(かむはた)は、古代よりありて、直に、にしきと稱せり。(神功皇后、新羅を征して歸られし時、金銀、綵色、及、綾羅、絹を從へしめられし事、日本紀に見え、萬葉集に綵色(にしき)とあり、新羅の王を尼師今(にしき)と云ふ)後に、韓國の織工來りて、製せるを韓錦(からにしき)と云ひ、後、又、支那より舶來するもの多く、これを唐錦(からにしき)と稱し、從來の者を大和錦(やまとにしき)と云ふ。後、織法、衰へて、後世、再び支那法を傳ふ。倭名抄、十二16錦綺類「錦、邇之岐」天治字鏡、六26「錦、爾志支」允恭紀、八年二月「ささらがた、邇之枳の紐を、解きさけて、あまたはねずに、ただ一夜のみ」天武紀、下、朱鳥元年四月「霞(かすみいろ)(にしき)(二)すべて、美しく麗しき物の稱。宇津保物語、梅花笠7「大空に、風の織りしく、にしきをば、谷より雲ぞ、たちわたるらし」古今集、一、春、上「見渡せば、楊櫻を、こきまぜて都ぞ春の、にしきなりけり」後撰集、七、秋、下「もみぢ葉を、わけつつ行ば、着て、家に歸ると、人や見るらむ」「紅葉の」春の錦を着るとは、富貴の身となる。漢書、項羽傳「懐思東歸曰、富貴不故郷、如夜行」同、朱買臣傳「富貴不故郷、如繍夜行夜の錦など云ふも、これなり。古今集、五、秋、下「見る人も、なくてちりぬる、奥山の、紅葉はよるの、にしきなりけり」後撰集、十、戀、二「おもへども、あやなしとのみ、いはるれば、よるのにしきの、心ちこそすれ」〔1490-3〕

しち-でう〔名〕【七條】次條の語の略。顕密威儀便覧、上「官僧、七條」〔0902-4〕

しちでう--ケサ〔名〕【七條袈裟】けさ(袈裟)の條(一)を見よ。玄蕃寮式「講師法服、七條袈裟一條」〔0902-4〕

とあって、標記語を「錦七條」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「にしき【】〔名〕@数種の色糸で地織りと文様を織り出した織物。経(たていと)で文様を織り出した緯錦(よこにしき)がある。A美しくうるわしいものをたとえていう語。B秋の紅葉をたとえていう語。[語誌](1)もともと奈良時代に中国から入ってきた織物で、仏事の装飾に用いられたり、高級な物として一部の貴族のあいだで用いられたりした。朝鮮産のものを唐錦(からにしき)、国産のものを大和錦(やまとにしき)というように産地によって呼びわけたり、車形錦、菱形錦、霞錦など模様によって呼びわけたりした。(2)豪華な織物の代表とされ、江戸時代には、はなやかなもの、高級なものの意で、「錦絵」「錦豆」「錦眼鏡」などの複合語に用いられることが多くなる。[語源説](1)にしき(丹繁)の義〔俚言集覧・大言海〕(2)にしき(丹敷)の義〔名言通・紫門和語類集・国語の語根とその分類=大島正健・大言海〕(3)種々の色が織ってあるところからにしき(丹白黄)の義〔日本釈名・和訓栞・紫門和語類集・日本語源=賀茂百樹〕。(4)にしむ(丹染)の義〔万葉考〕。(5)にしき(丹糸綺)の義か〔語理語源=寺西五郎〕。(6)ねすき(直数金)の義〔言元梯〕。(7)にじきぬ(虹絹)の約か〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。(8)にしき(二色)の義〔和語私臆鈔〕(9)丹青土で摺ったもので、しきは太敷とも太知とも通ず〔筆の御前〕」と標記語「しち-じょう【七條】〔名〕@七つのすじ。また、七つの箇条。七つの項目。A糸、琴糸などの、七つのすじ。転じて琴のこともいう。B七つの通り、また、北側から数えて七つめの大通り。特に京都の七条大路をいう。C「しちじょう(七条)の袈裟」の略」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
御布施等、皆莫非金銀繍《訓み下し》御布施等、皆金銀繍ニ非ズトイフコト莫シ。《『吾妻鏡』承元三年十月十三日の条》 
 
2003年4月19日(土)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
法服(ホウフク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

法服(―ブク) 。〔元亀二年本42四〕

法服(―フク) 。〔静嘉堂本46五〕〔天正十七年本上24オ五〕〔西來寺本〕

とあって、標記語「法服」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条裳横尾鈍色下〔建部傳内本〕

長絹素絹袈裟-薄墨法服(ニシキ)ノ七条裳横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

長絹素絹袈裟-薄墨法服七條裳横尾鈍色下(ハカマ)〔経覺筆本〕

長絹(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ-(ホウフク)(ニシキ)ノ-条裳(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「法服」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「法服」の語を未収載にする。ただ、『伊京集』及び天正十八年本節用集』に、

法服(ホフブク) 。〔衣服6ウ十〕

法服(ホウブク) 。〔財寳上21オ四〕

とあって、標記語「法服」の語を収載し、その読みを「ホフブク」「ホウブク」とし、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

法服(ホウブク) 。〔食服31二〕

とあって、標記語「法服」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ホウフク」「ホウブク」「ホフブク」として、「法服」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

410薄墨-(フク)七条裳(モ) 或云、裙也。〔謙堂文庫藏四〇左E〕

とあって、標記語を「法服」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

法服(ホウフク) ハ法衣也。〔下十六オ一〕

とあって、この標記語「法服」とし、語注記は「法衣なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

法服(ほうぶく)法服 真言宗にて着る衣なり。〔55オ五

とあって、標記語を「法服」とし、語注記は、「真言宗にて着る衣なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲法服ハ僧衣也。〔41ウ一〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲法服ハ僧衣也。〔73ウ四〕

とあって、標記語「法服」の語とし、語注記は「法服ハ僧衣なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo>bocu.ホウフク(法服) 坊主(Bo~zos),すなわち,僧侶の着物,あるいは,それらの人々が勤行や儀式の際に着用する着物.〔邦訳255l〕

とあって、標記語「法服」の語を収載し、意味を「坊主,すなわち,僧侶の着物,あるいは,それらの人々が勤行や儀式の際に着用する着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほう-ふく〔名〕【法服】〔ほふふく(法服)の音便〕ほふ()え(法衣)に同じ。(佛教の語)源氏物語、三十四、上、若菜、上24「御忌事(いむこと)のあざり、三人さぶらひて、ほうふくなど奉る程」〔1827-4〕

とあって、標記語を「法服」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほう-ふく【法服】〔名〕[一]@規定の服。制服。Aもと、判事・検事・裁判所書記・弁護士が法廷で着用した制服。現在は裁判官について制服の定めがあり、黒羽二重のガウン形式のものを法廷で着用する。[二]@「ほうえ(法衣)」に同じ。A袍。表衣」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。近現代の国語辞書の見出し語は「ほうふく」と第三拍めを清音で記載するが、当代の『日葡辞書』及び古辞書では「ホウブク」と濁音表記が見られていることに留意しておきたい。
[ことばの実際]
尼御臺所、以雜調法服三十具、被下鶴岳宮供僧、民部大夫行光、奉行之《訓み下し》尼御台所、雑調ノ(新調ノ)法服(ホフブク)三十具ヲ以テ、鶴岡ノ宮ノ供僧ニ下サル、民部大夫行光、之ヲ奉行ス。《『吾妻鏡承元二年三月二日の条》 
 
2003年4月18日(金)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)→上野
薄墨衣(うすずみのころも)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、「薄白(ウスシロ)。薄様(ヤウ)。薄縁(ベリ)疊。薄端(ハタ)花立。薄疊(タヽミ)。薄氷(コヲリ)。薄雲(グモ)源氏卷。」の七語を収載し、標記語「薄墨」、「薄墨衣」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条裳横尾鈍色下〔建部傳内本〕

素絹袈裟-薄墨法服錦(ニシキ)ノ七条裳横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

素絹袈裟-薄墨法服錦七條裳横尾鈍色下(ハカマ)〔経覺筆本〕

-(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ-(ホウフク)(ニシキ)ノ-条裳(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「薄墨衣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・文明十七年本、春林本、榊原本)に、

宿紙(シユクシ) 薄墨(ウススミ)(カミ)也。又云紙屋帋。公家所用也。〔文明・器財門41五〕

宿紙(シユクシ) 薄墨(ウススミ)帋也。又云紙屋紙。公家所用。〔春林・器財門116四〕

宿紙(シユクシ) 薄墨(ウススミ)帋也。公家所用。又云紙屋帋トモ。〔榊原・器財門66四〕

とあって、標記語「宿紙」としその語注記語として収載する。次に広本節用集』には、

宿紙(シユクシ/ヤドル、カミ)[平・上] 薄墨(ウススミ)ノ紙也。又云紙屋紙(シクシ)ト。公家用之也。綸旨所書之紙也。〔器財門924四〕

とあって、標記語「宿紙」の語を収載し、その語注記語として収載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「薄墨衣」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

宿紙(シユクシ) 薄墨(ウスズミ)(イロ)ノ(カミ)也。公家所用也。〔器財210四〕

とあって、標記語「宿紙」の語をもって収載し、語注記に此語を記載する。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ウスズミ」として、標記語「宿紙」の語注記語として「薄墨」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

410薄墨-(フク)七条裳(モ) 或云、裙也。〔謙堂文庫藏四〇左E〕

とあって、標記語を「薄墨衣」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

素絹(ソケン)袈裟(ケサ)-(せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ 素絹(ソケン)トハ白キコロモナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「薄墨衣」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

精好(せいかう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)-薄墨 精好ハ衣地(ころもぢ)の名。薄墨ハ染色(そめいろ)也。〔55オ三〜四

とあって、標記語を「薄墨衣」とし、語注記は、「薄墨は、染色なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲精好ハ絹(きぬ)。薄墨ハ染(そめ)色也。〔41オ八〜ウ一〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲精好ハ絹(きぬ)。薄墨ハ染(そめ)色也。▲精好ハ絹(きぬ)。薄墨ハ染(そめ)色也。〔73ウ四〕

とあって、標記語「薄墨衣」の語とし、語注記は、「薄墨は、染色なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vsuzumi.ウスズミ(薄墨) 紙や着物などを染める薄い黒色の染料〔墨〕.〔邦訳734r〕

とあって、標記語「薄墨衣」の語を収載し、意味を「紙や着物などを染める薄い黒色の染料〔墨〕」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

うす-ずみ〔名〕【薄墨】(一){墨の色の、淡(うす)きもの。淡墨。源氏物語、二十一、少女40「紛らはし書いたるこすみ、うすずみ、草(さう)がちに打ち混ぜまぜ亂れ」(二)次條の語の略。宿紙(しゆくし)の條を見よ。後拾遺集、一、春、上「薄墨に書(か)く玉章と、見ゆるかな、霞める空に、隠るかりがね」「薄墨の綸旨」(三)そばがきの女房詞。大上臈御名之事「そばのかゆ、うすずみ〔0232-4〕

とあって、標記語を「薄墨衣」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うすずみ-ごろも【薄墨衣】〔名〕墨を用いて薄墨色に染めた衣。多く喪服に用いる」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
にばめる御衣たてまつれるも、夢の心地して、「われ先立たましかば、深くぞ染めたまはまし」と、思すさへ、 「限りあれば薄墨衣浅けれど  涙ぞ袖を淵となしける」 とて、念誦したまへるさま、いとどなまめかしさまさりて、経忍びやかに誦みたまひつつ、 「法界三昧普賢大士」とうちのたまへる、行ひ馴れたる法師よりはけなり。《『源氏物語』葵の卷》 
 
2003年4月17日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
袈裟(ケサ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

袈裟(ケサ) 。〔元亀二年本216十〕〔静嘉堂本247二〕〔天正十七年本中52ウ八〕

とあって、標記語「袈裟」の語を収載し、語注記を未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条裳横尾鈍色下〔建部傳内本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦(ニシキ)ノ七条裳横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下(ハカマ)〔経覺筆本〕

-(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ衣法-(ホウフク)(ニシキ)ノ-条裳(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「袈裟」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

袈裟(ケサ) 。〔絹布門95七〕

とあって、標記語「袈裟」の語を収載する。次に広本節用集』には、

袈裟(カ―、カワゴロモ)[平・平] 。又作加沙(ケサ)ト釋門正統法衣三。僧伽梨大衣。鬱多羅七條。安陀會五條。五條中着衣。七條上衣。大衣衆集時衣。三世如來並(ナラヒ)ニ是衣。經云。五條ハ斷貪身ノ業。七條ハ斷嗔口相業。大衣癡心業。又云。三衣万善。云云。在于釋氏要覧異名方袍。白補忍辱鎧。紫伽梨又ハ。絮伽梨トモ。栗伽梨下衣五条也。衣孤衣鉢也。蓮華服。破伽梨。栗色―。屈(シユン)達磨。屈傳灯六祖傳。僧伽服。僧伽梨衣也/貞。大福田。覆肩。金仏衣也。無垢(ク)衣。消痩衣。離塵衣。〔絹布門592七〕

とあって、標記語「袈裟」の語を収載し、その読みを「ケサ」とし、その語注記を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

袈裟(ケサ) 。〔・財宝174三〕〔・財宝143三〕〔・財宝133一〕

とあって、標記語「袈裟」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

袈裟(ケサ) 。〔食服145二〕

とあって、標記語「袈裟」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ケサ」として、「袈裟」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

409袈裟- 架裟也。〔謙堂文庫藏四〇左D〕

とあって、標記語を「袈裟」とし、その語注記は「袈裟なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

素絹(ソケン)袈裟(ケサ)-(せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ 素絹(ソケン)トハ白キコロモナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「袈裟」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

袈裟(ケサ)袈裟 諸宗(しよしう)ともに衣の上に加るものなり。各宗旨(しうし)によりて其形異(こと)なり。〔55オ三〜四

とあって、標記語を「袈裟」とし、語注記は、「諸宗(しよしう)ともに衣の上に加るものなり。各宗旨(しうし)によりて其形異(こと)なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲袈裟ハ僧衣(そうえ)の上に加ふるもの各(をの/\)宗旨(しうし)によつて其の制(せい)(こと)なり。〔41オ三〜八〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲袈裟ハ僧衣(そうえ)の上に加(くハ)ふるもの各(おの/\)宗旨(しうし)によつて其制(せい)(こと)なり。〔73ウ三〜四〕

とあって、標記語「袈裟」の語とし、語注記は「袈裟は、僧衣の上に加ふるもの各宗旨によつて其制異なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qesa.ケサ(袈裟) 坊主(Bonzos)が衣の上につける一種の飾りで,房のついた綬のような物.〔邦訳489r〕

とあって、標記語「袈裟」の語を収載し、意味を「坊主(Bonzos)が衣の上につける一種の飾りで,房のついた綬のような物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【袈裟】〔梵語、迦沙曳(カサヤ)(Kasaya)の略、不正雜色の義、五色の正色ならぬ意、色を見て、愛着心を起こさしめぬがためなりと云ふ〕(一){僧の服。又、功コ衣。木蘭色(モクランジキ)、即ち、香染(かうぞめ)なるを本義とすと云ふ、左の肩より、右の脇下に、斜に懸くる、長方形のもの、天竺の服なりと云ふ。支那、日本にては、氣候も違へば、下に、別に衣服を着て、其上に懸くるなり。五條の袈裟と云ふは、長短の、幅狭き布帛にて、五幅(いつの)に作る、作務、旅行、などに着る。七條の袈裟と云ふは、二長、一短にて、七幅、聴講、禮佛、等に着る。大衣(ダイエ)と云ふは、九條なるあり、廿五條あるあり、王宮に入る時などに着る。此三種の袈裟を、三衣と云ふ、これを容るるを、三衣匣(サンエのはこ)と云ふ。又、輪(わ)袈裟と云ふあり、其條を見よ。釋氏要覧、上、法衣「袈裟、云云、業疏云、本作迦沙、至梁ノ葛洪撰字苑、下方添衣、言道服也」同「一曰、僧伽梨、即、大衣也、二曰、鬱多羅僧、(又、鬱陀羅とも云ふ)即、七條也、三曰、安陀會、即、五條也、此是三衣也」倭名抄、十三3僧坊具「袈裟、介佐、天竺語也、此云無垢衣、又、功コ衣、云云、即、沙門之服也」三衣匣、佐無江乃波古」宇津保物語、嵯峨院41「五でうのけさ具したる法服」(二)けさがけの略、其條を見よ。〔0607-4〕

とあって、標記語を「袈裟」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ケサ【袈裟】〔名〕@(梵)Kasayaの音訳。「濁」の意で、不正色、壊色(えしき)などの意)仏語。僧が出家者の標識として着る法衣。青、黒または木蘭(もくらん)色の三種の濁った色で染めるところから、その名がある。製法は細長の布を縱に一定数縫い合わせて横長の形にし、それを縫い合わせる枚数によって、五条、七条、九条ないし二十五条などの別がある。五条を安陀会(内衣)、七条を鬱多羅僧(上衣)、九条ないし二十五条を僧伽梨(大衣)といい、これらをあわせて三衣という。左肩から右の腋(わき)下に斜めに懸けてつける。後、中国、日本などでまったく形式的な上衣として華麗なものに変容し、各種の形ができ、各宗派によっても種々のものがつくられるに至った。たとえば、疊五条、輪袈裟、小五条、三緒袈裟、絡子(らくす=掛絡(から))、威儀細(いぎぼそ)などの略式のものもできている。解脱幢相衣。無垢衣。功コ衣。忍辱鎧。けさぎぬ。A「けさがけ(袈裟懸)A」の略」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
故曽我十郎妾、〈大礒虎雖不除髪、著黒衣袈裟〉迎亡夫三七日忌辰、於筥根山別當行實坊、修佛事《訓み下し》故曽我ノ十郎ガ妾、〈大礒ノ虎除髪セズト雖モ、黒ノ衣袈裟ヲ著ス、〉亡夫ノ三七日ノ忌辰ヲ迎ヘ、箱根山ノ別当行実坊ニ於テ、仏事ヲ修ス。《『吾妻鏡』建久四年六月十八日の条》 
 
2003年4月16日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
素絹(ソケン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」部に、

素絹(ソケン) 。〔元亀二年本152八〕〔静嘉堂本167一〕〔天正十七年本中15オ二〕

とあって、標記語「素絹」の語を収載する。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条裳横尾鈍色下〔建部傳内本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦(ニシキ)ノ七条裳横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

長絹素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下(ハカマ)〔経覺筆本〕

-(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ衣法-(ホウフク)(ニシキ)ノ-条裳(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「素絹」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

素絹(ソケン) 以上十一種聖道家所用者也。〔絹布門96六〕

とあって、標記語「素絹」の語を収載し、前の十語と併せて「以上の十一種は、聖道家の所用者なり」と語注記する。次に広本節用集』には、

素絹(ソケン/シロシ,キヌ)[去・去] 。〔絹布門386四〕

とあって、標記語「素絹」の語を収載し、その読みを「ソケン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

× 。〔・〕

素絹(ソケン) 衣。〔・財宝101四〕〔・財宝91八〕〔・財宝111七〕

とあって、標記語「素絹」の語を収載し、その語注記は「衣」と記載する。また、易林本節用集』には、

素絹(ソケン) 。〔食服100三〕

とあって、標記語「素絹」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ソケン」として、「素絹」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

408白--ノ(ウ)-衣二重註文之外属(アツラヘ/ゾクス)使者ニ|申入候畢長衣 衣也。若輩、不K也。老成素也。〔謙堂文庫藏四〇左C〕

素絹ハ衣也。四十以前ハ白也。以後ハ薄墨也。素絹ノケサト読ハ悪也。素―ハ読み切テ袈裟ト読也。○注ハ不審也。袈裟自傳教十八代玄惠大師始テ是ヲ作出ス也。背(せ)ノ皺六ハ六道カタトリ兩方ノ脇ヲアクルハ刀ヲサヽンカタメ也。〔東洋文庫蔵『庭訓之抄』頭注書込み〕

△私云。素絹ハ衣也。四十已前ハ白也。以后ハ薄墨也。自傳教十八代玄惠大師始テ是ヲ作出ス也。背口ノ皺六ハ六道ヲ表ス。兩方ノ腋ヲアクルハ刀ヲサヽンカ為也。〔静嘉堂文庫蔵『庭訓徃來註』古冩頭注書込み〕

とあって、標記語を「素衣」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

素絹(ソケン)袈裟(ケサ)-(せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ 素絹(ソケン)トハ白キコロモナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「素絹」とし、語注記は「素絹とはしろきころもなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

素絹(そけん)素絹 ねりきぬの衣也。天台(てんたい)真言(しんこん)なとふまえる。〔54ウ八〜55オ一

とあって、標記語を「素絹」とし、語注記は、「ねりきぬの衣なり。天台真言などふまえる」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲素絹ハ白衣(はくい)也。天台(てんだい)真言(しんごん)の僧(そう)着用(ちやくよう)す。〔41オ八〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲素絹ハ白衣(はくえ)也。天台(てんだい)真言(しんごん)の僧(そう)着用(ちやくよう)す。〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「素絹」の語とし、語注記は「素絹は、白衣なり。天台・真言の僧着用す」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Soqen.ソケン(素絹) XIroi qinuno coromo.(白い絹の衣)白い絹の衣で,若い坊主(Bonzos)が上に重ねて着るもの.〔邦訳574r〕

とあって、標記語「素絹」の語を収載し、意味を「白い絹の衣で,若い坊主が上に重ねて着るもの」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-けん〔名〕【素絹麁絹】(一)織文なき生絹(すずし)。(貞丈雑記)(二)素(しろ)き絹の服。(僧服に云ふ)一説に、素絹は宛字にて、繪絹なりと云ふ。平家物語、二、教訓事、清盛「腹卷の上に、素絹の衣を、周章着(あはてぎ)着給ひけるが」庭訓往來、七月「長絹素絹袈裟」海人藻芥、中「麁絹衣者、山門三井寺方用之、無機袖、單衣也」七〔1149-5〕

とあって、標記語を「素絹」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「そ-けん【素絹】〔名〕@まだ練ってなく、綾紋のない生絹(すずし)の類。A「そけん(素絹)の衣」の略」とあって、『庭訓往来』の語用例は、Aの意味用例として記載する。
[ことばの実際]
雑賀次郎忽懐阿闍梨、互諍雌雄処、定景、取太刀、梟阿闍梨〈着素絹衣腹巻之上〉首《訓み下し》雑賀ノ次郎忽チ阿闍梨ヲ懐キ、互ニ雌雄ヲ諍フ処ニ、定景、太刀ヲ取リ、阿闍梨〈素絹ノ衣ヲ腹巻ノ上ニ着ル(年二十云云)〉ノ首ヲ梟ス。《『吾妻鏡』建保七年正月二十七日の条》 
 
2003年4月15日(火)小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
長絹(チヤウケン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

長絹(―ケン) 。〔元亀二年本65八〕〔静嘉堂本本76八〕〔天正十七年本上38ウ四〕〔西來寺本65八〕

とあって、標記語「長絹」の語を収載し、語注記を未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七条裳横尾鈍色下〔建部傳内本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦(ニシキ)ノ七条裳横尾(ワウー)鈍色(ドンー)〔山田俊雄藏本〕

素絹袈裟-薄墨衣法服錦七條裳横尾鈍色下(ハカマ)〔経覺筆本〕

-(ケン)-(ケン)-(ケサ)-(/せイカウ)薄墨(ウススミ)ノ衣法-(ホウフク)(ニシキ)ノ-条裳(モ)-(アウヒ)-(トンジキ)(シタ)_(―マ)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「長絹」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語「長絹」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

長絹(チヤウケン・ヲサ/ナガシ,キヌ)[平去・去] 。〔絹布門162二〕

とあって、標記語「長絹」の語を収載し、その読みを「チヤウケン」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

長絹(チヤウケン) 衣。〔・財宝50五〕〔・財宝52二〕〔・財宝47五〕〔・財宝56三〕

とあって、標記語「長絹」の語を収載し、その語注記は「衣」と記載する。また、易林本節用集』には、

長絹(チヤウケン) 。〔食服50四〕

とあって、標記語「長絹」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「チヤウケン」として、「長絹」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

408白--ノ(ウ)-衣二重註文之外属(アツラヘ/ゾクス)使者ニ|申入候畢長衣素衣 衣也。若輩、不K也。老成素也。〔謙堂文庫藏四〇左C〕

△長絹児之上下也。之ニテ作ル也。尋常紅色付位高人ニハ紫色付也。〔静嘉堂本『庭訓徃來註』古冩頭注書込み〕

△長絹児之上下也。スヽシ絹也。尋常紅色付位高人ニハ紫色付也。〔東洋文庫蔵『庭訓之抄』頭注書込み〕

※天理図書館藏『庭訓私記』には、「長絹御児上下スヽシスル。袖鏑菊トチヲ付衣也」と記載する。

とあって、標記語を「長絹」(但し、上記謙堂文庫藏本は「長衣と表記)とし、その語注記は「衣なり。若輩の間は、Kをなさずなり。老成は素なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(チヤウケン) トハ。(チゴ)ノ(キル)(ヲモテ)ノ衣。〔下十五ウ八〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は「児の著る表の衣」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(まう)し入(い)れら被(る)(ちやうけん)ルヽ申入 (ちご)の表着(うハき)なり。〔55オ二・三

とあって、標記語を「」とし、語注記は、「児の表着なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲長絹ハ直垂(ひたゝれ)に似(に)て白色也。菊綴(きくとぢ)露紐(つゆひも)等あり。〔41オ三〜八〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲長絹ハ直垂(ひたゝれ)に似(に)て白色也。菊綴(きくとぢ)露紐(つゆひも)等あり。〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「長絹」の語とし、語注記は「長絹ハ直垂(ひたゝれ)に似(に)て白色也。菊綴(きくとぢ)露紐(つゆひも)等あり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho<qen.チヤウケン(長絹) Nagai qinu.(長い絹)すなわち,Xo<zocu.(装束) 坊主(Bo~zos)が上に重ねて着る,ある種の着物.〔邦訳127r〕

とあって、標記語「長絹」の語を収載し、意味を「装束 坊主が上に重ねて着る,ある種の着物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃう-けん〔名〕【長絹】(一)古へ、一種の絹布の名。美しき生絹(すずし)、笋(たけのこ)の皮の裏の如く光澤あるものと云ふ。平絹(ひらぎぬ)などと別つ。水干(スイカン)、直衣(なほし)、狩衣(かりぎぬ)などに作る。狩衣抄「長絹と云ふは、如笋絹也」(二)服の名。即ち、長絹の水干、の略なり。製、直垂の如くにして、袖括(そでくくり)あり、菊綴(きくとぢ)は、水干の如くにして、前に四處、背に三處なり。元、長絹にて作れり、後には、紗(シヤ)、練(ねり)など、定めなし。色、多くは、白きを用ゐる。胸紐は、衣の内にて、左右へ内交へ、項をめぐらし、左右の肩より下げて、兩脇より衣の外へ出して胸にて結ぶ。袴も直垂の如し。假名装束抄「長絹雁衣、おとなしき人の着るものなり」貞丈雑記、五、装束「或説に云、いにしへ、絹に四品あり、長絹(チヤウケン)、平絹(ヘイケン)、麁絹(ソケン)、細絹(サイケン)、是也、云云、装束の長絹は、右の長絹と云ふ絹にて作り始し故、長絹と名づくと云へり」〔1279-4〕

とあって、標記語を「長絹」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ちょう-けん【長絹】〔名〕@長尺に織り出した絹布。A@で作った装束の名称」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
更賜禄各長絹一疋、筑後權守俊兼主計允行政奉行之《訓み下し》更ニ禄ヲ賜ハル。各長絹一疋(ナリ)、筑後ノ権ノ守俊兼、主計ノ允行政、之ヲ奉行ス《『吾妻鏡』文治元年九月二十九日の条》
 
2003年4月14日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
(あつらへ・ゾクす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「楚」と「阿」部に、標記語「」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍張裏衣二重候注文之外使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外(ゾクス)シ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、訓みを「ゾクス」として、「」の語は未収載であり、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本には見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

408白--ノ(ウ)-衣二重註文之外(アツラヘ/ゾクス)使者ニ|申入候畢長衣素衣 衣也。若輩、不K也。老成素也。〔謙堂文庫藏四〇左C〕

とあって、標記語を「」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(カサネ)註文(チウ―)ノ之外(ゾク)シ使者ニ|ラル入之ヲ| 二重(シラハリ)二重(ウラキヌ)ウラノシロキ。ヲンゾナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は「うらのしろき、をんぞなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に嘱(ぞく)て/注文之外使者ニ|嘱ハ言含(いひふくめ)る亊也。口上にて申送るをいふ。〔54ウ八〜55オ一

とあって、標記語を「」とし、語注記は、「嘱ハ言含(いひふくめ)る亊也。口上にて申送るをいふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)(ぞく)て之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)し使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Zocuxi,suru,ita.ゾクシ,スル,シタ(し,する,した) 従属させる,または,征服する.§Cuniuo xeifitni zocu suru.(国を静謐に属する)国を征服し,従属させ,静穏な状態にするる.〔邦訳843l〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「従属させる,または,征服する」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぞく-スル・スレ・セ・シ・セヨ〔自動、左變〕【】(一)つく。たぐふ。附屬す。淮南子、天文訓「龍擧而景雲屬」「其種類に屬す」(二)從ふ。くみす。下に屬(つ)く。史記、項羽紀「羽渡淮、騎能屬者、百餘人耳」「敵に屬す」〔1147-3〕

とあって、標記語を「」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぞく-・する【】〔自サ変〕文ぞく・す〔自サ変〕@従う。くみする。部下となる。支配の下にある。従属する。しょくする。Aその種類または範囲内にある。しょくする。Bひきつづいている。ずっとつながる。連続して同じ状態である。しょくする。C数学で、その集合の要素となる」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
丗上無爲之後、伊豆一所、相摸一所、可被奉庄園於當山《訓み下し》世上無為ニ(ゾク)スルノ後、伊豆ニ一所、相模ニ一所、庄園ヲ当山ニ奉ゼラルベシ(寄セ奉ラルベシ)。《『吾妻鏡』治承四年八月十九日の条》
 
2003年4月13日(日)晴れ。東京(八王子)→世田谷(玉川→駒沢)
二重(ふたかさね)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、標記語「二重」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍張裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「二重」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』に、標記語「二重」の語を未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書には、訓みを「フタガサネ」として、「二重」の語は未収載とし、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本においては見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

408白--ノ(ウ)-二重註文之外属(アツラヘ/ゾクス)使者ニ|申入候畢長衣素衣 衣也。若輩、不K也。老成素也。〔謙堂文庫藏四〇左C〕

とあって、標記語を「二重」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(カサネ)註文(チウ―)ノ之外属(ゾク)シテ使者ニ|ラル入之ヲ| 白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)ウラノシロキ。ヲンゾナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「二重」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたゑ)-張裏衣二重候 これらの品をさし合たる品のぬりにけすとなり。〔54ウ八〜55オ一

とあって、標記語を「二重」とし、語注記は、「これらの品をさし合たる品のぬりにけすとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「二重」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「二重」の語を未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「ふた-がさね〔名〕【二重】」の語はなくして、

ふた-〔名〕【二重】(一){ふたつに重ること。又、ふたつ重ぬること。ニヂュウ。仁コ紀、廿二年正月「夏蟲の、ひむしの衣、赴多弊着て、かく宮邊りは、あによくもあらず」夫木集、廿四、瀬「あやのせに、紅葉の錦、立ち重ね、ふたへに織れる、立田姫かな」(二)老いて、腰以上、前へ屈むこと。大和物語、下「この媼、いといたう老いて、ふたへにて居たり」清輔集「四位の正下したりける喜びを、若き人人のいへりければ、云云、今日こそは、位の山の、峯までに、腰ふたへにて、上りつきぬれ」萬代集、廿、賀、六「若菜摘む、腰はふたへに、ありながら、野邊の小松を、たのみてぞ引く」〔1757-3〕

とあって、標記語を「ふたへ」とし「二重」の表記語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ふたがさね【二重】」の語は、同じく未収載であり、標記語「ふた-え【二重】〔名〕@二つかさなっていること。二つかさねてあること。また、そのもの。にじゅう。A二つに折れ曲がること。腰が折れ曲がるさまにもいう。B「ふたあい(二藍)@」に同じ。C「ふたつぎぬ(二衣)」に同じ。D「ふたえおりもの(二重織物)」に同じ」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。近・現代の国語辞書には「ふたがさね」の語は、未収載と云うことになる。今後の辞書編纂の過程にあっては、標記語として取り込むべき語と見てよかろう。慥かに数単位なる語であるが、如何なものか。
[ことばの実際]
心經會也導師、若宮供僧義慶房請僧五口、二品出御、事訖賜御布施導師分、被物二重、馬一疋請僧口別、裹物一、主計允行政、奉行之《訓み下し》心経会ナリ。導師ハ、若宮ノ供僧義慶房。請僧五口、二品出御シタマヒ、事訖ツテ御布施ヲ賜ハル。導師ノ分、被物二重(フタカサネ)、馬一疋。請僧口別ニ、裹物一ツ、主計ノ允行政、之ヲ奉行ス。《『吾妻鏡』文治四年正月八日の条》
 
2003年4月12日(土)晴れのち曇り。函館・東京→世田谷(駒沢)
裏衣(うらぎぬ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「宇」部に、

裏絹(ウラギヌ) 。〔元亀二年本180八〕

裏絹(ウラキヌ) 。〔静嘉堂本202五〕

とあって、標記語「裏絹」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。この「うらきぬ」の表記に「裏衣」(=至徳三年本・宝徳三年本・山田俊雄藏本・文明本)と「裡衣」(=建部傳内本・経覺筆本)といった二系統の表記が見えている。そして、真字注本は、後者の表記をとっている。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「裏衣」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語「裏衣」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

裏无(ウラナシ) ―衣(キヌ)。〔食服117六〕

とあって、標記語「裏无」の語をもって収載し、冠頭字「裏」の熟語群に「裏衣」の語を収載する。
 このように、上記当代の古辞書では易林本節用集』だけに訓みを「ウラキヌ」として、「裏衣」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

408白--ノ(ウ)-二重註文之外属(アツラヘ/ゾクス)使者ニ|申入候畢長衣素衣 衣也。若輩、不K也。老成素也。〔謙堂文庫藏四〇左C〕

とあって、標記語を「裏衣」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(カサネ)註文(チウ―)ノ之外属(ゾク)シテ使者ニ|ラル入之ヲ| 白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)ウラノシロキ。ヲンゾナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「裏衣」とし、語注記は「うらのしろき、をんぞなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたゑ)候-裏衣二重候 これらの品をさし合たる品のぬりにけすとなり。〔54ウ八〜55オ一

とあって、標記語を「裏衣」とし、語注記は、「これらの品をさし合たる品のぬりにけすとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「裏衣」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Vraguinu.ウラギヌ(裏衣) 着物の裏地として用いる日本の布地.〔邦訳731r〕

とあって、標記語「裏衣」の語を収載し、意味を「着物の裏地として用いる日本の布地」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、「うら-ぎぬ〔名〕【裏衣】」の語を未収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「うら-ぎぬ【裏衣】〔名〕着物の裏地として用いられる布切れ。衣服の裏」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
厳賀袈裟六具、加帷、十箇日之裏衣之可奉転読云々、願趣世間騒動 《『後二条師通記寛治5年5月13日の条2/123 343-0》 
 
2003年4月11日(金)晴れ。函館(駅前)→市内(公立函館未来大学)訪問
白張(しらはり)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「白頭(シロカシラ)。白髪(―カミ)。白絲(―イト)。白山(―ヤマ)。白壁(―カベ)。白旗(―ハタ)源氏。白鬚(―ヒゲ)。白刃(―バ)。白砂(―ス)。白(―ボロ)。白地(―チ)。白尾(―ヲ)。白幣(シラニギテ)。白箆(シラノ)。白柄(―エ)長刀。白藻(―モ)。白波(―ナミ)山賊之異名。白雲(―クモ)頭病。白屑(同)/移。白子(シロシ)。白人(シラヒト)」の21語を収載するが、標記語「白張」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「白張」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、

白張(シラハリ) 。〔絹布門98五〕

とあって、標記語「白張」の語を収載する。次に広本節用集』には、

白張(シラハリハクチヤウ)[入・平] 。〔絹布門924四〕

とあって、標記語「白張」の語を収載し、その読みを「シラハリ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

白張(シラハリ) 。〔・衣服243二〕

白張(シラハリ) 。〔・衣服208八〕

白張(シラハリ) 。〔・衣服192九〕

とあって、標記語「白張」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

白張(シラハリ) 。〔食服208八〕

とあって、標記語「白張」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「シラハリ」として、「白張」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

408--ノ(ウ)-衣二重註文之外属(アツラヘ/ゾクス)使者ニ|申入候畢長衣素衣 衣也。若輩、不K也。老成素也。〔謙堂文庫藏四〇左C〕

とあって、標記語を「白張」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

-(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(カサネ)註文(チウ―)ノ之外属(ゾク)シテ使者ニ|ラル入之ヲ| 白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)ウラノシロキ。ヲンゾナリ。〔下十五ウ七・八〕

とあって、この標記語「白張」とし、語注記は「うらのしろき、をんぞなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたゑ)候-裏衣二重候 これらの品をさし合たる品のぬりにけすとなり。〔54ウ八〜55オ一

とあって、標記語を「白張」とし、語注記は、「これらの品をさし合たる品のぬりにけすとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「白張」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Xirafari.シラハリ(白張) 例,Xirafari xo<zocu.(白張装束)神(Cami),または,内裏(Dairi),公家(Cungues)に仕える人々が着る,ある薄い白い着物.〔邦訳777l〕

とあって、標記語「白張」の語を収載し、意味は未記載とし、ただ例を挙げ「白張装束」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しら-はり〔名〕【白張】はくちゃう。白き布の狩衣の名。糊を強く張る。布の淨衣。しらはり、しやうぞく。古今著聞集、二、釋教、攝津。清澄寺「白張に、立烏帽子きたる男」〔1022-2〕

とあって、標記語を「白張」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「しらはり【白張】〔名〕@白布の表裏に糊(のり)を強くひいて仕立てた召具(めしぐ)の装束とする白布の狩衣の略称。白張装束。A傘(かさ)や提灯(ちょうちん)、障子などが白紙張りのままであること」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
次ニ官人秦ノ兼峰。番ノ長下毛野敦秀、(〈各白狩袴青一脛巾、狩胡ヲ負フ〉)次ニ御車(〈梹榔〉)、車副四人(〈平礼白張〉)、牛童一人。次ニ随兵〈二行〉。《『吾妻鏡建保七年正月二十七日の条》 
 
2003年4月10日(木)晴れ。東京(八王子)→羽田→北海道(苫小牧→函館)
苫小牧駒澤大学から本学へ遠隔講義実施(表現法・話すこと)
魚龍(ギヨレウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「幾」部に、

×〔元亀本271三〕

魚龍(キヨリウ) 袷也。魚綾() 。〔静嘉堂本327七〕

とあって、標記語「魚龍」の語を収載し、その読みを「ギヨリウ」とし、語注記は「袷なり」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍白之張裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

御綾 キヨリン/キヨリヨウ 上品唐綾名也。〔卷第八・雜物501三〕

とあって、標記語「御綾」の語をもって収載し、語注記は「上品唐綾の名なり」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))、広本節用集』、印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』に、標記語を「魚龍」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

魚龍(ギヨレウ) 或綾。〔食服187四〕

とあって、標記語「魚龍」の語をもって収載し、語注記には「或は綾(=魚綾)」と記載する。
 このように、上記当代の古辞書のうち易林本節用集』に、訓みを「ギヨレウ」として、「魚龍」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色- 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「魚龍」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

練色(ギヨレウ)ノ魚龍(ギヨレウ) トハ。款冬(ヤマブキ)色ノ衣也。〔下十五ウ六〜七〕

とあって、この標記語「魚龍」とし、語注記は「款冬色の衣なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

差合(さしあい)候之間練色(ねりいろ)魚龍(ぎよりゆう)差合候之間練色魚龍 白地に魚龍の模様(もやう)を織付(をりつけ)たるなり。〔54ウ八

とあって、標記語を「魚龍」とし、語注記は、「白地に魚龍の模様を織付けたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲練色魚龍ハ圖抄(づせう)に山吹色(やまぶきいろ)の絹(きぬ)に魚龍乃紋(もん)を織(をり)つけたると云々。〔41オ七〜八〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲練色魚龍ハ圖抄(づせう)に山吹色(やまぶきいろ)の絹(きぬ)に魚龍乃紋(もん)を織(おり)つけたる歟と云々。〔73ウ二〕

とあって、標記語「魚龍」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Guioreo.(ママ)ギョレゥ(魚龍) Yamabuqi irono qinu.(山吹色の絹) ある黄色い花の色をした絹の織物.※Guioreo>の誤植.〔邦訳302l〕

とあって、標記語「魚龍」の語を収載し、意味を「(山吹色の絹) ある黄色い花の色をした絹の織物」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぎょ-りょう〔名〕【魚龍】〔御とは、上品なる意か、(天子御料の綾の意にもあるか)字類抄に、ぎょりんと、唐音にも云へれば、支那舶來のものなるべし、魚は、借字と知らる〕唐綾の、上品なるもの。字類抄「御綾、ギョリン、ギョリャウ、上品唐綾名也」増鏡、第八、北野の雪、文永四年「からあや、ぎよれうなどにて、二階造られて」長門本平家物語十四「武藏三郎左衞門有國は、練色のぎよりようの直垂に」〔0505-3〕

とあって、標記語を「魚龍」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ぎょりょう【魚綾魚陵魚龍御綾】〔名〕綾織物(あやおりもの)の一つ。上質の唐綾(からあや)を尊んでいう。ぎょりゅう。ぎょりん」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
さまのかみよしとも三十七ねり色のきよれうの直垂に黒糸おとしの鎧にしゝの丸のすそかな物をそ打たりけるくわかた打たる甲のをゝしめいか物つくりの太刀をはき黒月毛の馬にくろくらをかせしつくわもんに引立さす《『平治物語』(1220年頃)・上、源氏勢汰への亊》 
 
2003年4月9日(水)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 
練色(ねりいろ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「祢」部に、「練貫(ヌキ)。練藥(グスリ)字同。練物(モノ)。練絹(キヌ)」とあって、標記語「練色」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍白之張裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「練色」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「練色」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

練色(ネリイロレンシヨク)[去・入] 。〔態藝門427四〕

とあって、標記語「練色」の語を収載し、その読みを「ネリイロ」とし、その語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「練色」の語を未収載にする。また、易林本節用集』には、

練貫(ネリヌキ) ―緯(ヌキ)―色(イロ)。〔器財31六〕

とあって、標記語「練色」の語をもって収載し、冠頭字「練」の熟語群に「練色」を記載する。
 このように、上記当代の古辞書では広本節用集』と易林本節用集』に訓みを「ネリイロ」として、「練色」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「練色」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

練色(ネリイロ)魚龍(ギヨレウ) トハ。款冬(ヤマブキ)色ノ衣也。〔下十五ウ六〜七〕

とあって、この標記語「練色」とし、語注記は「款冬色の衣なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

差合(さしあい)候之間練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)差合候之間練色魚龍 白地に魚龍の模様(もやう)を織付(をりつけ)たるなり。〔54ウ八

とあって、標記語を「練色」とし、語注記は、「白地に魚龍の模様を織付けたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「練色」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「練色」の語を未収載とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ねり-いろ〔名〕【練色】 うすき黄色。淡黄色。枕草子、七、七十一段、きたなげなるもの「ねり色のきぬこそきたなけれ」鎌田兵衞名所盃(元禄、近松作)上「嫡子惡源太義平は、練色の魚綾(ぎよりよう)の直垂〔1530-3〕

とあって、標記語を「練色」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ねりいろ【練色】〔名〕白みを帯びた薄い黄色」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
于時、改以前御裝束、〈練色水干、〉著素服給〈云云〉《訓み下し》時ニ、以前ノ御装束ヲ改メ、〈練色(ネリイロ)ノ水干、〉素服ヲ著シ給フト〈云云〉。《『吾妻鏡』元暦二年八月三十日の条》 
 
2003年4月8日(火)晴れ後曇り午後雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 
指合(さしあひ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

指合(サシアイ)。〔元亀本271三〕

指合(サシアイ)。〔静嘉堂本309六〕

とあって、標記語「指合」の語を収載し、その読みを「サシアイ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣又要用分者指合候之間練色魚龍白之張裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣文要用分者{指カ}候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)文要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「指合」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「指合」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

指合(サスアイシカフ、ユビ,―)[上・入] 又作(サシ)。〔態藝門790二〕

とあって、標記語「指合」の語を収載し、その読みを「サスアイ」とし、その語注記は、「又作○○」の形式で別表記「差合」の語を記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

指合(―アイ) 。〔・言語進退215四〕

指合(サシアイ) 。〔・言語178九〕〔・言語168一〕

とあって、標記語「指合」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

指圖(サシヅ) ―寄(ヨス)。―向(ムカフ)。―簪(カザス)。―(マネク)。―懸(カクル)―合(アヒ)。〔言辞181六〜七〕

とあって、標記語「指圖」の語をもって収載し、冠頭字「指」の熟語群に「指合」を記載する。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「サシアイ」として、「指合」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「指合」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

目録也用(ツキ)后者(イソキ)可被持参但要用(ヨウ―)ノ之分者(サシ)候間 目録トハ。頭(カシラ)々ヲ記(シル)シタツルヲ云フナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「指合」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

差合(さしあい)候之間練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)差合候之間練色魚龍 白地に魚龍の模様(もやう)を織付(をりつけ)たるなり。〔54ウ八

とあって、標記語を「指合」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣文要用之分者差合之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)の(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「差合」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Saxiai.サシアヒ(指合) さしさわり,または,用事.§Cono renganiua saxiaiga vouoi.(この連歌には指合が多い)この歌には,誤謬や破格,あるいは,欠陥がたくさんある.〔邦訳562r〕

とあって、標記語「指合」の語を収載し、意味を「さしさわり,または,用事」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

さし-あひ〔名〕【指合】(一)さしあふこと。(二)ささはり。さしつかへ。故障。今、下略して、さしとのみも云ふ。支喫茶徃來(玄恵)「御會之日、云云、早旦望會所、可相待其期也、不然者、自然指合、又有之歟」海人藻芥(あまのもくづ)(應永)中「權上座於指合者、次第次第、次人可與奪」「今日は、さしで會はれない」(三)連歌に云ふ語。さりきらひの條の(一)を見よ。狂言記、盗人連歌「一段と出來た、さりながら、少しさし合ひがある」(四)婦女の、月經あること。又、其もの。大上臈御名之事「女房詞、不浄になる事を、さしあひと云ふ」〔0799-4〕

とあって、標記語を「指合」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「さしあい【差合指合】〔名〕@さしあうこと。ぶつかりあってうまくいかないこと。さしつかえがあること。さしさわり。故障。また、食物の食い合わせ。A連歌や連句で同字、同類、同想、同意などの語が規定以上に近づくのを禁じること。また、その規定、およびその書物。去り嫌い。B(形動)他人の前で遠慮すべき言動をすること。さしつかえのある言動をすること。また、その言動やそのさま。あたりさわり。Cその遊女が、ごく親しい間柄の者のなじみであるために買えないこと。また、目当ての遊女にすでに先客があること。D女性が月経中であること、また、月経をいう女房詞。E他の人と力を合わせて物事を行なうこと。二人ですること。F応対すること。また、応対のしかた」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
其外朝家大事等指合事等、廻遠慮不事闕之様、可有計沙汰歟《訓み下し》其ノ外朝家ノ大事等。指シ合フ(件ノ)事等、遠慮ヲ廻ラシ事闕カザルノ様ニ、計ラヒ沙汰有ルベキカ。《『吾妻鏡文治五年四月二十二日の条》 
 
2003年4月7日(月)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 
要用(エウヨウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、

要用(――)。〔元亀本132九〕

要用(ヨウ/\/カナラス)。〔静嘉堂本139五〕

とあって、標記語「要用」の語を収載し、その読みを「ヨウヨウ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

單衣要用分者指合候之間練色魚龍白之張裏衣二重候注文之外属使者被申入之〔至徳三年本〕

單衣要用分者捐{指カ}合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外屬使者被申入之〔宝徳三年本〕

單衣要用之分者指合候之間練色魚龍白張裡衣二重候注文之外属使者被申入〔建部傳内本〕

單衣(ヒトヘ―)要用之分者指合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外使者ニ|申入〔山田俊雄藏本〕

單衣(ヒトヘキヌ)要用之分者指合候之間練色(ネリイロ)魚竜(―レウ)白張裡衣二重註文之外属シテ使者ニ|申入〔経覺筆本〕

單衣(ヒトヘキヌ/ヒトエ)(ヒ)要用分者指合候之間練色(ネリ―)魚龍(キヨレウ)白張(シラハリ)裏衣(ウラキヌ)二重(―カサネ)候注文之外属(ゾクス)シテ使者被申〔文明本〕※属(シヨク)

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

要用 ウヨウ。〔黒川本・疉字下14ウ三〕

要便 〃人。〃樞シユ/一作須。〃容。〃門。〃劇。〃書。〃實。〃害。〃用。〃路。〃須。〔卷第七・疉字214六〜215一〕

とあって、標記語「要用」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「要用」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

要用(ヨウヨウ/ナイガシロ,モチイル)[平・上] 。〔態藝門318四〕

とあって、標記語「要用」の語を収載し、その読みを「ヨウヨウ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

要用(ヨウヨウ) 。〔・言語進退94三〕

要用(――) ―須(ス)。―顔(ガン)。―害(ガイ)。〔・言語88八〕

要用(ヨウヨウ) ―須。―顔。―害。〔・言語80七〕

要用(ヨウヨウ) ―須(ス)。―顔(ガン)。―害(ガイ)。〔・言語97四〕

とあって、標記語「要用」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

要道(ヨウタウ) ―術(シユツ)。―路(ロ)。―望(マウ)。―文(モン)。―須(ス)。―器(キ)。―略(リヤク)―用(ヨウ)。―亊(シ)。―劇(ケキ)。〔言語86四〕

とあって、標記語「要道」の語をもって収載し、冠頭字「要」の熟語群に「要用」を記載する。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ヨウヨウ」として、「要用」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)---分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「要用」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

目録也用(ツキ)后者(イソキ)可被持参要用(ヨウ―)之分者指(サシ)候間 目録トハ。頭(カシラ)々ヲ記(シル)シタツルヲ云フナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「要用」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(たゝ)単衣(ひとへきぬ)の文(もん)要用(よう/\)(ふん)(ハ)単衣-之分者 要はかなめなり。無(なく)て叶(かなハ)さる物を要用と云。〔54ウ六〜七

とあって、標記語を「要用」とし、語注記は、「要はかなめなり。無くて叶はざる物を要用と云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)の文(もん)要用(えうよう)乃分(ぶん)(ハ)差合(さしあ)ひ候(さふら)ふ之間(あいだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりゆう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふら)ふ注文(ちうもん)(の)(ほか)使者(ししや)に屬(ぞく)して之(これ)を申(まう)し入(い)れら被(る)長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)精好(せいこう)薄墨(うすすミ)の衣(ころも)法服(ほふふく)(にしき)の七條(しちてう)(も)横尾(わうび)鈍色(とんしき)(した)乃袴(はかま)單衣要用之分者差合候之間練色魚龍白張裏衣二重候注文之外シテ使者ニ|レラヲ|長絹素絹袈裟-薄墨法服七條横尾鈍色。▲要用ハ差當(さしあた)り入用の義。〔41オ三〜七〕

(たゞ)し單衣(ひとへぎぬ)(もん)要用(えうよう)(ぶん)(ハ)差合(さしあひ)(さふらふ)(の)(あひだ)練色(ねりいろ)の魚龍(ぎよりよう)白張(しらはり)裏衣(うらきぬ)二重(ふたかさね)(さふらふ)注文(ちゆうもん)(の)(ほか)(ぞく)して使者(ししや)に|(る)(まう)(い)れら(これ)を長絹(ちやうけん)素絹(そけん)袈裟(けさ)-(せいかう)薄墨(うすすミ)(ころも)法服(ほふふく)(にしき)七條(しちでう)(も)横尾(わうび)鈍色(どんじき)(した)の(はかま)。▲要用ハ差當(さしあた)り入用の義。〔72オ二〜72ウ二〕

とあって、標記語「要用」の語とし、語注記は「要用は、差當り入用の義」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Yo>yo>.ヨゥヨゥ(要用) 用事.〔邦訳832r〕

とあって、標記語「要用」の語を収載し、意味を「用事」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

えう-よう〔名〕【要用】 必ず入用なること。必要なること。要須。漢書、藝文志「凡百八十二家、册要用、定著三十五家今昔物語集、十七、第四十一語「要用あるに依て、馬に乘て里に出づる程に」〔0272-3〕

とあって、標記語を「要用」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ようよう【要用】〔名〕@(形動)さしせまって必要なこと。どうしても必要なさま。A重大な用事。必要な用事」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
刑部烝經俊〈官好無其要用事歟、アワレ無益事哉〉《訓み下し》刑部ノ丞経俊〈官好ミ其ノ要用無キ事カ、アワレ無益ノ事哉〉。《『吾妻鏡』元暦二年四月十五日の条》 
 
2003年4月6日(日)晴れ。東京(八王子) 
持参(ヂサン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

持参(チサン)。〔元亀本63九〕

持参(―サン)。〔静嘉堂本74二〕〔天正十七年本上37オ七〕〔西來寺本114四〕

とあって、標記語「持参」の語を収載し、その読みを「チサン」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

後者急可被持参〔至徳三年本〕

後者可被持參〔宝徳三年本〕

之後者可被持参〔建部傳内本〕

_(ツキ)者急-〔山田俊雄藏本〕

(ツキ)后者持参〔経覺筆本〕

(ツキ)後者急可持参(ぢさ―)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「持参」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「持参」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

持参(ヂサン/モツ,マイル)[平・平] 。〔態藝門174四〕

とあって、標記語「持参」の語を収載し、その読みを「ヂサン」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

持参(ヂサン) 。〔・言語進退52六〕

持齋(ヂサイ) ―律(チリツ)。―病(ヒヤウ)。―物(モツ)。―疑(キ)―參(サン)。〔・言語53三〕

持齋 ―律。―病。―物。―疑。―参。〔・言語48四〕

とあって、標記語「持参」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

持參(―サン) 。〔言語52三〕

とあって、標記語「持参」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ヂサン」として、「持参」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「持参」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

目録也用(ツキ)后者(イソキ)可被持参但要用(ヨウ―)ノ之分者指(サシ)候間 目録トハ。頭(カシラ)々ヲ記(シル)シタツルヲ云フナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「持参」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(いそ)持参(じさん)せ被可(らるべき)也/急可持参也 用事済(すミ)たらハはやく持参して返上(へんしやう)せられよとなり。〔54ウ三〜四

とあって、標記語を「持参」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)に輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)る用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)て後(のち)(ハ)(いそ)持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参〔41オ三〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)用物(ようもつ)の(こと)(まかせ)目録(もくろく)に(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)〔72オ二・三〕

とあって、標記語「持参」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gisan.ヂサン(持参) Motte mairu.(持って参る)何か物を自分で持って行く,または,持って来る.例,Gisan itasu,l,tcucamatcuru.(持参致す,または,仕る)§Saqeua core yori gisan mo<so<zu.(酒はこれより持参申さうず)酒については,私がこちらから持って行こう.〔邦訳317r〕

とあって、標記語「持参」の語を収載し、意味を「(持って参る)何か物を自分で持って行く,または,持って来る」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-さん〔名〕【持参】物を持(も)ちてまゐること。たづさへ行くこと。〔3-0319-3〕

とあって、標記語を「持参」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「じさん【持参】〔名〕@(―する)金品を持って行くこと、または、持って来ること。また、そのもの。A「じさんきん(持参金)」の略」とあって、『運歩色葉集』を引用するが『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
手自取長刀、賜景廉、討兼隆之首、可持參之旨、被仰含〈云云〉《訓み下し》手自ラ長刀ヲ取テ、景廉ニ賜ハリ、兼隆ガ首ヲ討ツテ、持参スベキノ旨、仰セ含メラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年八月十七日の条》 
 
2003年4月5日(土)雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 
(のち)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「乃」部に、標記語「」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

後者急可被持参也〔至徳三年本〕

後者可被持參也〔宝徳三年本〕

後者可被持参也〔建部傳内本〕

_(ツキ)-〔山田俊雄藏本〕

(ツキ)后者持参〔経覺筆本〕

(ツキ)後者急可持参(ぢさ―)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ノチ 已上同。〔黒川本・方角中60オ三〕

ノチ 先―猶 奴。 已上同。〔卷第五・方角258二〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「後者」の語を未収載にする。次に広本節用集』や印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、「乃」部の標記語として「」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

(ノチ) 。〔言辞124四〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書では、易林本節用集』に訓みを「のち」として、「」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「後者」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

目録也用(ツキ)后者(イソキ)可被持参但要用(ヨウ―)ノ之分者指(サシ)候間 目録トハ。頭(カシラ)々ヲ記(シル)シタツルヲ云フナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「后者」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(よう)(つき)て後(のち)(ハ)後者 竭とハ済(すむ)といふかことし。〔54ウ五

とあって、標記語を「後者」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)に輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)る用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)(のち)(ハ)(いそ)ぎ持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参〔41オ二〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)用物(ようもつ)の(こと)(まかせ)目録(もくろく)に(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)て(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)〔73ウ一〕

とあって、標記語「後者」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nochi.ノチ() 後.例.Icusano nochi.(軍の後)戦争の後.§Maitte nochi.(参つて後) その人が来たあとで、または,その人が来たならば.〔邦訳469r〕

とあって、標記語「」の語を収載し、意味を「後」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

のち〔名〕【】(一)次なること。後れたる方。あと。うしろ。(前(まへ)、先(さき)の反)字類抄「後、ノチ、先後、后」(二){年、月、日、時の未來の方。後來。神代紀、上「天先成而地後(のち)に定」萬葉集、十九27「少女らが後(のち)のしるしと、つげを櫛、おほかはりおひて、靡きけらしも」「後の爲に」後の世」後の年」後の春」(三){後胤。子孫。枕草子、五、四十六段「もとすけが、のちと云はるる、君しもや、今宵の歌は、はづれては居る」宇津保物語、藏開、上5「この世に、仲忠をはなちては、御のちなし」(四){なきあと。死後。歿後。天智紀、八年十月「臣既不敏、當復何言、但其葬事(ノチノワザ)、宜輕易、生則無於軍國、死則何敢重難」宇津保物語、俊蔭22「但し、命の後、女子の爲に、氣近き寳とならむ物を奉らむ」後の弔」後の事」 後の親とは、ままおや。源氏物語、二、帚木37「まうとののちのおや、さなん侍ると申すに、にげなきおやをも、まうけたりけるかな」〔1537-3〕

とあって、標記語を「」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「のち【】〔名〕@空間的に、うしろ。A時間的に、それよりあと。ある時よりあと。イ、それが行なわれたあと。ロ、今後。将来。これから先。ハ、後刻。後日。すこし時がたったあと。B後世。のちの世。C死後。没後。D子孫。E順番や序列が、あとであること。また、下であること。イ、次に、ある位についた人。おくれてなった人。次(つぎ)。ロ、同じ種類の物事が続けてある場合の、あとの方の物事。二度め。次(つぎ)。ハ、来年。明年。F太陰暦で、普通の月に続いているもう一つの月。閏(うるう)[語源説](1)なをつぎ(猶次)の反〔名語記〕。(2)のきち(退路)の義〔名言通・国語の語根とその分類=大島正健〕。(3)ノはノビ(伸び)の語幹で延長の意、チはカタ(方)のタの転〔日本古語大辞典=松岡静雄〕」とあって、『庭訓往来』の語用例は、未記載にする。
[ことばの実際]
平愈之後者、早可歸參之由、可被示付之趣、被献御書於參州《訓み下し》平愈ノ後ハ、早ク帰参スベキノ由、示シ付ケラルベキノ趣、御書ヲ参州ニ献ゼラル。《『吾妻鏡』元暦二年三月六日の条》 
ことばの溜池「つく【竭】」(2003.01.27)を参照。
 
2003年4月4日(金)晴れのち曇り夜雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 
目録(モクロク)」→ことばの溜池(2000.10.20)参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「毛」部に、

目録(モクロク)。〔元亀本348五〕〔静嘉堂本419一〕

とあって、標記語「目録」の語を収載し、その読みを「モクロク」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

更非輕賤之儀抑被申入用物亊任目録所被下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

更非輕賤之儀抑被申入用物亊任目録所被下也〔建部傳内本〕

-之儀ニ|抑被_-亊任-ニ|下也〔山田俊雄藏本〕

更非輕賤(キヤウせン)之儀抑被申入用物之亊任目録〔経覺筆本〕

輕賤(キヤウせン)之儀抑被申入用物亊任目録〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

目録 文書部/モクロク。〔黒川本・疉字下100オ八〕

目録 々代。々筆。〔卷第十・疉字424一〕

とあって、標記語「目録」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「目録」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

目録(モクロク/メ,シルス)[入・平] 帳。〔器財門1067六〕

とあって、標記語「目録」の語を収載し、その読みを「モクロク」とし、その語注記は、「帳」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

目録(モクロク) 帳。〔・財宝259六〕〔・財宝221六〕〔・財宝208一〕

とあって、標記語「目録」の語を収載し、その語注記は広本節用集』と同じく「帳」と記載する。また、易林本節用集』には、

目録(モクロク) 。〔器財230六〕

とあって、標記語「目録」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「モクロク」として、「目録」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「目録」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

輕賤(キヤウせン)之儀ニ|(ソモ/\)(ラルヽ)申入目録之亊任(マカせテ) 目録トハ。頭(カシラ)々ヲ記(シル)シタツルヲ云フナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「目録」とし、語注記は「目録とは、頭々を記したつるを云ふなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)申入(もふしいれら)るゝ用物(ようぶつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)す/抑被申入用物之亊任目録注文書の事なり。〔54ウ三〜四

とあって、標記語を「目録」とし、語注記は「注文書の事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)に輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)る用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)て後(のち)(ハ)(いそ)ぎ持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参目録ハ用物乃品(しな)がき也。〔41オ三〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)用物(ようもつ)の(こと)(まかせ)目録(もくろく)(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)て(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)目録ハ用物乃品(しな)がき也。〔72オ二・三〕

とあって、標記語「目録」の語とし、語注記は、「目録は、用物の品がきなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mocurocu.モクロク(目録) Nauo xirusu(名を録す).書物の目次.§また,贈物として送られる品物,たとえば,酒樽,肴(Sacanas),馬,太刀などの品目表.もし,他の品物,たとえば,反物などの品目表であれば,Chu<mon(注文)と言われる。⇒Chi<mon(注文).〔邦訳416r〕

とあって、標記語「目録」の語を収載し、意味を「書物の目次。また,贈物として送られる品物,たとえば,酒樽,肴,馬,太刀などの品目表。もし,他の品物,たとえば,反物などの品目表であれば,注文と言われる」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

もく-ろく〔名〕【目録】(一)書中の題目のみを録(しる)し掲げたるもの。目次。みだし。又、進物などの品品の名を竝べ記せる文書(かきつけ)をも云ふ。掲帖。儀状。晉書、曹志傳「先王有手所作目録台記、天養二年四月十四日「會文士調文書書目録納倉、其筥皆有録(一二三之類也)」宇津保物語、國讓、下44「おとどに申し給ふ、云云、もくろくとて、その文奉り給ふ」(二)贈物の金銀を目録に書き載するより、直に其金銀の稱。「御目録頂戴」(三)師より弟子に、藝術の奥義を傳ふるに就きての名目。皆傳(カイデン)の下に註す。〔2002-2〕

とあって、標記語「目録」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「もく-ろく【目録】〔名〕@書物や文書などの題目・項目などを集めて記したもの。A所蔵、展示、収録などのしてある品目や、所属している人名や、ものごとの段取りなどを書き並べたもの。B進物の品名や金銀の額を記したもの。C進物の時、実物の代わりに、仮にその品目の名だけを記して贈るもの。D一つの目的のもとに、多少とも体系的・網羅的に、多数の条項を集成した法規。式条。式目。法典。E進物として、贈る金の包み。F師から弟子に芸道・武術を伝授する時、その名目と伝授し終った由を記して与える文書」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍可被仰付日々御所作於件禪尼之旨、御臺所、令申之給、即被遣目録尼申領状〈云云〉《訓み下し》仍テ日日ノ御所作ヲ件ノ禅尼ニ仰セ付ケラルベキノ旨、御台所、之ヲ申サシメ給ヒ、即チ目録(モクロク)ヲ遣ハサル。尼領状ヲ申スト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年八月十八日の条》 
 
2003年4月3日(木)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 
用物(ヨウモツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「与」部に、「用心(ヨウジン)。用意(ヨウイ)。用捨(―シヤ)。用水(―スイ)。用途(―ト)銭。」の五語を収載し、標記語「用物」の語を未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

更非輕賤之儀抑被申入用物亊任目録所被下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

更非輕賤之儀抑被申入用物亊任目録所被下也〔建部傳内本〕

-之儀ニ|抑被_-亊任-ニ|下也〔山田俊雄藏本〕

更非輕賤(キヤウせン)之儀抑被申入用物之亊任目録〔経覺筆本〕

輕賤(キヤウせン)之儀抑被申入用物亊任目録〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「用物」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「用物」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

用物(ヨウモツ/フツ、モチイル,モノ)[上・入] 。〔態藝門317八〕

とあって、標記語「用物」の語を収載し、その読みを「ヨウモツ」とし、その語注記は、未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』、易林本節用集』には、標記語「用物」の語は未収載にする。標記語「用物」の語を未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書のなかで唯一で広本節用集』が訓みを「ヨウモツ」として、「用物」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「用物」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

輕賤(キヤウせン)之儀ニ|(ソモ/\)(ラルヽ)申入用物之亊任(マカせテ) 軽賤ト書テカロシメイヤシムルトヨムナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「用物」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(そも/\)申入(もふしいれら)るゝ用物(ようぶつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)す/抑被申入用物之亊任目録注文書の事なり。〔54ウ二〜三

とあって、標記語を「用物」とし、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)に輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)て後(のち)(ハ)(いそ)ぎ持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参〔41オ一〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に|(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)|用物(ようもつ)(こと)(まかせ)目録(もくろく)に(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)て(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)〔72ウ五〕

とあって、標記語「用物」の語とし、語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「用物」の語を未収載とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語を「用物」の語は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「よう-ぶつ【用物】〔名〕「ようもつ(用物)」に同じ」。標記語「よう-もつ【用物】〔名〕必要な物品。入用のもの。ようぶつ」とあって、『庭訓往来』の語用例は、「ようもつ」の意味として記載する。
[ことばの実際]
庄土民等達背寺家下知状抑留寺用物事、綸旨西園寺前太政大臣家御 《『東寺百合文書』と函・永仁四年六月六日 85-24 3/551》 
 
2003年4月2日(火)小雨。東京(八王子)→世田谷(駒沢) 入学式
輕賤(ケイセン・キヤウセン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「記」部に、

×〔元亀本42九〕

輕賤(―せン)。〔静嘉堂本325七〕

とあって、標記語「輕賤」の語を収載し、その読みを「(キヤウ)セン」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

更非輕賤之儀抑被申入用物亊任目録所被下〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕

更非輕賤之儀抑被申入用物亊任目録所被下也〔建部傳内本〕

-之儀抑被_-亊任-下也〔山田俊雄藏本〕

更非輕賤(キヤウせン)之儀抑被申入用物之亊任目録〔経覺筆本〕

輕賤(キヤウせン)之儀抑被申入用物亊任目録〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「輕賤」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「輕賤」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

輕賎(キヤウせンケイ、カロシ,イヤシ)[平・上] 軽微乏少。〔態藝門830三〕

とあって、標記語「輕賤」の語を収載し、その読みを「キヤウセン」とし、その語注記は、「軽微乏少」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

輕賤(―セン) 。〔・言語進退223一〕

輕忽(キヤウコツ) ―重(デウ)―賎(せン)/―犯(ホン)。―慢(マン)/又作―瞞。〔・言語184七〕

輕忽(キヤウコツ) ―重。―賎。―犯/―瞞。又慢。〔・言語174二〕

とあって、標記語「輕賤」の語を収載し、その語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

輕慢(キヤウマン) ―賎(せン)。―忽(コツ)/―罪(ザイ)。―重(デウ)。〔器財31六〕

とあって、標記語「輕慢」の語をもって収載し、冠頭字「輕」の熟語群に「輕賤」を記載する。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「キヤウセン」として、「輕賤」の語が収載され、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

407更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参但単(ウス)-衣要-用之-分者指合候間練色魚-竜 織付タル文也。地練也。《頭注書込み》練色魚龍トハ款冬色ノ衣ナリ。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「輕賤」とし、その語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

輕賤(キヤウせン)之儀(ソモ/\)(ラルヽ)申入用物之亊任(マカせテ) 軽賤ト書テカロシメイヤシムルトヨムナリ。〔下十五ウ三〜四〕

とあって、この標記語「輕賤」とし、語注記は「輕賤と書きて、カロシメイヤシムルとよむなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

(さら)輕賤(けいせん)の儀(ぎ)に非(あら)す/輕賤之儀 輕賤ハかろしめいやしむと讀(よむ)。反故を用るハ失礼なる事故其言訳(いひわけ)をしたるなり。〔54ウ二〜三

とあって、標記語を「輕賤」とし、語注記は「輕賤は、かろしめいやしむと讀む。反故を用るは、失礼なる事故、其の言訳をしたるなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)る用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)て後(のち)(ハ)(いそ)ぎ持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参輕賤ハかろんじいやしむと訓(よ)む。人をあなとる意(い)。〔41オ三〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)用物(ようもつ)の(こと)(まかせ)目録(もくろく)に(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)て(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)輕賤ハかろんじいやしむと訓(よ)む。人をあなどる意(い)。〔72オ二・三〕

とあって、標記語「輕賤」の語とし、語注記は、「輕賤は、かろんじいやしむと訓む。人をあなどる意」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeixen.ケイセン(輕賤) 人をけなしたり,軽んじいやしめたりすること.§Fitouo qeixenni atcuco<.(人を軽賎に扱ふ)人を卑しめて遇する.〔邦訳483l〕

Qio<xen.キャゥセン(輕浅) Caroqu asaxi.(軽く浅し)軽微な,つまらないこと.文書語.〔邦訳503r〕

とあって、標記語「輕賤」の語を収載し、意味を「人をけなしたり,軽んじいやしめたりすること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けい-せん〔名〕【輕賤】(一)かろんじ、いやしむること。庭訓往來、七月「白紙拂底之間、所反故也、更非輕賤之儀(二)かろく、少なきこと。庭訓往來、七月「佛布施幵被物、禄物等、用意輕賤也」〔0598-5〕

とあって、標記語を「輕賤」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「けい-せん【軽賎】〔名〕「きょうせん(軽賎)」に同じ」。標記語「きょう-せん【軽賎】〔名〕@(―する)軽んじいやしめること。けいせん。A(形動)身分が軽くいやしいこと。また、その人やそのさま。けいせん。B(形動)軽く少ないこと。取るにたりないつまらないこと。また、そのさま。けいせん。[語誌](1)「日葡辞書」にはキャウセン・ケイセンともに見え、キャウセンの項に、「caroquasaxi(カロク アサシ)」とあり、表記として「軽賎」が行なわれていたか、あるいはそのような語源解釈が行なわれていたかを示している。意味は「軽微でつまらないこと」とあり、Bの意に該当し、文書語との注記がある。ケイセンは、「人をけなしたり、軽んじ賎しめたりすること」とあり、@にあたる。(2)「軽重」や「軽忽」の「軽」音が江戸時代前期にキャウからケイに替わるようにケイセンも呉音から漢音へと交替したもので、「日葡辞書」の両者の記述の違いは、新旧語形の交替期に見られる意味の違いによる併存と思われる」とあって、『庭訓往来』の語用例は、「きょうせん」のAの意味として記載する。
[ことばの実際]
法華経に云く_悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者《納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん》《『日蓮遺文』立正安国論》 
 
2003年4月1日(火)晴れ。東京(八王子)→世田谷(駒沢)
反故(ホウグ・ホンゴ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

反古(ホウクホンコ)翻古(同)〔元亀本42九〕

反古(ホング)翻古(同)〔静嘉堂本47二・三〕

反古(ホンコ)翻古(ホンコ)。〔天正十七年本中57ウ六〕

とあって、標記語「反故」と「翻古」の二語を収載し、その読みを「ホウク」「ホンコ」「ホング」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』七月日の状に、

薄帋拂底之間所反故〔至徳三年本〕

薄紙拂底之間所用反故〔宝徳三年本〕

薄帋拂底之間所用反故〔建部傳内本〕

薄紙(ハク―)拂底之際所反故(ホウコ)()ノ_-〔山田俊雄藏本〕

薄紙拂底之間所反故〔経覺筆本〕

薄紙(ハク―)拂底(フツテイ)之間所反故(ホウク)〔文明本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。
 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「反故」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))に、標記語を「反故」の語を未収載にする。次に広本節用集』には、

反故(ホングハンコ、ソムク・クツカヘス,フルシ)[去・上] 旧文也。〔器財門99八〕

とあって、標記語「反故」の語を収載し、その読みを「ホング」とし、その語注記は、「旧き文なり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

反故(ホウグ) 古紙。〔・財宝32三〕〔・財宝32七〕

反故(ホウク) 古紙。〔・財宝31二〕

反故(ホンゴ) 古紙。〔・財宝37三〕

とあって、標記語「反故」の語を収載し、その語注記は「古紙」と記載する。また、易林本節用集』には、

反古(ホウグ) 。〔器財31六〕

とあって、標記語「反古」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。
 このように、上記当代の古辞書での訓みを「ホウク」「ホウグ」「ホンゴ」として、「反故」乃至「反古」の語が収載され、前者は、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本に見えている語である。
 さて、真字本『庭訓往来註』七月日の状には、

406薄紙拂底之間所反故也 古文、又來書。別反故ニ|レル書也。〔謙堂文庫藏四〇左@〕

とあって、標記語を「反故」とし、その語注記は、「古文を、また來書の内に書く。別の反故にあらず、來れる書なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

拂底(フツテイ)ノ之間所ロ∨反故(ホンコ)ヲ|也更ラニス 拂底トハ。ソコヲハラフトヨムナリ。悉(コト/\)ク数(カス)ヲ尽(ツク)シハテタル事也。反故(ホンコ)トワホウグノ事也。餘所(ヨソ)ヨリ状ナンド來ルニハ。必返事(ヘンジ)ヲスル也。紙(カミ)若シ無クハ。反故(ホンゴ)ノ裏(ウラ)ニテモ用。サモ無ハ其文ヲウラガヘシテ可シ∨書。抑人ノ許ヨリ來ル文ニ返事せザル事不有。翌日(ヨクジツ)ニモ返事スベシ。翌日(ヨクジツ)トハ。明(アク)ル日ノ事ナリ。〔下十五ウ一〜三〕

とあって、この標記語「反故」とし、語注記は「反故とは、ホウグの事なり。餘所より状なんど來るには、必ず返事をするなり。紙若し無くは、反故の裏にても用ゆ。さも無くば其の文をうらがへして書くべし。抑人の許より來る文に返事せざる事有るべからず」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)反故 反故ハ一たひ用たる帋なり。むかしハ紙も今の如く多くなかりしゆへふるきふみのうらなとに書て徃来(わうらい)たる事あり。〔54オ八〜54ウ二

とあって、標記語を「反故」とし、語注記は「反故は、一たび用たる帋なり。むかしは、紙も今の如く多くなかりしゆへふるきふみのうらなどに書きて徃来たる事あり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

白紙(はくし)拂底(ふつてい)の間(あいだ)反故(ほうぐ)を用(もち)ゆる所(ところ)(なり)(さら)に輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に非(あら)ず。抑(そも/\)(まう)し入(い)れら被(る)る用物(ようもつ)の事(こと)目録(もくろく)に任(まか)せ之(これ)を下(くだ)さ被(る)る所(ところ)也。用(よう)(つき)て後(のち)(ハ)(いそ)ぎ持參(ちさん)せら被(る)(べ)き也(なり)白紙拂底之間所反故也更非輕賤之儀抑被申入用物之亊任目録下也用竭(ツキ)テノ後者急可持参反故ハ一旦(いつたん)用達(ようだち)たる紙(かみ)也。〔40ウ八〜41オ二〕

白紙(はくし)拂底(ふつてい)(の)(あひだ)(ところ)(もちふる)反故(ほうご)(なり)(さら)に(あら)す輕賤(けいせん)(の)(ぎ)に(そも/\)(るゝ)申入(まうしいられ)用物(ようもつ)の(こと)(まかせ)目録(もくろく)に(ところ)(るゝ)(くださ)(これ)を(なり)(よう)(つき)て(のち)(ハ)(いそぎ)(べき)(る)持参(ぢさん)せら(なり)反故ハ一旦(いつたん)用達(ようだち)たる紙(かみ)也。〔72オ二・三〕

とあって、標記語「反故」の語とし、語注記は、「反故は、一旦用達たる紙なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo>gu.ホウゴ(反古) 書きよごした紙.または,もう役に立たない紙.または,書き直したり書きよごしたりした習字手本.⇒Fongo(反古).〔邦訳258l〕

とあって、標記語「反故」の語を収載し、意味を「書きよごした紙.または,もう役に立たない紙.または,書き直したり書きよごしたりした習字手本」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-〔名〕【反故反古】(一){又ほうぐ。ほご。ほうご。ほんご。文字など書きたる紙の、用なくなれるもの。ほぐがみ。ほごがみ。ふるほぐ。倭名抄五、23文書具「反故、齊春秋云、沈麟士字雲禎、少清貧無紙、以飜古書寫數千巻」(案、飜與反通) 字類抄下、言辭門「反古、ホク、ホンゴ」源氏物語、五十、浮舟64「むづかしきほぐなど破りて」大鏡、上、三條院「古ほぐとおぼして、打捨てさせたまはで」夫木抄、十二、秋「秋の田の、ほぐとも雁の、見ゆるかな、誰れ大空に、書き散らすらん」右京大夫集「ほぐえり出して、料紙にすかせて、云云、さすがに積りにけるほうぐなれば、多くて云云」狭衣物語、二、上28「ほうぐの端だに落ち散らぬは」拾玉集、四「ほご燒く灰の、風に吹かれて」徒然草、第廿二段「文の詞などぞ、昔のほうごどもは、いみじき」紫式部日記「古きほんご引きさがし」〔1830-4〕

ほう-〔名〕【反故反古】ほぐ(反故)の條を見よ。宇津保物語、國譲、上49「昔もて使ひ給ひし調度、いささかに手馴らし給ふほうごなど、取りちらし」十訓抄、中、第五、第十六條「これよりぞ、反故(ほうご)の色紙は、世にはじまりける」〔1824-3〕

とあって、標記語を「反故反古」の語で収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版にも、標記語「ほう-ご【反故】〔名〕「ほぐ(反故)」に同じ」標記語「ほ-ぐ【反故】〔名〕@書画などを書き損じて不用となった紙。ほご。ほうご。ほうぐ。A役にたたなくなったもの。むだ。不用。B取消し。無効」とあって、『庭訓往来』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
乞者の沙彌、又本垢を出し、景戒に授けて言はく「斯れに寫さむかな。我、他處に往き、乞食して還り來らむ」といふ。《『日本霊異記』(810-824年)下・三十八》 
 
 
 

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