2004年04月01日から4月30日迄

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ことばの溜め池

ふだん何氣なく思っている「ことば」を、池の中にポチャンと投げ込んでいきます。ふと立ち寄ってお氣づきのことがございましたらご連絡ください。

 

 

 

 

2004年04月30日(金)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
侍者(ジシヤ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、

侍者(ジシヤ) 禪家之官。〔元亀二年本311十〕

侍者(ジシヤ) 禪家官。〔静嘉堂本365一〕

とあって、この標記語「侍者」の語を収載し、語注記に「禪家の官」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

被召具侍者聽叫請客頭許計光臨候者可進力者駕輿丁候〔至徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客許光臨候者可進力者駕輿丁候〔宝徳三年本〕

被召具侍者聽叫請客頭計光臨候者可進力者加輿丁候〔建部傳内本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)首計リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「侍者」と記載し、訓みは、文明四年本に「メシ(グス)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「侍者」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「侍者」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

侍者(ジシヤサブライ、ヒト・モノ)長老左右也。肇云菴已順スル者。具八法云々。佛命阿難侍者云々。焼香者。又云高待(タイ)侍者。長老方丈惣奉行也。書?侍者。或云侍()?。記頌録官也。書札官也。請(シン)客侍者又云侍客(シカク)樓客官也。湯藥侍者。又云侍藥。献茶官也。衣鉢(イフ)侍者。又云侍衣(シエ)侍丈道具奉行也。〔官位門919四〜六〕

とあって、同音異表記の標記語「侍者」の語を収載し、語注記は詳細に記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

侍者(ジシヤ) 焼香―。衣鉢―。書状―/請客―。湯藥―。〔・人倫門238一〕

侍者(ジシヤ) 侍丈。〔・官名門200八〕

侍者(ジシヤ) 。〔・人倫門190七〕

とあって、標記語「侍者」の語を収載し、語注記は、弘治二年本に、「焼香―。衣鉢―。書状―/請客―。湯藥―」の五役の名称を記載するものと、永祿二年本のように「侍丈」と別名を記載する二種の記載が見えている。また、易林本節用集』には、

侍者(ジシヤ) 焼香(シヨウカウ)―。書状(シヨジヤフ)―。請客(シンカ)/―。湯藥(タウヤク)―。衣鉢(イフ)エハツ―。〔人倫門203七〕

とあって、上記弘治二年本と同様に標記語「侍者」の語を収載し、語注記に五役の名を記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「侍者」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

511可ハ∨レ∨‖-侍者 四品也。〔謙堂文庫蔵四九左E〕

とあって、標記語「侍者」の語を収載し、語注記は、「四品なり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

()トハ喝食(カツ キ)タリシ人ヲ髪(カミ)ヲ剃()リ沙弥(シヤミ)ヲヘテ後()一位ニアカツテ侍者ト云フナリ。禪家ノ侍僧也。〔下27オ五〜七〕

とあって、この標記語「侍者」とし、語注記は、「喝食(カツ キ)たりし人を髪(カミ)を剃()り沙弥(シヤミ)をへて後()一位にあがつて侍者と云ふなり。禪家の侍僧なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(てうしゆ)を召具(めしぐ)して‖-せラ侍者。召具とハ召連る事也。侍者は住持のかたハらに付従て事を達する役僧なり。□□□□□□□□侍者なとしていろ/\あり。〔74ウ八〕

とあって、この標記語「侍者」の語をもって収載し、語注記は、「侍者は住持のかたハらに付従て事を達する役僧なり。□□□□□□□□侍者なとしていろ/\あり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲侍者ハ沙弥の一段(だん)のぼりたる者(もの)也。和尚(おしやう)の傍(そば)に付添(つきそふ)て用を承(うけたまハ)る役僧(やくそう)也。又侍者とて五人あり。各(をの/\)十月の返状に記(しる)す。〔54オ七〜ウ八〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)公私(こうし)?劇(そうげき)()むる懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲侍者ハ沙弥(しやミ)の一段(だん)のぼりたる者(もの)也。和尚(おしやう)の傍(そば)に付添(つきそひ)て用を承る役僧也。又侍者とて五人あり。各(おの/\)十月の返状に記(しる)す。〔97ウ一〜98ウ二〕

とあって、標記語「侍者」の語をもって収載し、その語注記は、「侍者ハ沙弥の一段(だん)のぼりたる者(もの)也。和尚(おしやう)の傍(そば)に付添(つきそふ)て用を承(うけたまハ)る役僧(やくそう)也。又侍者とて五人あり。各(をの/\)十月の返状に記(しる)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iixa.ジシヤ(侍者) 禅宗(Lenxus)の僧院における或る位.〔邦訳366l〕

とあって、標記語「侍者」の語の意味は「禅宗(Lenxus)の僧院における或る位」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-しゃ〔名〕【侍者】(一)貴人に侍して、其使役に充つるもの。そばづかへのもの。左傳、襄公七年「子駟相、又不禮焉、侍者諫不聽、又諫、殺西宮記、臨時、五「上皇脱?之後、云云、五位藏人爲侍者」(二)僧家にて、和尚の傍に付添ひて、用を承はる役僧。庭訓往來、九月「近日。執佛事大法會事候。拝貴寺長老。定當日唱導師。被-具せラ侍者聽叫。請客。頭首光臨」〔0892-5〕

とあって、標記語「-しゃ〔名〕【侍者】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-しゃ侍者】〔名〕@貴人に近侍して雑用をるとめる者。そばづきの人。おそば。おつき。A仏語。仏菩薩あるいは師僧、長老などの左右に近侍してその給仕の任に当たる者。禅寺では、焼香(しょうこう)侍者、書状侍者、請客(しんか)侍者、湯薬(とうやく)侍者、衣鉢(えはつ)侍者の五とする。Bキリスト教で、ミサのときに司祭を手伝い、進行の補佐をする者。[補注]禪家ではまた、僧に対する書状の脇付に「侍者御中」などと用いた」とあって、『大言海』ではこの用例を引用するが『日本国語大辞典』は、この『庭訓徃來』の語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
また、夢窓の法眷に妙吉侍者と言ふ僧あり。《『太平記』巻第二十五・藤井寺合戦の事の条》
 
 
2004年04月29日(木)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
召具(めしグス)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「免」部に、「召捕(メシトル)。召篭(コムル)。召放(ハナス)。召使(ツカウ)。召出(イダス)。召文(ブミ)」の六語を収載し、標記語「召具」の語については未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

召具侍者聽叫請客頭許計光臨候者可進力者駕輿丁候〔至徳三年本〕

召具侍者聽叫請客許光臨候者可進力者駕輿丁候〔宝徳三年本〕

召具侍者聽叫請客頭計光臨候者可進力者加輿丁候〔建部傳内本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)首計リヲ光臨候者力者駕輿(カヨ)〔山田俊雄藏本〕

可被-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)頭首(テウシユ)(ハカリ)光臨候者力者駕輿(カヨ)〔経覺筆本〕

-侍者聽叫(チンキヨ)請客(シンカ)(テウ)(ハカリ)光臨候者可(シン)力者(リキシヤ)加輿丁(カヨチヤウ)〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「召具」と記載し、訓みは、文明四年本に「メシ(グス)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「召具」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「召具」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

召具(メシせウ、○)[去・去] 。〔態藝門881七〕

とあって、同音異表記の標記語「召具」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

召具() 。〔・言語進退門229七〕

召具(メシグス) ―捕(トル)。―放(ハナシ)。―寄(ヨスル)/―集(アツム)。―出(イタス)。―篭(コムル)。〔・言語門191二〕

召具(メシグス) ―捕。―放。―寄/―集。―出。―籠。〔・言語門180六〕

とあって、標記語「召具」の語を収載し、語注記に未記載にする。また、易林本節用集』には、

召捕(メシトル) ―仕(ツカフ)。―次(ツギ)。―符()/―文(ブミ)。―籠(コムル)―具()。〔言辭門197二〕

とあって、標記語「召捕」の巻頭字「召」の熟語群として「召具」の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「召具」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

511可ハ∨レ∨‖-侍者 四品也。〔謙堂文庫蔵四九左E〕

とあって、標記語「召具」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(シヤウ)(タク)レ∨グセ‖-唱導トハ頭(カシラ)ヲ取テ其節ヲナス人ナリ。〔下27オ五〕

とあって、この標記語「召具」とし、語注記は、「召具とは、頭(カシラ)を取りて其の節をなす人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(てうしゆ)を召具(めしぐ)して‖-侍者。召具とハ召連る事也。侍者は住持のかたハらに付従て事を達する役僧なり。□□□□□□□□侍者なとしていろ/\あり。〔74ウ八〕

とあって、この標記語「召具」の語をもって収載し、語注記は、「召具師とハ法會の衆僧の首座となるもの也。唱ハとなへ導はミちひくとす。衆僧乃手本となるこゝろ也。是ハ侍者の寺の長老を頼て導師にせんとの事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)召具(めしぐ)ら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁〔54オ七〜ウ七・八〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)公私(こうし)?劇(そうげき)()むる懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)〔97ウ一〜98ウ一〕

とあって、標記語「召具」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mexiguxi,suru,ita.メシグシ,スル,シタ(召し具し,する,した) 自分と一緒に連れて行く.※これでは‘シタ’か‘イタ’か明らかでないが,サ変動詞であるから,‘した’であろう.〔邦訳399r〕

とあって、標記語「召具」の語の意味は「自分と一緒に連れて行く」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

めし-スル・スレ・セ・シ・セヨ〔他動・左〕【召倶】連れ行く。伴ひ行く。ともなふ。娥歌加留多(享保、近松作)五「山王と唐崎ヘ、七日まうでの乘物に、供人少少召しぐして」〔1988-2〕

とあって、標記語「めし-〔他動・左〕【召倶】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「めし-召具】〔他サ変〕上位者が、目下の者を伴う。連れていらっしゃる。召し連れる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
召具山案内者、實平、并永實等經筥根通、赴土肥郷給《訓み下し》仍テ山ノ案内者ヲ召シ具シテ、実平、并ニ永実等。箱根通ヲ経テ、土肥ノ郷ニ赴キ給フ。《『吾妻鏡』治承四年八月二十五日の条》
 
 
2004年04月28日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジオ大学
定申(さだめまうす)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、標記語「定申」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「定申」・「」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「定申」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「定申」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

定申(サダメマウス/テイシン)[去・平] 。〔態藝門801三〕

とあって、標記語「定申」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「定申」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』に標記語「定申」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「定申」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

貴寺(キシ)長老(ラウ) トハ貴(タツト)キ寺ノ主也。〔下27オ四〕

とあって、この標記語「定申」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(さだ)め申(もを)()く候(さふら)當日唱導師フ。當日ハ法会の當日也。唱導師とハ法會の衆僧の首座となるもの也。唱ハとなへ導はミちひくとす。衆僧乃手本となるこゝろ也。是ハ侍者の寺の長老を頼て導師にせんとの事事也。〔74ウ五〜七〕

とあって、この標記語「定申」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()(さだ)め申(もを)()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)〔97ウ一〜98オ五〕

とあって、標記語「定申」の語をもって収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「定申」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』及び現代の『日本国語大辞典』第二版においても、標記語「さだめ-まうす〔動〕【定申】」の語は未収載にする。このことから、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載とする。
[ことばの実際]
此事今差遣軍士於台嶺之由、雖言上、無左右被遣勇士之條、偏可爲法滅之因、且可被仰子細於座主之由、諸卿一同、被定申之趣、具被載之〈云々〉《訓み下し》此ノ事今軍士ヲ台嶺ニ差シ遣ハスノ由、言上スト雖モ、左右無ク勇士ヲ遣ハサルルノ条ハ、偏ニ法滅ノ因タルベシ、且ハ子細ヲ座主ニ仰セラルベキノ由、諸卿一同ニ、定メ申サルルノ趣キ、具ニ之ヲ載セラルト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治二年閏七月二十六日の条》
 
 
2004年04月27日(火)晴れ曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
唱導(シヤウダウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「唱門師(シヤウモンシ)金鼓撃(キンクウチ)」の一語を収載するのみで、この標記語「唱導」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老申當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「唱導」と記載し、訓みは、文明四年本に「シヤウ(タウ)」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「唱導」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「唱導」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(シヤウダウヒキイル、ミチビク)[平・去] 。〔態藝門1018一〕

とあって、同音異表記の標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「唱導」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「唱導」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「唱導」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

(シヤウ)(タク)レ∨グセ‖-唱導トハ頭(カシラ)ヲ取テ其節ヲナス人ナリ。〔下27オ五〕

とあって、この標記語「唱導」とし、語注記は、「唱導とは、頭(カシラ)を取りて其の節をなす人なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)當日唱導師フ。當日ハ法会の當日也。唱導師とハ法會の衆僧の首座となるもの也。唱ハとなへ導はミちひくとす。衆僧乃手本となるこゝろ也。是ハ侍者の寺の長老を頼て導師にせんとの事也。〔74ウ五〜七〕

とあって、この標記語「唱導師」の語をもって収載し、語注記は、「唱導師とハ法會の衆僧の首座となるもの也。唱ハとなへ導はミちひくとす。衆僧乃手本となるこゝろ也。是ハ侍者の寺の長老を頼て導師にせんとの事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲唱導師ハ法會(ほふゑ)の首座(しゆざ)にして經文(きやうもん)を唱(とな)へはじめ衆僧(しゆそう)を導(みちび)き誘(いざな)ふ役(やく)也。〔54オ七〜ウ七・八〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲唱導師ハ法會(ほふゑ)の首座(しゆざ)にして經文(きやうもん)を唱(とな)へはしめ衆僧(しゆそう)を導(みちび)き誘(いさな)ふ役(やく)也。〔97ウ一〜98ウ一〕

とあって、標記語「唱導」の語をもって収載し、その語注記は、「唱導師は、法會(ほふゑ)の首座(しゆざ)にして經文(きやうもん)を唱(とな)へはじめ衆僧(しゆそう)を導(みちび)き誘(いざな)ふ役(やく)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Xo<do<.ウダウ(唱導) 法事の時に坊主(Bonzos)が行なう読経の先導者.文書語.〔邦訳790l〕

とあって、標記語「唱導」の語の意味は「法事の時に坊主(Bonzos)が行なう読経の先導者.文書語」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しゃう-だう〔名〕【唱導倡道】(一)先だちとなへて、他をみちびくこと。先に、言ひ出すこと。詩經、箋「在上所」(佩文韻府)(二)法門を説きて、佛道に引き入るること。説教。源平盛衰記、廿、小兒讀諷誦事「修行者を招請して、唱導を勤めけるに」〔0968-1〕

とあって、標記語「しゃう-だう〔名〕【唱導】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しょう-どう【倡道・唱導】〔名〕@(唱導)仏語。イ(―する)教えを説いて、人を導くこと。説教・法談などを行なうこと。ロ「しょうどうし(唱導師)」の略。A(―する)さきだちとなってとなえること。率先して言い出すこと。また、となえ導くこと。称道」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於御持佛堂、被始行法華經講讀唱導、阿闍梨義慶也是可爲毎月廿三日哉〈云云〉此日、御臺所御祖母之忌日也《訓み下し》御持仏堂ニ於テ、法華経ノ講読ヲ(講讃ヲ)始行セラル。唱導(シヤウダウ)師)ハ、阿闍梨義慶ナリ。是レ毎月二十三日タルベキヤト(毎月二十三日ノ式タルベシト)〈云云〉。此ノ日ハ、御台所ノ御祖母ノ忌日ナリ。《『吾妻鏡』文治四年四月二十三日の条》
 
 
2004年04月26日(月)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
當日(タウニチ・タウジツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、

當日(ニチ) 。〔元亀二年本138八〕〔天正十七年本中5ウ四〕

當日 。〔静嘉堂本147五〕

とあって、標記語「當日」の語を収載し、訓みを「(タウ)ニチ」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「當日」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「當日」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「當日」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

當日(タウニチ/アタル、ジチ・ヒ)[去・入] 。〔態藝門348二〕

とあって、標記語「當日」の語を収載し、訓みは「タウニチ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

當日(タウニチ) 。〔・言語進退門110三〕

とあって、弘治二年本にのみ標記語「當日」の語を収載し、語注記未記載にする。また、易林本節用集』には、

當日(タウニチ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「當日」の語を収載し、語注記は「」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「當日(タウニチ)」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「當日」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

當日トハ其日ニ當タル事也。〔下27オ四・五〕

とあって、この標記語「當日」とし、語注記は、「其の日に當たる事なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()く候(さふら)當日唱導師度候フ。當日ハ法会の當日也。唱導師とハ法會の衆僧の首座となるもの也。唱ハとなへ導はミちひくとす。衆僧乃手本となるこゝろ也。是ハ侍者の寺の長老を頼て導師にせんとの事事也。〔74ウ五〜七〕

とあって、この標記語「當日」の語をもって収載し、語注記は、「當日は、法会の當日なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲大法會ハ佛(ふつ)事を修(しゆ)して衆僧(しゆそう)集会(よりあひ)するをいふ。〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲大法會ハ佛事(ぶつじ)を修(しゆ)して衆僧(しゆそう)集会(よりあひ)するを云。〔97ウ一〜98オ五〕

とあって、標記語「當日」の語をもって収載し、その語注記は、「大法會は、佛(ふつ)事を修(しゆ)して衆僧(しゆそう)集会(よりあひ)するをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

To<nichi.タウニチ(當日) Ataru fi.(当たる日) ある祝祭日とか,何か事の行われる日とかに当たる,きまった日.例,Natalno to<nichi.(ナタルの当日)ナタル(Natal キリスト降誕節)に当たる日.〔邦訳661l〕

とあって、標記語「當日」の語の意味は「Ataru fi.(当たる日) ある祝祭日とか,何か事の行われる日とかに当たる,きまった日」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

たう-じつ〔名〕【當日】その日()。其事に當る日。游詩「惟有築城詞、哀怨如當日」〔1194-1〕

とあって、標記語「たう-じつ〔名〕【當日】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とう-じつ当日】〔名〕そのことのある日。そのことのあった日。その日」とあって、『大言海』及び『日本国語大辞典』第二版には、見出し語「とう-にち当日】〔名〕」の語は未収載であり、因って『庭訓徃來』のこの語用例も未記載にする。
[ことばの実際]
爰江間殿、密々被示送于小山兵衛尉朝政曰、隨兵事、當日臨御出之期、可被定左右、以令著同色甲并直垂之者、可爲予合手之由、已申訖《訓み下し》爰ニ江間殿、密密ニ小山ノ兵衛ノ尉朝政ニ示シ送ラレテ曰ク、随兵ノ事、当日御出ノ期ニ臨ンデ、左右ヲ定メラルベシ、同色ノ甲并ニ直垂ヲ著セシムルノ者ヲ以テ、予ガ合手タルベキノ由、已ニ申サレ訖ンヌ(申シ請ケ訖ンヌ)。《『吾妻鏡』建久元年十一月二十八日の条》
 
 
2004年04月25日(日)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)
長老(チヤウラウ)」→ことばの溜池(2000.12.12)を参照。
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「地」部に、

長老(チヤウラウ) 。〔元亀二年本65七〕

長老 。〔静嘉堂本76八〕

長老(ラウ) 。〔天正十七年本上38ウC〕

とあって、標記語「長老」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老申當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「長老」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「長老」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「長老」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

長老(チヤウラウ、ヲサナガシ、ヲイ)[去・上]智慧尊名長老。有三長老云々。〔官位門161七〕

とあって、標記語「長老」の語を収載し、語注記は、「内に智慧有り、尊ふべし。長老と名づく。三長老有り云々」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

長老(チヤウラウ) 。〔・人倫門48八〕〔・人倫門50一〕〔・人倫門54二〕

長老(チヤウラフ) 。〔・人倫門45九〕

とあって、標記語「長老」の語を収載し、語注記に未記載にする。また、易林本節用集』には、

長老(チヤウラウ) 。〔人倫門〕

とあって、標記語「長老」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「長老」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「長老」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

貴寺(キシ)長老(ラウ)シ トハ貴(タツト)キ寺ノ主也。〔下27オ四〕

とあって、この標記語「長老」とし、語注記は、「(タツト)き寺の主なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)近日佛事大法會事候貴寺長老。拝請とハ敬迎る事也。貴寺ハ侍者の寺をさして云。長老ハ衆僧の頭にして仏義を極たる僧也。〔74ウ三〜五〕

とあって、この標記語「長老」の語をもって収載し、語注記は「長老は、衆僧の頭にして仏義を極たる僧なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲長老ハ一寺()の頭(かしら)東堂(とうだう)をさしていふ。年豫(とし)(たか)く学徳(がくとく)に長じたるの美称(びしよう)也。〔54オ七〜ウ七〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲長老ハ一寺()の頭(かしら)東堂(とうたう)をさしていふ。年(とし)豫老(たか)く学徳(がくとく)に長じたるの美称(ひしよう)也。〔97ウ一〜98オ六〕

とあって、標記語「長老」の語をもって収載し、その語注記は、「長老は、一寺()の頭(かしら)東堂(とうだう)をさしていふ。年豫(とし)(たか)く学徳(がくとく)に長じたるの美称(びしよう)なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Cho<ro<.チャウラウ(長老) 坊主(Bonzos)の間における重立った位,または,その位にある坊主(Bonzos).〔邦訳128l〕

とあって、標記語「長老」の語の意味は「坊主(Bonzos)の間における重立った位,または,その位にある坊主(Bonzos)」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ちゃう-らう〔名〕【長老】(一)年長けて尊むべき人の稱。先生と云はむが如し。史記、孝文帝紀「賞賜長老恤孤獨」(二)禪家にて、齒(よはひ)、學コ、竝に高き僧の稱號。傳燈録、禪門規式「凡具道眼、有尊之コ、者、號曰長老、如西域、道高?長、呼須菩提等之謂也」(三)禪宗にて、住持、又は、先輩の僧を呼ぶ稱。庭訓往來、十月「律僧者、長老、知事」異制庭訓往來「京都、鎌倉五山、建長寺、云々、名刹、禪興寺、大慶寺、東勝寺、善福寺、等長老祖庭事苑「今禪宗住持之者、必呼長老」〔1283-3〕

とあって、標記語「ちゃう-らう〔名〕【長老】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-ろう長老】〔名〕@年をとった人を敬っていう語。経験が豊かで知徳のすぐれた指導的な立場にある人。A仏語。イ(梵sthaviraの意訳)比丘中の修行・学徳にすぐれた年長の大比丘。上座、上首、首座などともいう。ロ禅宗や
律宗で、住持、和尚(おしょう)を敬っていう言葉。また、特別の地位の称として、管長を退いた高僧にいう例がある。B初期キリスト教会で、使徒につぐ教会の指導者。また、長老教会における信徒代表をいう。」とあって、『大言海』が引用する『庭訓徃來』を引用せず、この語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
夷人長老相傳玄((云))《太宰府天満宮所蔵『翰苑』45C》
於金剛壽福寺、新圖十六羅漢被逐開眼供養導師、當寺長老、葉上房律師榮西也尼御臺所、爲御聽聞、有參堂〈云云〉《訓み下し》金剛寿福寺ニ於テ、新図ノ十六羅漢ノ開眼供養ヲ遂ゲラル(新図ノ十六羅漢ノ像)。導師ハ、当寺ノ長老、葉上房律師栄西ナリ。尼御台所、御聴聞ノ為ニ、参堂有リト〈云云〉。《『吾妻鏡』正治二年七月十五日の条》
 
 
2004年04月24日(土)晴れ曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)
貴寺(キジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「記」部に、

貴寺() 。〔元亀二年本281六〕〔静嘉堂本321六〕

とあって、標記語「貴寺」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老申當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「無他」と記載し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「ミヤウリヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「貴寺」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「貴寺」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

貴寺(キジタトシ、テラ)[去・去] 。〔態藝門821七〕

とあって、標記語「貴寺」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「貴寺」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』と『運歩色葉集』に標記語「貴寺」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「貴寺」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

貴寺(キシ)長老(ラウ)シ トハ貴(タツト)キ寺ノ主也。〔下27オ四〕

とあって、この標記語「貴寺」とし、語注記は、「(タツト)き寺の主なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)近日佛事大法會事候貴寺長老。拝請とハ敬迎る事也。貴寺ハ侍者の寺をさして云。長老ハ衆僧の頭にして仏義を極たる僧也。〔74ウ三〜五〕

とあって、この標記語「貴寺」の語をもって収載し、語注記は、「貴寺は、侍者の寺をさして云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)〔97ウ一〜98オ五〕

とあって、標記語「貴寺」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qiji.キジ(貴寺) Tattoqi tera.(貴き寺)神聖な寺(Tera),あるいは,イゲレジヤ(Igreja 教会).寺(Tera)を敬って言う語.〔邦訳496r〕

とあって、標記語「貴寺」の語の意味は「Tattoqi tera.(貴き寺)神聖な寺(Tera),あるいは,イゲレジヤ(Igreja 教会).寺(Tera)を敬って言う語」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「-〔名〕【貴寺】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-貴寺】〔名〕相手を敬ってその人のいる寺をいう語。*源平盛衰記(14c前)一四・興福寺返牒事「貴寺他寺互可調達之魔障」*日葡辞書(1603-04)「Qiji(キジ)。タットキ テラ」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
法相の護持、四所の冥応なんぞ贔屓を国家に加へん。貴寺もし報国の忠貞を存ぜば、衆徒すべからく輔君の計略を廻らすべし。《『太平記』巻第十七・山門南都に牒送する事》
 
 
2004年04月23日(金)曇り一時雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
拝請(ハイシヤウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「波」部に、「拝殿(ハイデン)。拝顔(カン)。拝面(メン)。拝讀(ドク)。拝閲(エツ)。拝謁(エツ)。拝話()。拝呈(テイ)。拝贈(ゾウ)。拝覆(フク)。拝領(リヤウ)。拝受(ジユ)。拝上(シヤウ)。拝見(ケン)。拝覧(ラン)。拝進(シン)。拝賀()」の一七語を収載するが、標記語「拝請」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候貴寺長老申當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「無他」と記載し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「ミヤウリヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「拝請」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「拝請」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

拝請(ハイシヤウ・コウ/ヲガム、ウクル)[去・平去] 。〔態藝門63三〕

とあって、標記語「拝請」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「拝請」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』に標記語「拝請」の語が収載されていて、これが古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「拝請」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「拝請」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)近日佛事大法會事候貴寺長老。拝請とハ敬迎る事也。貴寺ハ侍者の寺をさして云。長老ハ衆僧の頭にして仏義を極たる僧也。〔74ウ三〜五〕

とあって、この標記語「拝請」の語をもって収載し、語注記は、「拝請とハ敬迎る事なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲拝請ハ敬(うやまつ)て招待(せうだい)する也。〔54オ七〜ウ七〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲拝請ハ敬(うやまつ)て招待(せうだい)する也。〔97ウ一〜98オ六〕

とあって、標記語「拝請」の語をもって収載し、その語注記は、「拝請は、敬(うやまつ)て招待(せうだい)するなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Faixo<.ハイシャウ(拝請) Vogami,vquru.(拝み,請くる)人を敬いつつしんで自分の家などへ迎えること.〔邦訳199r〕

とあって、標記語「拝請」の語の意味は「Vogami,vquru.(拝み,請くる)人を敬いつつしんで自分の家などへ迎えること」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「はい-しゃう〔名〕【拝請】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「はい-しょう拝請】〔名〕(「しょう」は「請」の呉音)@つつしんで請待(しょうだい)すること。うやうやしく人を招くこと。*日本霊異記(810-824)上・三一「粟田の卿、使を八方に遣し、<略>東人に遇ひて、拝請し呪護せ令む」*庭訓往来(1394-1428頃)「貴寺長老。定申当日唱導師」*日葡辞書(1603-04)「Faixo<(ハイシャウ)。ヲガミ、ウクル」Aおがんで請うこと。つつしんでお願いすること。*正法眼藏(1231-53)山水経「黄帝これを拝請するに膝行して叩頭して広成にとふしなり」」とあって、@の意味用例として『庭訓徃來』のこの語を記載する。
[ことばの実際]
憲宗皇帝者、穆宗・宣宗両皇帝の帝父なり。敬宗・文宗・武宗三皇帝の祖父なり。仏舎利を拝請して、入内供養のちなみに、夜放光明あり。皇帝大悦し、早朝の群臣、みな賀表をたてまつるにいはく、「陛下の聖徳聖感なり」。《『正法眼藏』巻十五・光明,三35オC》
 
 
2004年04月22日(木)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
大法會(ダイホウエ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「大法會」の語は、未収載にする。ただし、「大會(タイエ)」〔元亀二年本141六・静嘉堂本151五(能名と注記)〕の語については収載する。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老申當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執行仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、宝徳三年本、文明四年本、山田俊雄藏本、の古写本は、「大法會」と記載し、至徳三年本、建部傳内本、経覺筆本は、「大法会」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大法會」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「大法會」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

大法會(タイホフエ/ヲヽい也、ノリ、クワイ・アフ・アツマル)[去・○・去] 。〔態藝門343八〕

とあって、標記語「大法會」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「大法會」の語は未収載にする。
 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』のみが標記語「大法會」の語を収載していて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。
 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「大法会」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「大法會」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)近日佛事大法會事候貴寺長老。拝請とハ敬迎る事也。貴寺ハ侍者の寺をさして云。長老ハ衆僧の頭にして仏義を極たる僧也。〔74ウ三〜五〕

とあって、この標記語「大法會」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲大法會ハ佛(ふつ)事を修(しゆ)して衆僧(しゆそう)集会(よりあひ)するをいふ。〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲大法會ハ佛事(ぶつじ)を修(しゆ)して衆僧(しゆそう)集会(よりあひ)するを云。〔97ウ一〜98オ五〕

とあって、標記語「大法會」の語をもって収載し、その語注記は、「大法會は、佛(ふつ)事を修(しゆ)して衆僧(しゆそう)集会(よりあひ)するをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Daifo>ye.ダイホウエ(大法會) 同上.〔邦訳178r〕

とあって、標記語「大法會」の語の意味は「同上()」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「だい-ほふゑ〔名〕【大法會】」の語は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「だい-ほうえ大法会】〔名〕大規模な法会。大会(だいえ)。*宇津保物語(970−999年頃)楼上上「次の巻に、女だいきやうの有様、大ほうゑのことはあめりき」*宇治拾遺物語(1221年頃)八・五「東大寺に恒例の大法会あり」*随筆・折たく柴の記(1716年頃)中「大法会行はるる事ある時に、罪犯せしものの親戚等歎申す所を、その道場において帳にしるして奉る」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於鶴岡宮道場、行大法會景時宿願大般若經供養也《訓み下し》鶴岡ノ宮ノ道場ニ於テ、大法会(ホウエ)行ハル(遂ゲ行フ)。景時宿願ノ大般若経供養ナリ。《『吾妻鏡』文治四年三月十五日の条》
 
 
2004年04月21日(水)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
佛事(ブツジ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、「佛法(ブツポウ)。佛師()。佛餉(ジヤウ)。佛果(クワ)。佛像(ゾウ)。佛殿(デン)。佛号(ガウ)。佛名(ミヤウ)。佛説(せツ)。佛祖()。佛神(ジン)。佛天(テン)。佛力(リキ)。佛經(キヤウ)。佛道(ダウ)。佛母()。佛語()。佛具()。佛供()。佛壇(ダン)。佛通(ツウ)。佛体(タイ)。佛牙()。○。佛燈(トウ)」の二十四語を収載するが、この標記語「佛事」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

近日執行仏事大法会候拝請貴寺長老定申當日唱導度〔至徳三年本〕

近日執行佛事大法會之事候拝請貴寺長老定申當日唱導度相存〔宝徳三年本〕

近日執行仏事大法会事候拝請貴寺之長老定申當日唱導〔建部傳内本〕

近日執仏事大法會事候拝貴寺長老申當日唱導度相存〔山田俊雄藏本〕

(ソモ/\)近日執仏事大法会候拝(ハイ)(シヤウ)()長老當日唱導(タク)〔経覺筆本〕

近日執行(トリヲコナウ)仏事大法會候拝請(ハイシヤウ)シ∨貴寺(キチ)長老當日(シヤウ){當日導師(タウシ)申度存(ソン)}〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「仏事・佛事」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「佛事」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「佛事」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ブツジホトケ、コト)[入・去] 。〔態藝門648七〕

とあって、標記語「佛事」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「佛事」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

佛事(ブツジ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「佛事」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』と易林本節用集』に標記語「佛事」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「佛事」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「佛事」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)近日佛事大法會事候貴寺長老。拝請とハ敬迎る事也。貴寺ハ侍者の寺をさして云。長老ハ衆僧の頭にして仏義を極たる僧也。〔74ウ三〜五〕

とあって、この標記語「佛事」の語をもって収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)〔97ウ一〜98オ四〕

とあって、標記語「佛事」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Butcuji.ブツジ(佛事) ゼンチヨ(gentio異教徒)の方式に従って,法華経(Foqeqio<)を読誦したりして行われる法事・法要.§Butcujiuo suru.(仏事をする)死者のために,坊主(Bo<zos)が上述のような法事,あるいは,追善法要をする.§また,俗人が坊主(Bo<zos)を招いて,仏(Fotoqe)の経典を読誦させ,布施を贈るなどして,法事・法要の営みをする.※1)3)6)原文はexequias.これは葬式・葬送行列の意であるが,ここのように法事・法要の意味にもあて用いる.羅葡日のExequiaeには葡語Exequiasと日本語‘葬礼,弔イノ法事’とを対訳として示している.2)5)Bo~zosとあるべきもの.〔Bo<jaの注〕4)原文はcomendaca~o(=encomendaca~o).故人の霊を慰めるための祈り,埋葬前の祈りの意であるが,法事・法要にあてて用い,別条にも例がある.→Butji(仏事);Itonami,u;Sajen.〔邦訳67r〕

とあって、標記語「佛事」の語の意味は「ゼンチヨ(gentio異教徒)の方式に従って,法華経(Foqeqio<)を読誦したりして行われる法事・法要」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ぶつ-〔名〕【佛事】佛法の祭。法會。法事。法要。書言字考節用集、三、神祇門「佛事、ブツジ」書言故事(宋、胡繼宗)四「維摩居士遣八菩薩、徃衆香國佛、言願得世尊所食之餘、欲以娑婆世界、施佛事、於是香積如來、以衆香鉢盛飯與之」北山抄、一、正月八日御斎會始事「近例、諒闇年、依佛事、或不之、可議歟」榮花物語、十五、疑「御出家の間、未だ久しからで、せさせ給へる佛事は數を知らず」徒然草、百二十五段「四十九日の佛事に、或聖を請じ侍りしに、説法いみじくして、皆人涙を流しけり」〔1551-5〕

とあって、標記語「ぶつ-〔名〕【佛事】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぶつ-佛事】〔名〕@仏の教化。A仏の徳を発揚すること。B仏教の一切の行事。法事。法要。法会」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
於遺骨者、納播磨國山田法華堂、毎七日、可修如形佛事、毎日不可修之、《訓み下し》遺骨ニ於テハ、播磨ノ国山田ノ法華堂ニ納メ、七日毎ニ、形ノ如ク仏事ヲ修スベシ。毎日之ヲ修スベカラズ。《『吾妻鏡』治承五年閏二月四日の条》
 
 
近日(キンジツ)」ことばの溜池(2002.07.16)参照。執行(シツカウ)」ことばの溜池(2003.08.09)参照。
 
2004年04月20日(火)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
(タなし)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「多」部に、標記語「」の語は未収載にする。ただ、「無(ナシ)」〔元亀二年本169D・静嘉堂本189@・天正十七年本中24オF〕の語として収載するだけである。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他〔建部傳内本〕

御法談之後常参拝仕之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「無他」と記載し、訓みは、未記載にする。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語は全て未収載にあり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「」とし、訓みが「他()無く」とあり、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

後悔(こうくわい)()(ほか)()(なく)後悔之外。前非(セんひ)を悔るの外せんすべなしと也。是をハ前のの詞にたがひたるを詫(わび)し也。〔74オ一〕

とあって、この標記語「」の語をもって収載し、語注記は、「前非(セんひ)を悔るの外せんすべなしとなり。是をば、前のの詞にたがひたるを詫(わび)しなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲後悔ハ前(まへ)になせし僻事(ひがこと)を悔(くや)む也。〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲後悔ハ前になせし僻事(ひかこと)を悔(くや)む也。〔97ウ一〜98オ四〕

とあって、標記語「」の語をもって収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

〔名〕【】(一)ほか。餘。詩經、小雅、小旻篇「人知其一、莫大學「若有一个臣、斷斷兮宇治拾遺物語、十二、十八條「まことの心を、おこすと云ふは、の事にあらず、佛法を信ずる也」「の事」の物」(二)外の人。他人。白居易詩「妬火、燒我鬢如霜」「の身に代る」自」〔1551-5〕

とあって、標記語「〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「】〔名〕 た(な)し ほかのことではない。*孟子-告子・上「学問立道」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
秀義、心中驚騷之外無他、不能委細談話、歸畢〈云云〉《訓み下し》秀義、心中驚騒スルノ外他無ク、委細ノ談話ニ能ハズ、帰リ畢ンヌト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年八月九日の条》
 
 
2004年04月19日(月)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
改悔(カイゲ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「改年(カイネン)。改元(ケン)。改動(ドウ)。改変(ヘン)。改易(エキ)。改補()。改替(タイ)」の七語を収載し、標記語「改悔」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

御法談之後常参拝仕之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「改悔」と記載し、訓みは、山田俊雄藏本「ガイケ」、経覺筆本・文明四年本に「カイケ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「改悔」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・には、標記語「改悔」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

改悔(カイクワイアラタメ、クユル)[上・上] 。〔態藝門278七〕

とあって、標記語「改悔」の語を収載し、訓みを「カイクワイ」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「改悔」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一広本節用集』に、標記語「改悔」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。が、訓は些か異なっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「改悔」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「改悔」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

後悔(こうくわい)()(ほか)()(なく)後悔之外無他候。前非(セんひ)を悔るの外せんすべなしと也。是をハ前のの詞にたがひたるを詫(わび)し也。〔74オ一〕

とあって、この標記語「後悔」の語をもって収載し、語注記は、「前非(セんひ)を悔るの外せんすべなしとなり。是をば、前のの詞にたがひたるを詫(わび)しなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲後悔ハ前(まへ)になせし僻事(ひがこと)を悔(くや)む也。〔54オ七〜ウ六〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲後悔ハ前になせし僻事(ひかこと)を悔(くや)む也。〔97ウ一〜98オ四〕

とあって、標記語「後悔」の語をもって収載し、その語注記は、「後悔は、前(まへ)になせし僻事(ひがこと)を悔(くや)むなり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Gaiqe.ガイケ(改悔) 一向宗徒(Icco<xus)がイドロ(Idoro 偶像)に対して行なう或る請願.〔邦訳291l〕

とあって、標記語「改悔」の語の意味は「一向宗徒(Icco<xus)がイドロ(Idoro 偶像)に対して行なう或る請願」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「かい-〔名〕【改悔】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かい-改悔】〔名〕(古くは「がいけ」とも)@くいあらためること。前非をくいあらためること。改悛。懺悔(さんげ)。かいかい。*山王絵詞(1310頃)四「僧都則改悔の心ををこしつつ」*口伝鈔(1331頃)中「聖光房改悔ガイクヱ)の色をあらはして、負のそこよりおさむるところの抄物どもをとりいでてみなやきすてて、またいとまを申ていでぬ」*地蔵菩薩霊験記(16C後)六・九「光時落泣して改悔ガイケ)し、其後は是非を不云敬しけると、日本記(やまとぶみ)にも見へたり」*妙好人伝(1842-52)二・上・江戸庄之助「口のゆがまざるも不思議なりと改悔かいげ)懺悔し、夫より忽ち佛信になられしとなり」*北本涅槃経-一六「是一闡提、若受苦時、或生一念改悔之心、我即当為説種種法」A真宗で、報恩講の初夜など、同行の集まった席で互いに安心(あんじん)について告白すること。*実語記(1580)「報恩講の事、御文にもあそばしをかれ候ごとく、<略>のぞみの人、五人、三人残り候やうに見え候。<略>第一坊主衆改悔候て、次に其外人一人づつ前へ出られ」*日葡辞書(1603-04)「Gaiqe(ガイケ)<訳>一向宗徒が仏像に向かって行う請願」*雑俳・住吉みやげ(1708)「お改悔を側から聞いて腹をよる」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
早翻先非、可告申彼内儀之趣、及改悔。《訓み下し》早ク先非ヲ翻シ、彼ノ内儀ノ趣、及ビ改メ悔ユルコトヲ告ゲ申スベシト(告ゲ申スベシト、後悔ニ及ブ)。《『吾妻鏡』建暦三年五月二日の条》
 
 
2004年04月18日(日)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→郊外河筋走行
冥慮(ミヤウリヨ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「見」部に、「冥助(ミヤウシヨ)。冥感(カン)。冥罸(バツ)。冥加()。冥福(フク)。冥帳(チヤウ)。冥府()。冥官(グワン)」の八語を収載するが、標記語「冥慮」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月十三日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

御法談之後常参拝仕之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「冥慮」と記載し、訓みは、経覺筆本・文明四年本に「ミヤウリヨ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「冥慮」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

冥慮(  リヨ) 。〔言辭門149二〕

とあって、標記語「冥慮」の語を収載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

冥慮(ミヤウリヨメイ・クラシ、ヲモハカル)[去・去] 。〔神祇門894一〕

とあって、標記語「冥慮」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

冥慮(ミヤウリヨ) 。〔・言語進退門233五〕

(ミヤウリヨ) ―加()。―感(カン)。―助(ジヨ)/―罸(バツ)。―顕(ケン)。―敷(ミヤウノシク)。〔・言語門194四〕

冥慮(ミヤウリヨ) ―加。―感。―助/―。―顕。―敷。〔・言語門184一〕

とあって、標記語「冥慮」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

冥慮(ミヤウリヨ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「冥慮」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『下學集』、広本節用集』、弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』、易林本節用集』に標記語「冥慮」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。ただし、『運歩色葉集』だけがこの語を未収載にしていて、このことがなぜなのか、今後の課題として注目視されてくるところである。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月十三日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「冥慮」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「冥慮」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

佛意(ぶつい)冥慮(めうりよ)に背(そむ)佛意冥慮。冥ハ奥(おく)(ふかく)くして推はかられぬを云。冥慮とハ尊慮(そんりよ)賢慮(けんりよ)なといふこゝろなり。僧コなるゆへ冥の字を用ゆ。冥罰の冥の字と一義なるへし。言こゝろハ仏のこゝろにも師乃心にも背きたりと也。〔74オ八〜74ウ二〕

とあって、この標記語「冥慮」の語を収載し、語注記は、「冥は、奥(おく)(ふかく)くして推はかられぬを云ふ。冥慮とは、尊慮(そんりよ)・賢慮(けんりよ)などいふこゝろなり。僧コなるゆへ冥の字を用ゆ。冥罰の冥の字と一義なるへし。言ふこゝろは、仏のこゝろにも師の心にも背きたりとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)き後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執行(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲冥慮冥ハ幽暗(ゆうあん)也。神佛(しんぶつ)の意(こゝろ)ハあらハに人の知るべからざるの義。〔54オ七〜ウ五〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲冥慮冥ハ幽暗(いうあん)也。神仏(しんぶつ)の意(こゝろ)ハあらハに人の知るべからざるの義。〔97ウ一〜98オ四・五〕

とあって、標記語「冥慮」の語を収載し、その語注記は、「冥慮、冥は、幽暗(ゆうあん)。神佛(しんぶつ)の意(こゝろ)は、あらはに人の知るべからざるの義」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Mio<rio.ミャゥリョ(冥慮) すなわち,Cami fotoqeno naixo>.(神仏の内証) 神(Camis)や仏(Fotoques)の内心,意志。〔邦訳409l〕

とあって、標記語「冥慮」の語の意味は「すなわち,Cami fotoqeno naixo>.(神仏の内証)、神(Camis)や仏(Fotoques)の内心、意志。」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

みょう-りょ〔名〕【冥慮】〔冥冥の思慮の意〕~佛のおぼしめし。~慮。庭訓往來、九月「越度之至、背佛意冥慮、改悔之外無他候」太平記、三十九、諸大名道朝「終に身を被失けるも、只春日大明~の冥慮也と覺えたり」〔1952-1〕

とあって、標記語「みょう-りょ〔名〕【冥慮】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「みょう-りょ冥慮】〔名〕はかりしれない神仏の配慮。めいりょ」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍轉讀分八百部、故欲啓白佛陀、如何者覺淵申云、雖不滿一千部、被啓白條、()(ソムク)冥慮(ミヤウリヨ)者則供香花於佛前、啓白其旨趣。《訓み下し》仍テ転読分八百部、故ニ仏陀ニ啓白セント欲ス、如何、テイレバ覚淵申シテ云ク、一千部ニ満タズト雖モ、啓白セラレンノ条、冥慮(ミヤウリヨ)ニ背クベカラズ、テイレバ、則チ香花ヲ仏前ニ供ケ、其ノ旨趣ヲ啓白ス。《『吾妻鏡』治承四年七月五日の条》
 
 
2004年04月17日(土)雨一時晴れ間後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学〔図書館休館日〕
佛意(ブツイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「福」部に、「佛法(フツボウ)。佛師()。佛餉(ジヤウ)。佛果(クワ)。佛像(ゾウ)。佛殿(デン)。佛号(ガウ)。佛名(ミヤウ)。佛説(せツ)。佛祖()。佛神(ジン)。佛天(テン)。佛力(リキ)。佛經(キヤウ)。佛道(ダウ)。佛母()。佛語()。佛具()。佛供()。佛壇(ダン)。佛通(ツウ)。佛体(タイ)。佛牙()」の二十三語を収載するが、標記語「佛意」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月九日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

御法談之後常参拝仕之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「仏意」と記載し、訓みは文明四年本に「フツイ」、経覺筆本に「(フツ)イ」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「佛意」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「佛意」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

佛意(ブツイホトケ、コヽロ)[入・去] 。〔態藝門648八〕

とあって、標記語「佛意」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「佛意」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

佛意(ブツイ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「佛意」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』と易林本節用集』に標記語「佛意」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「佛意」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「佛意」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

佛意(ぶつい)冥慮(めうりよ)に背(そむ)佛意冥慮。冥ハ奥(おく)(ふかく)くして推はかられぬを云。冥慮とハ尊慮(そんりよ)賢慮(けんりよ)なといふこゝろなり。僧コなるゆへ冥の字を用ゆ。冥罰の冥の字と一義なるへし。言こゝろハ仏のこゝろにも師乃心にも背きたりと也。〔74オ八〜74ウ二〕

とあって、この標記語「佛意」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)き後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執行(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁〔54オ七〜ウ五〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)〔97ウ一〜98オ四〕

とあって、標記語「佛意」の語を収載し、その語注記は未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

But-i.ブツイ(佛意) Fotoqeno cocoro.(仏の意) 仏(fotoqe)の意図,意志,あるいは,心.〔邦訳68l〕

とあって、標記語「佛意」の語の意味は「Fotoqeno cocoro.(仏の意)仏(fotoqe)の意図,意志,あるいは,心」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「ぶつ-〔名〕【佛意】」の語は、未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ぶつ-仏意】〔名〕仏のこころ。仏の思召し。仏心。ぶっち」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
此條、定相叶神慮佛意歟《訓み下し》此ノ条、定メテ神慮仏意ニ相ヒ叶ハンカ。《『吾妻鏡』寿永三年二月二十日の条》
 
 
?(ソウゲキ)」は、ことばの溜池(2003.02.03)参照。
懈怠(ケダイ)」は、ことばの溜池(2003.05.22)参照。
 江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

懈怠(けだい)せ令(しむ)(でう)懈怠之条。懈怠ハ皆おこたると讀。給仕せさるをいえる也。〔74オ六・七〕

とあって、語注記に「懈怠は、皆おこたると讀む。給仕せざるをいえるなり」と記載する。

越度(ヲツド)」は、ことばの溜池(2003.06.16)参照。
 江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

越度(おつど)()(いた)越度之至。越度ハ法にたかひたる事也。〔74オ七・八〕

とあって、語注記に「越度は、法にたがひたる事なり」と記載する。

 
 
2004年04月16日(金)雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
相存(あいゾン・じ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「阿」部に、「相手(アイテ)。相姓(アイシヤウ)。相圖()。相白(シライ)」の四語を収載し、標記語「相存」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月九日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

御法談之後常参拝仕之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「相存」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「相存」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「相存」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「相存」の語は未収載にあり、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本には見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「相存」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「相存」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

相存(あいそん)候之処相存候之處此文段を返状の首段とせ考ふるに過し比この入道侍者の寺にて住持の説法を聞し時深く仏法に帰依して常に住持の許にありて仏道の奥義を探ん。事を誓し事あるなるへし。然るに事の障りありて其誓ひも虚言となりしゆへそれを詫たる也。言こゝろハ御説法を承りし後つね/\御側にありて仏道の事承らんと思ひたりしにと也。〔74オ三〜六〕

とあって、この標記語「相存」の語を収載し、語注記は、その意味内容について上記の如く言及記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)き後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執行(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁。▲言上ハ下より上へ對(たい)して物(もの)申すをいふ。〔54オ七〜ウ五〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲言上ハ下より上へ對(だい)して物(もの)申すをいふ。〔97ウ一〜98オ四〕

とあって、標記語「相存」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「相存」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』、そして、現代の『日本国語大辞典』第二版には、標記語「あい-ぞんじ相存】〔動〕」の語は未収載にする。因って、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
諸事可被行正道之由、所相存候也《訓み下し》諸事正道ヲ行ハルベキノ由、相ヒ存(ソン)候フ所ナリ。《『吾妻鏡』文治二年四月三十日の条》
 
 
2004年04月15日(木)曇り一時晴れ間。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
言上(ゴンジャウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「古」部に、

言上(ジヤウ) 。〔元亀二年本232三〕

言上(コンシヤウ) 。〔静嘉堂本266八〕

言上 。〔天正十七年本中62オ七〕

とあって、標記語「言上」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月九日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

御法談之後常之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、経覺筆本の古写本は、「言上」と記載し、山田俊雄藏本にはこの、「言上」の語は見えない。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「言上」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「言上」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

キンツゝシムデ)言上(ゴンジヤウ)[○。上・去](ツカマツル/)[上] 。〔津部・態藝門420六〕

言上(ゴンシヤウ・カミケン・イフ、ノボル・アカル)[平・上去] 。〔古部・態藝門674四〕

とあって、標記語「言上」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

言上(ゴンジヤウ) 。〔・言語進退門189八〕

言上(ゴンジヤウ) ―便(ヒン)。〔・言語門155四〕

言上(ゴンシヤウ) ―便。―語道断。〔・言語門145三〕

とあって、標記語「言上」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

言上(ゴンシヤウ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「言上」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「言上」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「言上」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「言上」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)参仕言上之旨。常とハ品行也。參仕ハ給仕するを言。言上とハすべて目上(めうへ)なる人に物申すをいふなり。〔74オ一〕

とあって、この標記語「言上」の語を収載し、語注記は、「言上とは、すべて目上(めうへ)なる人に物申すをいふなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)き後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執行(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁。▲言上ハ下より上へ對(たい)して物(もの)申すをいふ。〔54オ七〜ウ五〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲言上ハ下より上へ對(だい)して物(もの)申すをいふ。〔97ウ一〜98オ四〕

とあって、標記語「言上」の語を収載し、その語注記は、「言上ハ下より上へ對(たい)して物(もの)申すをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Gonjo<.ゴンジャウ(言上) Mo<xi aguru.(申し上ぐる)貴人に話すこと.例,Gonjo< tcucamatcuru,l,toguru.(言上仕る,または,遂ぐる).〔邦訳307r〕

とあって、標記語「言上」の語の意味は「(申し上ぐる)貴人に話すこと」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ごん-じゃう〔名〕【言上】上(かみ)に、申し上ぐること。宋史、顔師伯傳「詳考政最、以言上源平盛衰記、三十二、四宮御位事「軍士等の申状を以て、言上する計りなり」〔1551-5〕

とあって、標記語「ごん-じゃう〔名〕【言上】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ごん-じょう言上】〔名〕目上の人に述べること。申し上げること」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
但不申其實、爲御給搆、自他所招青女之由言上〈云云〉《訓み下し》但シ其ノ実ヲ申サズシテ、御給構ノ為ニ、他所ヨリ青女ヲ招クノ由言上スト〈云云〉。《『吾妻鏡』治承四年十一月十日の条》
 
 
2004年04月14日(水)晴れ一時午後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
參仕(サンシ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「左」部に、

參仕 。〔元亀二年本30四〕

參仕 。〔静嘉堂本30四〕

參仕 。〔天正十七年本上16オ四〕

とあって、標記語「參仕」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月九日の状に、

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

御法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

御法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

御法談之後常参拝之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

御法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

御法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「參仕」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「參仕」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「參仕」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

參仕(ハイデンヲガム、ヲクルヽ・トノ)[去・去] 。〔神祇門54一〕

とあって、標記語「參仕」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

參仕 。〔・天地門16八〕〔・人倫門15一〕

參仕 。〔・天地門15三〕〔・人倫門13三〕

とあって、標記語「參仕」の語を収載し、語注記に「」と記載する。また、易林本節用集』には、

參仕 。〔乾坤門14五〕

とあって、標記語「參仕」の語を収載し、語注記は「」と記載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「參仕」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「參仕」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

御法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「參仕」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)参仕言上之旨。常とハ示行也。參仕ハ給仕するを言。言上とハすべて目上(めうへ)なる人に物申すをいふなり。〔74オ二〜三〕

とあって、この標記語「參仕」の語を収載し、語注記は、「參仕は、給仕するを言ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)き後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執行(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)頭首(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/御法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁▲參仕ハまいりつかふまつると訓(くん)ず。給仕(きうじ)の義也。〔54オ七〜ウ五〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲參仕ハまゐりつかふまつると訓(くん)ず。給仕(きふじ)の義也。〔97ウ一〜98オ三〕

とあって、標記語「參仕」の語を収載し、その語注記は、「參仕は、まいりつかふまつると訓(くん)ず。給仕(きうじ)の義なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Faiden.サンシ(參仕) .〔邦訳l〕

とあって、標記語「參仕」の語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さん-〔名〕【參仕】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-參仕】〔名〕拝礼を行うために、神社の本殿の前方に設けられた社殿。拝の屋」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
《訓み下し》《『吾妻鏡』の条》
 
 
2004年04月13日(火)晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
法談(ホフダン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「保」部に、

法談(ダン) 。〔元亀二年本42四〕〔静嘉堂本46四〕

法談(タン) 。〔天正十七年本上24オ四〕

とあって、標記語「法談」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』九月九日の状に、

法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度之至背仏意冥慮改悔外無他候〔至徳三年本〕

法談之後常可令參仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之條越度之至背佛意冥慮改悔之外無他候〔宝徳三年本〕

法談之後常可令参仕言上之旨相存候之公私?劇令怠之条越度至背仏意冥慮改悔之外無他候〔建部傳内本〕

法談之後常参拝仕之旨相存公私?(ソウゲキ)之条越度之至背仏意冥慮改悔(ガイケ)之外無他候〔山田俊雄藏本〕

法談之後参仕(シ)言上之旨相候之公私?(ソウケキ)之条越度之至仏意()冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイ  )之外无〔経覺筆本〕

法談之後常参仕(シ)言上之旨相存候之公私?之条越度之至(ソムク)仏意(フツイ)冥慮(ミヤウリヨ)改悔(カイケ)之外無〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「法談」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「法談」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「法談」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

法談(ホフダンノリ、カタル)[入・平] 。〔態藝門102二〕

とあって、標記語「法談」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

法談(タン) 。〔・言語進退門35七〕 法談(ホウタン) 。〔・言語門38四〕

法文(モン) ―會()。―令(リヤウ)。―相(ホツサウ)。―用(ヨウ)。―家()。―華(ホツケ)。―門(モン)―談(タン)。―條(デウ)。―樂(ラク)。―務()。―式(シキ)。〔・言語門34六〕

法文(ホウモン) ―會。―令。―用。―家。―華。―門/―談。―條。―樂。―務。―式。―衣/―流。〔・言語門31七〕

とあって、弘治二年本両足院本に標記語「法談」の語を収載し、他本は、標記語「法文」の巻頭字「法」の熟語群として「法談」の語を記載する。また、易林本節用集』には、

法談(ホウタン) 。〔乾坤門14五〕

とあって、標記語「法談」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』、『運歩色葉集』、弘治二年本両足院本節用集』、易林本節用集』などに標記語「法談」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』九月九日の状には、

510御法談之後常参仕言上之旨相存候公私?之条越度之至佛意冥慮改悔之外無他候近日執行佛事大法会之事候奉リ∨(シヤウ)シ貴寺長老當日ノ/ニハ唱導 礼拝釈迦成道時拝ルコト知也。色界五那含天主浄居天来佛堂ルコト三度又御足スル也。佛ニハ三礼神ニハ再拝スル也。自此始也。〔謙堂文庫蔵四九左A〕

とあって、標記語「法談」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

法談(タン)之後常(ツネ)(サンシ)言上之旨(アイ)存候處公私()?(ソウゲキ)(ケタイ)条越度(ヲツト)之至(イタ)(ソムキ)佛意冥慮(ミヤウリヨウ)改悔(カイケ)之外無()(ソモ/\)近日執(トリ)佛事大法會候奉リ∨(ハイ)シ 御法談トテ經論讃嘆スルナリ。〔下27オ一〕

とあって、この標記語「法談」とし、語注記は、「御法談とて、經論を讃嘆するなり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

法談(ごほうたん)()(ゝち)法談之後。法談ハ仏道(ぶつたう)の事を講釈(かうしやく)するを云。談義(だんぎ)説法(せつほう)なとしいふにおなし。〔74オ一〕

とあって、この標記語「法談」の語を収載し、語注記は、「仏道(ぶつたう)の事を講釈(かうしやく)するを云ふ。談義(だんぎ)・説法(せつほう)などしいふにおなじ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

(ごほうだん)()(のち)(つね)參仕言上(さんしごんじやう)せ令()む可()き之()(むね)相存(あいぞん)ずる之()(ところ)公私(こうし)(そうげき)に依(より)て懈怠(けだい)せ令()むる之()(でう)越度(おちど)()(いた)り佛意(ぶつゐ)冥慮(ミやうりよ)に背(そむ)き後悔(こうくわい)()(ほか)()()く候(さふら)ふ。(そも/\)近日(きんじつ)佛事(ぶつじ)(たいほふゑ)を執行(とりおこな)ふ事(こと)に候(さふら)ふ奉リ∨貴寺(きじ)の長老(ちやうらう)を拝請(はいしやう)して當日(たうにち)の唱導(しやうだう)()に定(さだ)め申(もを)し度()(さふら)。侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんか)(ちやうしゆ)を召具(めしぐ)せら被()光臨(くハうりん)を許(ゆる)し候(さふら)ハ者()力者(りきしや)駕輿丁(がよてう)を進(しん)す可()く候(さふら)ふ/法談之後参仕言上之旨相存ズル之處公私?劇ムル懈怠之條越度之至佛意冥慮後悔之外無他候近日佛事大法會事候貴寺長老當日唱導師‖-せラ侍者聽叫請客頭首光臨ク∨ス∨力者加輿丁。▲法談ハ談義(だんぎ)説法(せつほふ)いづれも同じ。佛法(ぶつほふ)をときさとすをいふ。〔54オ七〜ウ五〕

御法談(ごほふだん)()(のち)(つね)(べき)(しむ)參仕言上(さんしごんじやう)()(むね)相存(あひぞん)ずる()(ところ)(より)て‖公私(こうし)?劇(そうげき)に|()むる‖懈怠(けだい)()(でう)越度(おちど)()(いた)(そむ)き‖佛意(ぶつい)冥慮(ミやうりよ)後悔(こうくわい)()(ほか)(なく)()(さふらふ)(そも/\)近日(きんじつ)執行(とりおこなふ)佛事(ぶつじ)大法會(だいほふえ)(こと)(さふらふ)(はい)(しやう)して貴寺(きじ)長老(ちやうらう)(さだめ)(まうし)當日(たうにち)唱導(しやうだう)()(たく)(さふらふ)()(めし)()せら侍者(じしや)聽叫(ちんけう)請客(しんかく)頭首(ちやうしゆ)(ゆる)し‖光臨(くハうりん)(さふら)()(べく)(しん)力者(りきしや)駕輿丁(かよちやう)(さふらふ)▲法談ハ談義(だんぎ)説法(せつほふ)いつれも同し。佛法(ぶつほふ)をときさとすをいふ。〔97ウ一〜98オ三〕

とあって、標記語「法談」の語を収載し、その語注記は、「談義(だんぎ)・説法(せつほふ)いづれも同じ。佛法(ぶつほふ)をときさとすをいふ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Fo>dan.ホフダン(法談) 教法の説教.§Fo>danuo suru.(法談をする)教法の説教をする.Apostolo tachiua govoqiteuo gofo>dan nasareta.(アポストロたちは御掟を御法談なされた)アポストロ(Apostolos 使徒)たちは,デウス(Deos 神)の掟について説教なさった.〔邦訳256r〕

とあって、標記語「法談」の語の意味は「教法の説教」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

ほふ-だん〔名〕【法談】法義の談話。殊に、一向宗にて、信徒に、其宗旨の趣意を説き聽かすること。淨土宗にて、談義と云ひ、日蓮宗にて、説法と云ふ、皆同じ。法話。易林本節用集(慶長)上、言辭門「法談、ホフダン」庭訓往來、九月「御法談之後、常可參仕言上之旨、云云」太平記、二、阿新殿事「この程常に法談なんどし給ひける僧來りて、葬禮形の如く取營み」〔1850-5〕

とあって、標記語「ほふ-だん〔名〕【法談】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ほう-だん法談】〔名〕(「説法談義」の意)仏語。仏法のことわりや要義を説ききかせること。また、その談話。説法。説教。談義」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
將軍家、御參壽福寺御佛事之後、於方丈、及法談〈云云〉《訓み下し》将軍家、寿福寺ニ御参リ。御仏事ノ後、方丈ニ於テ、法談(ホウダン)ニ及ブト〈云云〉。《『吾妻鏡』建暦元年七月十五日の条》
 
 
掲焉(ケツエン)」は、ことばの溜池(2001.02.27)を参照。
 頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
▲掲焉ハかゝぐともあぐるとも訓て明白なる義也。〔53ウ六、96ウ一〕
と訓読と意義とを注記記載する。
 
2004年04月12日(月)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学
大内記(ダイナイキ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「太」部に、

大内記(ナイキ) 唐名柱下(チウカ)内史。〔元亀二年本144一〕

大内記(ナイキ) 唐名柱下内史。〔静嘉堂本154七〕

とあって、標記語「大内記」の語を収載し、訓みを「(ダイ)ナイキ」とし、語注記は、「唐名、柱下(チウカ)内史」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

謹上 大内記殿〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本の古写本は、「謹上 大内記」と記載する。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「大内記」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「大内記」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

大内記(ナイキ) 唐名内史桂下。〔・官名門100二〕

とあって、弘治二年本にのみ標記語「大内記」の語を収載し、語注記に「唐名、内史桂下」と記載する。また、易林本節用集』には、

大内記(ダイナイキ) 。〔官位門〕

とあって、標記語「大内記」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、『運歩色葉集』、弘治二年本節用集』、易林本節用集』にそれぞれに標記語「大内記」の語が収載されていて、語注記としてこの官位に相当する「唐名」が『運歩色葉集』と弘治二年本節用集』に記載されていて、排列を逆にする他「柱下」と「桂下」の字形相似による異同が確認できる。古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語であるが、真字本『庭訓往来註』には、「唐名」の語注記はなされいない。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

509謹上大内記殿〔謙堂文庫蔵四九左@〕

とあって、標記語「大内記」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

謹上 (タイ)内記( イキ)殿(トノ)〔下26ウ八〕

とあって、この標記語「大内記」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

謹上 大内記(だいないき)殿謹上 大内記殿〔73ウ八〕

とあって、この標記語「大内記」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

謹上(きんじやう) 大内記(だいないき)殿(どの)謹上 大内記殿。▲大内記ハ相當(さうたう)正六位上近代(きんだい)五位とす。唐名(からな)ハ柱下起居郎(ちうかききよらう)といふ。〔54オ五〜オ六〕

謹上(きんじやう) 大内記(だいないき)殿(どの)▲大内記ハ相當(さうたう)正六位上近代(きんだい)五位とす。唐名(からな)ハ柱下起居郎(ちうかききよらう)といふ。〔97オ四〜五〕

とあって、標記語「大内記」の語を収載し、その語注記は、「大内記は、相當(さうたう)正六位の上近代(きんだい)五位とす。唐名(からな)は、柱下起居郎(ちうかききよらう)といふ」と記載され、ここでは「唐名」を「柱下起居郎(ちうかききよらう)」としている。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「大内記」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

だい-ない-〔名〕【大内記】ないき(内記)の條を見よ。類聚三代格、五、大同元年七月廿一日太政官符「令内記四人大内記二人」〔1185-2〕

とあって、標記語「だい-ない-〔名〕【大内記】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「だい-ない-大内記】〔名〕令制で、中務省に属して詔勅をつくり、御所の記録のことをつかさどった大、中、小内記六人のうち、上位二名の職名。正六位上相当官。だいだいき」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御使、安藝右近大夫重親文草、前大内記茂範朝臣、清書、嚴慧法印也《訓み下し》御使ハ、安芸ノ右近ノ大夫重親、文草ハ(祭文草)、前ノ大内記茂範朝臣、清書ハ、厳慧法印ナリ。《『吾妻鏡』建長六年四月四日の条》
 
 
2004年04月11日(日)雨のち曇り。イタリア(ローマ・自宅AP)→サレジアナ大学〔散歩〕
散位(サンミ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「佐」部に、「散乱(サンラン)。散藥(ヤク)。散田(テン)。散在(ザイ)。散用(ユウ)。散失(シツ)。散具(){静本:散供(クウ)}。散米(マイ)」の八語を収載し、標記語「散位」の語は未収載にあり、また、標記語「三位」の語で、

三位() 三品。〔元亀二年本277五〕

三位(サンミ) 三品。〔静嘉堂本316八〕

とあって、標記語「三位」の語を収載し、語注記は、「三品を曰ふ」と記載する。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

八月十三日  左衛門尉〔至徳三年本〕〔宝徳三年本〕〔建部傳内本〕〔山田俊雄藏本〕〔経覺筆本〕〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本、宝徳三年本、建部傳内本、文明四年本、山田俊雄藏本、経覺筆本といった古写本には、この箇所をすべて「左衛門尉」と記載し、「散位長谷部」は未記載になっている。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「散位」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、標記語「散位」の語は未収載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

三位() 。〔・官名門211一〕

とあって、弘治二年本に標記語「三位」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

散位 。〔官位門〕

とあって、標記語「散位」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「散位」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

508八月十三日  散位長谷部〔謙堂文庫蔵四九右H〕

とあって、ここで古写本とは異なる標記語「散位」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

八月十三日  左衛門尉。〔下26ウ七〕

とあって、この標記語「散位」の語は、未収載にし、古写本と同じく「左衛門尉」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)にも、           

八月十三日 左衛門(さへもん)の尉(ぜう)八月十三日  左衛門尉〔73ウ七〕

とあって、この標記語「散位」の語は、未収載にし、古写本と同じく「左衛門尉」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

八月(はちぐハつ)十三日(じふさんにち) 散位(さんゐ)長谷部(はせべ)八月十三日  散位長谷部。▲散位ハ位階(ゐかい)バかりにて官(くハん)なきをいふ。格別(かくべつ)の高貴(かうき)にても前官(ぜんくハん)の人ハやはり散位也。〔54オ四〜六〕

八月(はちぐハつ)十三日(じふさんにち) 散位(さんゐ)長谷部(はせべ)▲散位ハ位階(ゐかい)ばかりにて官(くわん)なきをいふ。格別(かくべつ)の高貴(かうき)にても前官(ぜんくわん)の人ハやはり散位なり。〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「散位」の語を収載し、その語注記は、「散位は、位階(ゐかい)ばかりにて官(くわん)なきをいふ。格別(かくべつ)の高貴(かうき)にても前官(ぜんくわん)の人は、やはり散位なり」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「散位」「三位」の語は未収載にする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「さん-〔名〕【散位】」の語は、未収載であり、ただ、

さん-〔名〕【三位】〔三は、脣内音にて、さむなれば、(三郎(さむらう))む、ゐ、ガ、連聲にて、みと約まる(陰陽師(おんやうし)、おんみゃうじ)(一)くらゐ(位)の條の(二)寺院の兒(ちご)の卿名(キヤウミヤウ)。後には、小僧の稱ともしたりとおぼし。昨日は今日の物語(寛永)「御兒樣、久久、郷里に御遊びなさるるが、法印樣より、御見舞として、三位に、御文持たせて遣はさるる」女夫草「三位も春の、雪まどひせり」看經も、怠りがちな、寺住に」(俚言集覧、三位)〔0854-1〕

とあって、標記語「さん-〔名〕【三位】」の語をもって収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「さん-三位】〔名〕(「さんい」の連声)@(―する)位階の第三位で、正(しょう)三位または従(じゅ)三位。また、その人。正三位、または従三位に任ぜられることもいう。A寺に所属している身分の低い法師の通称。多く稚児の後見役」とあり、標記語「散位」は見えず、因って『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍仰散位宗信、被下令旨《訓み下し》仍テ散位宗信ニ仰セ、令旨ヲ下サル。《『吾妻鏡』治承四年四月九日の条》
 
 
2004年04月10日(土)小雨曇り後晴れ。イタリア(ローマ・自宅AP)→ローマ市街
携帯電話の「5」ボタン機能せず故障、三度往復し同品と交換。午後から使用可能となる。残り寝室用の用品等購入。朝晩結構寒い日である。日中オーバコート・マフラーをした市民を見かける。キリスト復活祭の準備もあって街は活気づいている。
而已(のみ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「乃」部に、

而已(ノミ) 。〔元亀二年本186九〕〔静嘉堂本211一〕〔天正十七年本中35オ一〕

とあって、標記語「而已」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

マクノミ/而止反。〔黒川本・辞字門中94ウ一〕

マクノミ。〔巻第六・辞字門599六〕

とあって、標記語「耳」の語をもって、訓みを「まくのみ」として収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「而已」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、「乃」部には収載がなされていないが、

者敬(ケイ)而已(ノミナリ)矣孝經 。〔禮部・態藝門378五〕

とあって、名言句のなかに幾つかこの「而已」の語を収載している。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、標記語「而已」の語は未収載にする。また、易林本節用集』には、

而已 。〔言語門〕

とあって、標記語「而已」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「而已」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「而已」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掲焉(ケツエン)也耳目(ジボク)之所及不(イトマ)アラ‖禿筆(トクヒツ)ニ|只仰(アフク)高察(カウサツ)ヲ|(ノミ)。掲焉(ケツエン)トハ。アラタト云心也。掲焉(ケツエン)ト書イチジルシトヨムナリ。〔下26ウ五・六〕

とあって、この標記語「而已」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)而已(のミ)只仰高察ヲ|而已高察とハ御推量といふかことし。こゝに云こゝろハ耳に聞目に見及ひたる事つたなき手力にてつまひらかに書記(かきしる)す事ならねハよろしく推量して見わけられよとなり。〔73ウ四〜ウ六〕

とあって、この標記語「而已」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「而已」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Nomi.ノミ(のみ) 副詞.ただ…だけ.〔邦訳470r〕

とあって、標記語「而已」の語の意味は「副詞.ただ…だけ」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

のみ〔辭〕 第二類の天爾波。一ありて二なき意を示すもの。ばかり。「我のみ知る」善きをのみ取る」斯くのみあらば」漢籍讀には、文句の末に居て言切ることあり。而已名義抄「耳、ナラクノミ、マクノミ~代紀、上41「今理ムルニ此國唯吾一身(ヒトリ)而已(ノミ)允恭紀、八年二月「ササラ形、錦の紐ヲ、解キ開ケテ、アマタハ寐ズニ、唯一夜能未萬葉集、十一38「あちの往(住カ)む、渚沙(すさ)の入江の、荒磯松、我()をまつこらは、但一人(ひとり)(のみ)躬恒「秋立ちて、いつしかとのみ、まちしかど、あひてぬるよは、ただ一夜のみ拾玉集、五「ことしさへ、花より雪に、なりにけり、なにともなくて、山里にのみ」心を盡すのみ」此の如きのみ」〔1541-4〕

とあって、標記語「のみ〔辭〕【而已】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「のみ而已】[]〔副助〕体言・体言に準ずるもの・動詞連用形・副詞・格助詞などに下接する@ある事物を取り立てて限定する。強調表現を伴う。…だけ。…ばかり。A(@の限定の意味合いが薄れ、強調表現のために用いられたもの)ある事物や連用形修飾語の意味を強調する。[]〔終助〕強く言い切る漢文訓読で用いられる。[語誌](1)語源については、格助詞「の」に名詞「身」が付いたものとする説がある。(2)[]は上代から用いられていた副助詞で、@の挙例「万葉−一〇・二三〇二」のように文末に用いられる場合もあったが、それは「のみ」の下に助動詞「なり」などが想定でき、まだ終助詞とはいいがたい。(3)格助詞と重なる場合、上代では格助詞に上接する例の方が、下接するものより多いが、中古以後はその関係が反対になる。(4)[]は、漢文における文末助辞「耳」が限定・決定・強調に用いられ、日本語の副助詞「のみ」の用法に近いため、訓読文において文末の「耳」字を「のみ」と必ず訓じるようになり、意味も「限定」という論理性が薄れ、「強く言い切る」という情意性を表わすようになった用法。この用法はク語法、特に「まくのみ」「らくのみ」の形で用いられることが多いため、この形で固定し、「群書治要康元二年点−七」の「禽獣、此の声為ることを知るらく耳(ノミ)」のような、終止した文に下接すると思われる例まで現れる。ただし、このようなものは、近世の朱子新注学者によってその不合理が指摘され、「まく」「らく」が除かれて「活用語連体形+のみ」の形となり、近代の文語文へと受け継がれていく。〔古典語現代語助詞助動詞詳説〕。D中古以後は「ばかり」が限定を表わすようになり、「のみ」の領域は侵される。中世、近世の口語では「のみ」の用例は稀になるが、消滅することはなく、現代まで生き続けている」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
仍慣■郷之訓、強遁踰涯之任、何唯李次元之誇功勲也解印綬於文武之斑、祭征虜之守廉約之頌録賞於士卒之賜而已哉《訓み下し》仍テ■郷ノ訓ニ慣ラヒ、強メテ踰涯ノ任ヲ遁ガル、何ゾ唯李次元ガ功勲ニ誇ルヤ、印綬ヲ文武ノ班ニ解キ、蔡征虜ノ廉約ノヲ守ルヤ、録賞ヲ士卒ノ賜ニ頒ツ而已ナランヤ。《『吾妻鏡』延応元年八月十日の条》
 
 
2004年04月09日(金)曇り後雨。イタリア(ローマ・自宅AP入居)→地元警察→サレジアナ大学
外国人居住許可証の書類申請受理(08:30〜11:40)
サレジアナ大学図書館(マレガ・マリオ文庫)調査開始(12:30〜16:30)
ピッカー図書館長、ヘリバン教授を連れ来訪、歓談す。(14:00〜14:10)
高察(カウサツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、「高名(カウミヤウ)。高位()。高家()。高僧(ソウ)。高覧(ラン)。高座()。高直(チキ)。高野()。高天(カウテン)。高慢(マン)。高麗(ライ)。高祖()。高足(ソク)。高欄(ラン)。高声(ジヤウ)。高声()」の十六語を収載するが、標記語「高察」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「高察」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「高察」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

高察(カウサツタカシ、アラワス)[平・入] 。〔態藝門275四〕

とあって、標記語「高察」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

高察(カウサツ) 。〔・言語進退門86七〕

高名(カウミヤウ) ―聞(フン)。―覧(ラン)―察(サツ)。―声(シヤウ)。―直(ヂキ)。―運(ウン)。〔・言語門82五〕

高名(カウミヤウ) ―卑。―家/―下。―聞。―覧。―察/―声。―直。―運。〔・言語門74九〕

高名(カウミヤウ) ―聞。―覧。―察/―声。―直。―運。〔・言語門90一〕

とあって、弘治二年本が標記語「高察」の語を収載し、他本は標記語「高名」の巻頭字「高」の熟語群として「高察」の語を収載する。また、易林本節用集』には、

高察(カウサツ) 。〔言語門〕

とあって、標記語「高察」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「高察」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「高察」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掲焉(ケツエン)也耳目(ジボク)之所及不(イトマ)アラ‖禿筆(トクヒツ)ニ|只仰(アフク)高察(カウサツ)ヲ|(ノミ)。掲焉(ケツエン)トハ。アラタト云心也。掲焉(ケツエン)ト書イチジルシトヨムナリ。〔下26ウ五・六〕

とあって、この標記語「高察」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)只仰高察ヲ|而已高察とハ御推量といふかことし。こゝに云こゝろハ耳に聞目に見及ひたる事つたなき手力にてつまひらかに書記(かきしる)す事ならねハよろしく推量して見わけられよとなり。〔73ウ四〜ウ六〕

とあって、この標記語「高察」の語を収載し、語注記は、「高察とは、御推量といふがごとし。こゝに云ふこゝろは、耳に聞、目に見及びたる事つたなき手力にてつまびらかに書記(かきしる)す事ならねばよろしく推量して見わけられよとなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「高察」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Co<sat.カウサツ(高察) Tacai suirio<.(高い推量) 推察.貴人について言う.〔邦訳151l〕

とあって、標記語「高察」の語の意味は「(高い推量)推察.貴人について言う」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、標記語「かう-さつ〔名〕【高察】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かう-さつ高察】〔名〕すぐれた推察。また、他人を敬って、その人が推察することをいう語。お察し。賢察。*将門記(940頃か)「伏して高察を賜はば恩々幸々なり」*太平記(14C後)三九・光厳院禅定法皇行脚御事「一言未だ挙げざる先に三隅の高察(かうサツ)も候はん」*曾我物語(南北朝頃)四・鎌倉殿箱根御参詣の事「耳目の及ぶ所、こくちんにいとまあらず。かふさつ仰ぐのみにぞ覚えける」*日葡辞書(1603-04)「Co<sat(カウサツ)。タカイ スイリャウ<訳>推量。貴い人についていう」」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。但し、上記にも記載した『庭訓徃來』同様の文例である『曾我物語』の用例を(南北朝頃)として収載する。これは、如何せん。
[ことばの実際]
ややあつて、「聡明文思の四徳を集めて叡旨に懸け候へば、一言いまだ上げざる先に、三隅の
も候はんか。《『太平記』巻第三十九・光厳院禅定法皇行脚の御事》
 
 
2004年04月08日(木)曇り。イタリア(ローマ・自宅AP入居)→サレジアナ大学→地元警察
サレジアナ大学学長・図書館長訪問→(マレガ・マリオ文庫)利用手続き(11:00〜12:00)
外国人居住許可証の書類申請手続き(15:00〜18:00)
(いとま)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「伊」部に、

()(イトマアラ) 。〔元亀二年本12九〕

(アラス)(  マ) 。〔静嘉堂本5二〕

(アラス)(イトマ) 。〔天正十七年本上4ウ八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

()(イトマアラ) 假也。〔言辭門156四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記に「遑は、假なり」と記載する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ズフウ)[平・去](イトマアキヤラクワウ)[平] 。〔態藝門29八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みを「いとまあきやらず」とし、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

()(イトマアラ) 。〔・言語進退門14六〕

()(イトマ)アラ 。〔・言語門9五〕

()(イトマアラ) 毛挙――。〔・言語門7四〕

()(イトマアラ) 毛挙。〔・言語門9三〕

とあって、標記語「」の語を収載し、尭空本両足院本の語注記に「毛挙――」という用例を記載する。また、易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掲焉(ケツエン)也耳目(ジボク)之所(イトマ)アラ禿筆(トクヒツ)ニ|只仰(アフク)高察(カウサツ)ヲ|(ノミ)。掲焉(ケツエン)トハ。アラタト云心也。掲焉(ケツエン)ト書イチジルシトヨムナリ。〔下26ウ五・六〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

耳目(じもく)(およ)(ところ)禿筆(とくひつ)(いとま)ら不()耳目之所アラ禿筆ニ|。髪の毛の頂きを禿と云。禿筆とハ切れたる筆を云。前に鷹毫といふに同し。卑下乃詞也。〔73ウ三〜ウ四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

‡Itoma aqi.イトマアキ() →Quajo<ji;Tocufit.〔邦訳346r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「→Quajo<ji;Tocufit」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

いとま〔名〕【】〔暇(いと)の間()の義〕(一){事のなき時。閑暇(ひま)萬葉集、二十48「夜の伊刀末に、摘める芹これ」同、三20「滋賀の蜑は、藻刈鹽燒き、無暇(イトマナミ)、つげの小櫛を、取りも見なくに字鏡一「暇、伊止万」(二){官人の、時を定めて暇を請ふこと。休暇を申請すること。賜暇雄略紀、八年二月「高麗軍士一人、取レリ宇津保物語、忠杜21「いとま許させ給はぬを、強ひて申して、あからさまに罷出ぬ」(三){官人の、喪中に、暇を賜はりて引籠り居ること。忌引(きびき)すること。假()とも云ふ。服假宇津保物語、國讓、中12「御髪(みぐし)おろしたまひて、隱(かく)れたまひぬ、云云、かくて殿の公達、大殿(おとど)も、御いとまになりたまひぬれば、云云」){長く暇を請ふ意よりして、官人の、任を辭すること。辭職。致仕。奉公人の勤を止むるを、いとまを取ると云ふ。宇津保物語樓上、下55「おほやけの事を物せず侍らむとて、院にいとま申し侍りしを」(五)罷り去ること。別れて往ぬること。平家物語、七、忠度都落事「さらば暇(いとま)申してとて、馬に打乘り、云云」(暇(いとま)(ごひ)すの敬語)「おいとま致します」(六)妻を離縁すること。「いとまを遣()る」〔0195-4〕

とあって、標記語「いとま-〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「いとま】〔名〕いとまあらず 時間的、精神的余裕がない。多く、「…に暇あらず」の形で、対象があまりに多くて、…している時間がないほどである、または、…に時間をとられて他の事をしている余裕がないの意で用いる」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
供養事終、被引御布施先錦被物三重、内〈一重赤地〉駿河守廣綱一重、〈青地、已上自仙洞被下之〉皇后宮權少進又一重、〈紫地帥卿進〉安房判官代等取之此外、()(イトマ)甄録《訓み下し》供養ノ事終ツテ、御布施ヲ引カル。先ヅ錦ノ被物三重、内〈一重ハ赤地。〉駿河ノ守広綱一重、〈青地、已上仙洞ヨリ之ヲ下サル。〉皇后宮権少進又一重、〈紫地帥ノ卿進ズ〉安房ノ判官代等之ヲ取ル。此ノ外、甄録スルニ(イトマ)アラズ。《『吾妻鏡』文治五年六月九日の条》
 
 
2004年04月07日(水)晴れ後曇り。イタリア(ローマ・ホテル泊)→銀行(JTB窓口)
滞在に必要な書類文書類の作成
禿筆(トクヒツ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「止」部に、

禿筆(トクヒツ) 。〔元亀二年本58三〕〔静嘉堂本66二〕〔天正十七年本上34オ一〕

とあって、標記語「禿筆」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「禿筆」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「禿筆」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、唯一『運歩色葉集』に標記語「禿筆」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「禿筆」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掲焉(ケツエン)也耳目(ジボク)之所及不(イトマ)アラ‖禿筆(トクヒツ)ニ|只仰(アフク)高察(カウサツ)ヲ|(ノミ)。掲焉(ケツエン)トハ。アラタト云心也。掲焉(ケツエン)ト書イチジルシトヨムナリ。〔下26ウ五・六〕

とあって、この標記語「禿筆」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

耳目(じもく)(およ)(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()耳目之所及不アラ‖禿筆ニ|。髪の毛の頂きを禿と云。禿筆とハ切れたる筆を云。前に腐毫といふに同し。卑下乃詞也。〔73ウ三〜ウ四〕

とあって、この標記語「禿筆」の語を収載し、語注記は、「髪の毛の頂きを禿と云ふ。禿筆とは、切れたる筆を云ふ。前に腐毫といふに同じ。卑下の詞なり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言▲禿筆ハちびふでと訓て卑下(ひげ)の詞(ことば)也。腐毫(ふがう)などいふと同じ。〔53オ八・53ウ六〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)▲禿筆ハちびふでと訓て卑下(ひげ)の詞(ことバ)也。腐毫(ふがう)などいふと同(おな)じ。〔95ウ五〜96ウ一〕

とあって、標記語「禿筆」の語を収載し、その語注記は、「禿筆は、「ちびふで」と訓みて卑下(ひげ)の詞(ことば)なり。腐毫(ふがう)などいふと同じ」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Tocufit.トクヒツ(禿筆) Chibifude.(禿び筆) すでに粗末になり,すり切れた穂先のついているペン〔筆〕.§Tocufitni atauazu.(禿筆に能はず)書くことができない,あるいは,ペン〔筆〕が先へ進むことができない.§Tocufitni itoma aqi arazu.(禿筆に遑あらず)同上.〔邦訳654r〕

とあって、標記語「禿筆」の語の意味は「すでに粗末になり,すり切れた穂先のついているペン〔筆〕」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

とく-ひつ〔名〕【禿筆】(一)先のすりきれたる筆。ちびふで。きれふで。ふるふで。敗筆。禿毫。杜甫詩戲拈禿筆???(タチマチ)見麒麟來壁歐陽元圭、敗筆詩「秋拈禿筆、曾爲雲烟墨松釋惠洪詩「禿筆時」(二)己れの用ゐる筆の謙稱。庭訓往來、八月「不遑禿筆」〔1399-2〕

とあって、標記語「とく-ひつ〔名〕【禿筆】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「とく-ひつ禿筆】〔名〕@使いふるされて、穂先がすり切れた筆。A転じて、自分の文章や文字を謙遜していう語」とあって、『大言海』ともども『庭訓徃來』のこの語用例をAの用例として記載する。
[ことばの実際]
清氏、河内国に居たれども、その旧好を慕ひて尋ね来る人も稀なり。ただ禿筆に譬へられし霸陵の旧将軍に異ならず。《『太平記』巻第三十七・持明院の新帝江州より還幸の事》
 
 
2004年04月06日(火)晴れ後曇り。イタリア(ローマ・ホテル泊)→ヴァチカン宮殿広場見学観光日
耳目(ジモク)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「耳順(ジユン)六十歳」の一語を収載するのみで、標記語「耳目」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「耳目」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「耳目」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(ヲドロカスケイ)[平]耳目(ジボクミヽ、メ)[上・入] 。〔態藝門976六〕

耳目(シホク)(ナス)(ウレイ)口舌(コウぜツ)(ナス)(ワザワイ)(カルガユヘ)君子(クンシ)(モツ)(ツヽシム)()(ムネ)(モツ)(ヲソルヽ)()(モン)養生。〔態藝門976六〕

とあって、標記語「耳目」の語を慣用句及び名言句として収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』・易林本節用集』には、標記語「耳目」の語は未収載にする。

また、易林本節用集』には、

耳目(ジボク) 。〔言語門〕

とあって、標記語「耳目」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、広本節用集』及び易林本節用集』に標記語「耳目」の語が収載され、訓みを「ジボク」として、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「耳目」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

掲焉(ケツエン)耳目(ジボク)之所及不(イトマ)アラ‖禿筆(トクヒツ)ニ|只仰(アフク)高察(カウサツ)ヲ|(ノミ)。掲焉(ケツエン)トハ。アラタト云心也。掲焉(ケツエン)ト書イチジルシトヨムナリ。〔下26ウ五・六〕

とあって、この標記語「耳目」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

耳目(じもく)(およ)(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()耳目之所及不アラ‖禿筆ニ|。髪の毛の頂きを禿かと云。禿筆とハ切れたる筆を云。前に腐毫といふに同し。卑下の詞也。〔73ウ三〜ウ四〕

とあって、この標記語「耳目」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「耳目」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iibocu.ジボク(耳目) Mimi,me.(耳,目)耳と目と.例,Fito mina jibocuuo vodorocasu.(人皆耳目を驚かす)皆が驚嘆する,または,驚嘆した.※Feiqe,P96.〔邦訳359r〕

とあって、標記語「耳目」の語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

-もく〔名〕【耳目】みみと、めと。聞くと、見ると。書經冏命篇「爾無、充耳目之官史記、張耳傳「趙人多耳(張耳)餘(陳餘)耳目」同、魏其武安侯傳「武安吏、皆爲耳目源平盛衰記、九、山門堂塔事「玄奘三藏、云云、一十七年を經巡りけるに、耳目、見聞、三百六十箇國」「世の耳目を驚かす」〔0957-1〕

とあって、標記語「-もく〔名〕【耳目】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「-ぼく耳目】〔名〕@「じもく(耳目)@」に同じ。A「じもく(耳目)B」に同じ」と標記語「-もく耳目】〔名〕@耳と目。A聞くことと見ること。見聞。B(耳、目となって)人を補佐すること。また、その人」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
彼上人雖可參訴關東、行程隔遠路之條、武衛、爲二品御耳目、在京之間、如此〈云云〉《訓み下し》彼ノ上人関東ニ参ジ訴フベシト雖モ、行程遠路ヲ隔ツルノ条。武衛、二品ノ御耳目(ジボク)トシテ、在京スルノ間、此ノ如シト〈云云〉。《『吾妻鏡』文治三年正月十九日の条》
神感(しんかん)のおこるを嚴重(げんでう)にして、掲焉(けちゑん)も莫大(ばくだひ)なり。耳目(じぼく)のおよぶ所(ところ)、こくちんにいとまあらず。高察(かふさつ)あふぐのみにぞおぼえける。《『曾我物語』》※この箇所、『庭訓往來』に依拠する処であり、「禿筆」の語を「こくちん」と置換しているが、真名本『曾我物語』には見えず、流布本にあって後から増補入されたものである。
 
 
2004年04月05日(月)晴れ後曇り。(フェレンツェ・ホテル泊)→イタリア(テルミニ駅・ホテル泊)
移動日(ローマ・スペイン広場を散策)
(まこと)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「滿」部に、

(マコト)()()()。〔元亀二年本211一〕

(マコト)。/○/(マコト)()()()。〔静嘉堂本240五、七〕

(マコト)()()()()。〔天正十七年本中49ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

マコト/神質反。(せイ) 云成(シン)良固……勅命已上實也〔黒川本・人事門中91オB〕

マコト/―信也。〔巻第六・人事門568C〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(マコト/シン)[平](同/ジチ)[入](同/チン)[平](同/チン)[平](同/シン・ノブ)[去](同/せイ)[平](同/コウ・イヤシ)[○] 。〔態藝門587一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

(マコト)(同)(同)(同)(同)。〔・言語進退門170四〕

(マコト) 信。実。マレナリ/寔シヨク。〔・言語門140五〕

(マコト) 信。實/。寔。〔・言語門129八〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。また、易林本節用集』には、

。〔言語門〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

如在(サイ)之儀(ギ)神感(カン)之興(ケウ)嚴重(ケンテウ)之態(ワザ)(マコトニ)_如在(ジヨサイ)ト云ハ。物ニヨリテ違(タカウ)ベシ如在トハ。マシマス如クトヨメリ。論語ニ云ク。祭神(サイジン)ニハ。如在神ト云リ。凡(ヲヨソ)神ハ宜々トテ。主ナシ。明家ノ様ニ人思ヘリ。古ハ此神立殿ヲ作リ住給シ時ウヤウヤシクサ申ス計(ハカリ)モナシ其時ノヲハシマせシ様ニせヨトテ如在ノ儀トハ云也。此神ハ内ニ御座(マシマ)スヨト打恐(ウチヲソ)ルヽ心ヲ如在ト申也。今時ハ疎(ソリヤク)ヲスルヲ如在ト云僻事(ヒガコト)ナリ。此詞(コト)ハ神ニ付テノ詞ナリ。〔下26ウ二〜五〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(けつゑん)掲焉。掲焉とハ形容の詞也。詩経(しきやう)に葭?(かたん)掲々(けつ/\)たりしといふ事あり。注に掲々ハ長(ちやう)也といえり。葭(はたかき)?(はたあし)なとののひ/\として盛んなるをいえるなり。掲焉といふも是と一義にて~感厳重のりゝしく盛んなるを形容したるなり。こゝにて御参詣の振舞ハ説(とき)(おハ)りたり。〔73オ八〜ウ二〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Macoto.マコト(実) 真実.〔邦訳377l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「真実」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

まこと-〔副〕【實・眞・】僞り無く。ほんたうに。實()に。實(じつ)に。孟子、公孫丑、上篇「孟子曰、子齊人也、知管仲晏子而已矣陶潜、歸去來辭「知來者之可一レ追、塗、其未遠」韓愈雜説、四「天下無馬、嗚呼其馬邪、其馬也」~代紀、上20「是時、保食~(マコトニ)已死矣」〔1887-1〕

とあって、標記語「まこと〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「まこと【真・実・・信】[]〔名〕(ことば、事柄などの意を表わす「こと(言・事)」に、接頭語「ま(真)」の付いたもの)@うそや偽りでないこと。本当であること。本物であること。真実。真理。事実。本質。A人に対して誠実で欺かないこと。偽りのない心。まごころ。真情。誠意。B文学や芸術に現れる真情、真実味。真実の感動。[]〔副〕間違いなくその状態であることを強調する語。じつに。本当に。実際。[]〔感動〕話題を転じるときや、話の途中でひょいと思い当たったことを言い出したりする時、念を押す気持を込めて用いる語。ほんにまあ。たしかそう。そうそう。まことに。[方言][]@相手の言ったことに対して同意したり、感心したりする意を表わす語。本当に。なるほど。そのとおり。A本当に。実に。全く。たいそう。Bあまり。あまりに。[]〔形動〕正直、律儀なさま。[]〔感動〕忘れていたことを急に思い出したり、話題を転じたりする時に発する語。ああそうそう。それはそうと」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
是希代未聞竒瑞也者武衛令聞之給、則御湯殿下庭上、遥拜彼社方給彌催御欽仰之〈云云〉《訓み下し》是レ希代未聞ノ奇瑞ナリ、テイレバ、武衛之ヲ聞カシメ給ヒ、則チ御湯殿ヨリ庭上ニ下リテ、遥ニ彼社ノ方ヲ拝ミ給フ。弥御欽仰ノ(マコト)ヲ催スト〈云云〉。《『吾妻鏡』寿永三年正月二十三日の条》
 
 
厳重(ゲンヂウ)」は、ことばの溜池(2001.07.10)参照。
 江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

嚴重(げんぢう)()(わざ)厳重之態其さまいかにも重(おも)/\敷て人の尊敬(そんけう)するをいふ。〔73オ七〜八〕

(ワザ)」は、ことばの溜池「態」(2003.12.29)参照。
 
2004年04月04日(日)晴れ。(フェレンツェ・ホテル泊)街並見学
レオナルド・ダヴィンチの絵画とその経緯、ミケランジェロとのエピソード
「金(クシキノ)」の流通する橋見学
(ケウ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「氣」部に、

。〔元亀二年本30四〕

。〔静嘉堂本30四〕

。〔天正十七年本上16オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

ケウス。〔黒川本・辞字門中98オB〕〔巻第七・辞字門13六〕

とあって、標記語「」の語を収載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

(モヨヲシ/サイキヨウヲ)ジヨウス)ニ[平・○・平去・○] 。〔態藝門832八〕

とあって、標記語「」の語単独では見えず、四字熟語として「催興乘興」のなかに「「」の語」を収載し、語注記は未記載にする。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「」の語は未収載にする。また、『伊京集』には、此の語を収載する。

 このように、上記当代の古辞書においては、三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』、広本節用集』と『伊京集』などに標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

如在(サイ)之儀(ギ)神感(カン)(ケウ)嚴重(ケンテウ)之態(ワザ)(マコトニ)_如在(ジヨサイ)ト云ハ。物ニヨリテ違(タカウ)ベシ如在トハ。マシマス如クトヨメリ。論語ニ云ク。祭神(サイジン)ニハ。如在神ト云リ。凡(ヲヨソ)神ハ宜々トテ。主ナシ。明家ノ様ニ人思ヘリ。古ハ此神立殿ヲ作リ住給シ時ウヤウヤシクサ申ス計(ハカリ)モナシ其時ノヲハシマせシ様ニせヨトテ如在ノ儀トハ云也。此神ハ内ニ御座(マシマ)スヨト打恐(ウチヲソ)ルヽ心ヲ如在ト申也。今時ハ疎(ソリヤク)ヲスルヲ如在ト云僻事(ヒガコト)ナリ。此詞(コト)ハ神ニ付テノ詞ナリ。〔下26ウ二〜五〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

~感(しんかん)()(きやう)~感之神の感恋し玉ふを云。〔73オ七〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、未記載にする。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Qeo>.l,qio>.ケゥ.または,キョゥ() 愉快,興味,など.例,Qeo>uo moyouosu.(興を催す)おもしろさや愉快さをそそる.§Quangue~no qeo>ni jozuru.(管弦の興に乗ずる)音楽のおもしろさや興趣にうっとりとなる.§Qeo>uo samasu.(興を覚ます)おもしろさや興趣をしらけさせる.§Qeo> samegauoni naru.(興醒め顔になる)外面・表情が,味気ない,つまらなそうな,あるいは,あっけにとられた様子になる.§Qeo>gatta cotouo yu<.(興がつた事を言ふ)突飛なことを言う.§Qeo>garimono.l,qeo>gatta fito.(興がり者.または,興がつた人)風変わりで突飛な人.※jo>zuruの誤り.→Qio>(興).〔邦訳487r〕

‡Qio>.キョゥ() →Io>ji,uru;Qeo>(興);Zaqio>.〔邦訳500r〕

とあって、標記語「」の語の意味は「」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

けう(キヨウ)〔名〕【】〔興の字の音は、キョウなるを、平假名文には、多く、けうと書けり、清(きよ)らをけうらと書く類なるべし〕興(キヨウ)に同じ。其條を見よ。〔0602-2〕

きょう〔名〕【】〔古き假名文に、多くは、けうと記せり〕遊びの面白み。遊戲の樂しさ。、王徽之傳「本乘而來、盡而反、何必見安道宇津保物語、初秋、上1「左大將殿へや參でまし、それは、内内はまさりて、けうは多からむ」同9鳥を射る所「中らぬものゆゑ、鳥起ちなば、醒めなむ」同、吹上、上1「けうある、をかしからむ野邊に、小鷹入れて見ばや」〔0499-1〕

とあって、標記語「きょう-〔名〕【】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「きょう】〔名〕@おもしろいこと。たのしいこと。おもしろみ。おもむき。ふぜい。興味。興趣。Aその場だけのたわむれ。一時の遊び。座興。即興。B詩経の六義(りくぎ)の一つ。中国、古代の詩の一形式で、ある事物に感じて自分の感興を述べたもの。ある事物から、それに関連して自然に呼び起こされた自分の心情をよんだもの。和歌に当てはめて用いられることもあった」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
々々(邦道)者、洛陽放遊客也有因縁、盛長依舉申、候武衛而求事之次、向兼隆之舘、酒宴郢曲之際、兼隆入《訓み下し》邦通ハ、洛陽放遊ノ客ナリ。因縁有リテ、盛長挙シ申スニ依テ、武衛ニ候ズ。而ルニ事ノ次ヲ求メ、兼隆ガ館ニ向ヒテ、酒宴郢曲スルノ際、兼隆ニ入ル。《『吾妻鏡』治承四年八月四日の条》
 
 
2004年04月03日(土)晴れ。(ミラノ・ホテル泊)
携帯電話〔SIEMENS〕購入と使用手続き(10:00〜12:00)
~感(シンカン)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「志」部に、「神明(シンメイ)。神慮(リヨ)。神託(タク)。神妙(ベウ)。神職(シヨク)。神罰(バツ)。神躰(タイ)。神裁(サイ)。神道(ダウ)。神輿()。神幸(カウ)。神人(ニン)。神璽()三種神器之一也/王符之手形也。神農(ノウ)三皇之内。神通(ジンツウ)。神水(ズイ)。神変(ベン)。神社(ジヤ)。神馬()。神領(リヤウ)。神鈴(シンレイ)。神秘()。神呪(シユ)。神宮(グウ)。神祇()。神儀()。神寳(ボウ)。神供()。神家()。神符()。神動(トウ)」の三十一語を収載するが、標記語「~感」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「~感」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))・広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)・印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』・易林本節用集』には、標記語「~感」の語は未収載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「~感」の語は未収載にあって、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。古辞書では、近世の『書言字考節用集』に「~感」〔第三冊神祇・シ27六〕とあるのが最初の収載となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「~感」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

如在(サイ)之儀(ギ)神感(カン)之興(ケウ)嚴重(ケンテウ)之態(ワザ)(マコトニ)_如在(ジヨサイ)ト云ハ。物ニヨリテ違(タカウ)ベシ如在トハ。マシマス如クトヨメリ。論語ニ云ク。祭神(サイジン)ニハ。如在神ト云リ。凡(ヲヨソ)神ハ宜々トテ。主ナシ。明家ノ様ニ人思ヘリ。古ハ此神立殿ヲ作リ住給シ時ウヤウヤシクサ申ス計(ハカリ)モナシ其時ノヲハシマせシ様ニせヨトテ如在ノ儀トハ云也。此神ハ内ニ御座(マシマ)スヨト打恐(ウチヲソ)ルヽ心ヲ如在ト申也。今時ハ疎(ソリヤク)ヲスルヲ如在ト云僻事(ヒガコト)ナリ。此詞(コト)ハ神ニ付テノ詞ナリ。〔下26ウ二〜五〕

とあって、この標記語「~感」とし、語注記は、未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

~感(しんかん)()(きやう)~感之興神の感恋し玉ふを云。〔73オ七〕

とあって、この標記語「~感」の語を収載し、語注記は、「神の感、恋し玉ふを云ふ」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言〔53オ八〜ウ四〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)〔95ウ五〜96オ四〕

とあって、標記語「~感」の語を収載し、その語注記は、未記載にする。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、標記語「~感」の語は未収載にある。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

しん-かん〔名〕【~感】~の感じたまふこと。感通すること。古文孝經應感章、疏~感至誠、而降福佑古今著聞集、四、文學、江匡房「~感の餘りに、天~、御詠吟有けるにこそ」〔0937-3〕

とあって、標記語「しん-かん〔名〕【~感】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「しん-かん~感】〔名〕神が感応すること。また、その霊示」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
朝光同參候已殿内奉遷、好方、唱宮人曲頗有~感之瑞相〈云云〉《訓み下し》朝光同ク参候ス。已ニ殿内ニ遷シ奉リ(送リ)、好方、宮人ノ曲ヲ唱フ。頗ル神感(カン)ノ瑞相有リト〈云云〉。《『吾妻鏡』建久二年十一月二十一日の条》
 
 
2004年04月02日(金)曇り後晴れ。イタリア(ローマ・ホテル泊)→(ミラノ・ホテル泊)
サレジアナ大学(書籍荷物預け)→テルミニ駅(12:30)→ミラノ駅(17:00着、移動)
如在(ヂヨサイ)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「丹」部に、「如来。如法。如意/如意」の四語を収載し、標記語「如在」の語は未収載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末賽礼奠如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、標記語「如在」の語は未収載にする。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、

如在(ジヨサイ) 二字即尊敬(ソンケイ)之義ナリ也 然ルニ日本之俗書状スト如在 大正理也 論語祭(マツル)コトクス在(  マス)ルニクスト在(  マス)云々 可。〔言辭門154四〕

とあって、標記語「如在」の語を収載し、語注記には「此の二字即ち、尊敬(ソンケイ)の義なり。然るに日本の俗書状に云ふ「如在を存ぜず」と大いに正理を失すなり。『論語』に曰く、「祭(マツル)こと在ますが如く神を祭るに神の在ますが如くす」と云々、之れを思ふべきなり」する。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

如在(シヨサイゴトシ、アル)[平・上去] 此二字尊敬(ソン  )義也。然ルヲ日本世俗書?云不如在正理者也。論語曰祭(  リ)ニハクス在(  マス)神如之也。〔態藝門973五〕

とあって、標記語「如在」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承していて、「此の二字は即ち、尊(ソン)敬の義なり。然るを日本の世俗書状に云ふ「如在を存ぜず」と。大いに正理を失なふなり。『論語』に曰く、「祭(  リ)には在ますが如く神を祭るに神の在ますが如くす」。之れを思ふべく云ふなり」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本節用集』には、

如在(ジヨサイ) 此二字即尊敬(ソンキヤウ)之義日本云不如在正理。〔・言語進退門248八〕

如在(ジヨサイ) 此二字即尊敬之義也。然日本俗状云不存――大失正理也。侖吾云祭―祭神如云云可思之。〔・言語門211七〕

如在(シヨサイ) 此字即尊敬之義日本俗状云不存――大失正理也侖吾云祭―祭神如云  々可。〔・言語門195七〕

とあって、標記語「如在」の語を収載し、語注記は『下學集』を継承していて、多少省略して異なるが「此の二字即ち、尊敬の義なり。日本の俗状に云ふ「如在を存ぜず」と大いに正理を失すなり。『論語』に云く、「祭こと在ますが如く神を祭るに神の在ますが如くす」と云々、之れを思ふべし」と記載する。そのなかでも弘治二年本は、後半部の典拠である『論語』の引用を省略して記載している。また、易林本節用集』には、

如在 。〔言辞門〕

とあって、標記語「如在」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「如在」の語が収載されているなかで、なぜか『運歩色葉集』だけが此の語を未収載としていることに気づく。て、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

507致ス‖如在之儀ヲ|~感(カン)之興(ケウ)厳重之態(ワサ)_以掲焉(カツエン/イチシルシ){アラタト云意也}耳目之所及不禿筆(トク)ニ|只仰高察而已恐々謹言〔謙堂文庫蔵四九右E〕

とあって、標記語「如在」の語を収載し、語注記は未記載にする。

 古版庭訓徃来註』では、

如在(サイ)之儀(ギ)神感(カン)之興(ケウ)嚴重(ケンテウ)之態(ワザ)(マコトニ)_如在(ジヨサイ)ト云ハ。物ニヨリテ違(タカウ)ベシ如在トハ。マシマス如クトヨメリ。論語ニ云ク。祭神(サイジン)ニハ。如在神ト云リ。凡(ヲヨソ)神ハ宜々トテ。主ナシ。明家ノ様ニ人思ヘリ。古ハ此神立殿ヲ作リ住給シ時ウヤウヤシクサ申ス計(ハカリ)モナシ其時ノヲハシマせシ様ニせヨトテ如在ノ儀トハ云也。此神ハ内ニ御座(マシマ)スヨト打恐(ウチヲソ)ルヽ心ヲ如在ト申也。今時ハ疎(ソリヤク)ヲスルヲ如在ト云僻事(ヒガコト)ナリ。此詞(コト)ハ神ニ付テノ詞ナリ。〔下26ウ二〜五〕

とあって、この標記語「如在」とし、語注記は、「如在(ジヨサイ)と云ふは、物によりて違(タカウ)べし。如在とは、まします如くとよめり。論語に云く、祭神(サイジン)には、如在神と云へり。凡(ヲヨソ)神は、宜々とて、主なし。明家の様に人思へり。古は、此神立殿を作り住給し時うやうやしくさ申す計(ハカリ)もなし。其の時のをはしませし様にせよとて如在の儀とは云ふなり。此の神は、内に御座(マシマ)すよと打恐(ウチヲソ)るる心を如在と申すなり。今時は、疎(ソリヤク)をするを如在と云ひ僻事(ヒガコト)なり。此の詞(コト)は、神に付ての詞なり」と記載する。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、

如在(ぢよざい)之儀を致すス‖如在之儀ヲ|。神楽乃拍子といひ賽礼の侍物といひ神のこゝに出現してましますかことく思ハるゝとなり。如在の字ハ論語に出たり。神を祭る事神のいますか如くすといえる。詞によりて書しなり。〔73オ五〜オ七〕

とあって、この標記語「如在」の語を収載し、語注記は、「如在の字は、『論語』に出でたり。神を祭る事、神のいますが如くすといえる。詞によりて書きしなり」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)へ賽礼(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言▲如在とハ誠心(まごゝろ)を以て祭(まつ)るの義也。論語(ろんご)に祭(まつり)(ごとくす)(いますが)(まつること)~(かミを)(ごとくす)~(かミ)(いますが)とあるより出(いで)たる詞(ことば)〔53オ八〜ウ五・六〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)▲如在とハ誠心(まごゝろ)を以て祭(まつ)るの義(ぎ)也。論語(ろんご)に祭(まつること)(ごとくす)(いますが)(まつること)~(かミを)(ごとくす)~(かミ)(いますが)とあるより出(いで)たる詞(ことバ)〔95ウ五・96オ五〜七〕

とあって、標記語「如在」の語を収載し、その語注記は、「如在とは、誠心(まごゝろ)を以て祭(まつ)るの義(ぎ)なり。『論語(ろんご)』に「祭(まつること)(ごとくす)(いますが)(まつること)~(かミを)(ごとくす)~(かミ)(いますが)」とあるより出(いで)たる詞(ことバ)」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

Iosai.ジョサイ(如在) 人をそれぞれの階級と才能に応じて尊重し,または,心に留めること.文書語.ただし,話し言葉では,反対の意味に取られる.例,Iosaini xenu,l,vomouanu.(如在にせぬ,または,思はぬ)おろそかには思わない,あるいは,それ相応に尊重することをおろそかにはしない.§Iosaimo gozaranu.(如在もござらぬ)それ相応の礼儀を欠くとか,おろそかにするとかいうことはない.→次条.〔邦訳369r〕

†Iosai.ジョサイ(如在) 失策,手落ち,あるいは,不注意.→Iozai.〔邦訳369r〕

†Iozai.l,josai.ジョザイ.または,ジョサイ(如在) 失策,あるいは,手落ち.〔邦訳370l〕

とあって、標記語「如在」の語の意味は「人をそれぞれの階級と才能に応じて尊重し,または,心に留めること.文書語.ただし,話し言葉では,反対の意味に取られる」→「失策,手落ち,あるいは,不注意」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

じよ-さい〔名〕【如在】〔~、在すが如しの意にて、怠らぬ心、如在なしと云ふ語、出來たるは、みな(無く)になる、不慮(の外に)に人を傷くの類〕(一)~を祭るに、~の在すが如く、敬ひ謹みて、すること。論語、八?篇「祭、祭~如~在貞永式目如在禮奠」(二)轉じて、懈怠、或は、疎略の意。武野獨談、廿九「天下の民の宗旨は、八宗、十宗、一樣ならず、然れども、諸宗に如在せずして、立置くやうにして、諸の衆生を餘さば導するが如き、云云」岩淵夜話、別集、三、酒井金三郎、原吉丸に、草履を取て、はかす「金三郎、云云、昔の主の子に、如在をせぬは、奇特なる心ばせなり」丹波與作(寶永、近松作)上「夫の事、我子の事、母に如在が有るものか」(三)慥かなる意に云ふ。但馬地方にて「金を預けても、あの人ならば、如在ない」(四)意の義。足利時代の文書に「決して如在を存ぜず候」〔1013-4〕

とあって、標記語「じよ-さい〔名〕【如在】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「じよ-さい如在】〔名〕[一](「論語−八?」の「、祭~如~在」による語)神・主君などが眼前にいるかのように、つつしみかしこむこと。また、そのような態度で、ことをとり行なうこと。にょざい。[二]あるがままにすること。丁寧にしないこと。下に否定の語を伴って用いることが多い。@(形動)(―する)気をつかわずにことをすること。形ばかりで、いい加減にことをすること。なおざりにすること。また、そのさま。疎略。等閑。不作法。ぞんざい。A(形動)手落ちがあること。手抜かりがあること。また、そのさま。抜かり。抜け目。欠陥。Bなおざりにする気持があること。疎略に扱う気。悪意。悪気」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
方今無事〈仁〉遂參洛〈天〉防朝敵〈天〉世務〈遠〉如元、一院〈仁〉奉任〈天〉禹王〈乃〉慈愍〈遠〉令訪神事〈遠〉如在〈仁〉奉崇〈天〉正法〈乃〉遺風〈遠〉令繼〈牟〉《訓み下し》方ニ今無事(無為無事)ニ、参洛ヲシ遂ゲテ、朝敵ヲ防ギテ、世務ヲ元ノ如ク、一院ニ任ジ奉リテ、禹王ノ慈愍ヲ、訪ネシメ、神事ヲ如在(ヂヨサイ)ニ崇メ奉リテ、正法ノ遺風ヲ継ガシム。《『吾妻鏡』養和二年二月八日の条》
如在之禮奠莫(ナカレ)怠慢《『御成敗式目』(1232年)一条》
 
 
 
 
「礼奠(レイテン)」ことばの溜池(2000.09.08)参照。
 
2004年04月01日(木)曇り。31日→イタリア(ローマ・ホテル泊)→サルジアナ大学
ご挨拶(09:00〜11:30)→住居アパートの斡旋とその確認に出向く
(かへりまうし)」
 室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(1548年)の「賀」部に、

(カヘリマウシス) 。〔元亀二年本106四〕〔静嘉堂本133六〕〔天正十七年本上65ウ一〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは、「かへりまうしす」とし、語注記は未記載にする。
 古写本『庭訓徃來』八月十三日の状に、

加之臨時倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末礼奠致如在之儀~感之興厳重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔至徳三年本〕

加之臨時倍從當座~樂朝倉返詠物調拍子本末礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目之所及不遑禿筆只仰高察而已謹言〔宝徳三年本〕

加之臨時之倍従當座~樂朝倉返詠物調拍子本末礼奠致如在之儀~感之興嚴重態誠以掲焉也耳目所及不遑禿筆只仰高察而已恐々謹言〔建部傳内本〕

加之(シカノミナラス)臨時陪従(バイジフ)當座~樂朝倉返シノ(ウタヒ)物調(ソロヘ)拍子本末(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感之興厳重態誠掲焉(カツエン)也耳目之所及不アラ禿(トク)只仰高察而已(ノミ)恐々謹言〔山田俊雄藏本〕

(シカノミ)(ナラズ)臨時倍従當座~樂朝(アサ)倉返(カヘシ)詠物(ウタイモノ)調(ソロヘ)拍子(モト)(カヘリモウシ)礼奠如在之儀~感之興厳(ケン)重之態誠(マコトニ)掲焉(ケツエン)也耳目(シホク)之所及不禿筆只仰高察而已謹言〔経覺筆本〕

加之(シカノミナス)臨時之陪従(ベイシヨウ)當座(ザ)~樂(カクラ)朝倉返(アサクラカヘシ)詠物(ウタイモノ)調拍子(ヒヤウシ)本末(ホンマツ)(カヘリマウシ)礼奠(レイテン)如在之儀~感(カン)之興(ケウ)厳重(ワサ)掲焉(ケチエン)也耳目(シモク)(ノ)所及不遑(イトマ)禿筆(トクヒツ)只仰ク/キ高察而已(マクノミ)謹言〔文明四年本〕

と見え、至徳三年本と建部傳内本とは、読み点を一切加えていないのに対し、文明四年本、山田俊雄藏本と経覺筆本は、読み点を施して記載している。

 古辞書では、鎌倉時代の三卷本色葉字類抄』(1177-81年)と十巻本伊呂波字類抄』には、

(サイ)カヘリマウシ。〔黒川本・辞字門上86ウE〕

カヘリマウシス 。〔巻第三・辞字門264四〕

とあって、標記語「」の語を収載する。訓みは、「かへりまうし」「かへりまうしす」と記載する。
 室町時代の古写本『下學集』(1444年成立・元和本(1617年))には、標記語「」の語は未収載にする。次に広本節用集』(1476(文明六)年頃成立)には、

返申(カヘシマウス、ヘンシン)[上・平] 。〔態藝門289六〕

とあって、標記語「返申」の語をもって収載し、訓みは「かへしまうす」と記載する。印度本系統の弘治二年本永祿二年本尭空本両足院本節用集』には、

(カヘリマウシス) 。〔・言語進退門82八〕〔・言語門85六〕〔・言語門77五〕〔・言語門93五〕

とあって、標記語「」の語を収載し、訓みは、「かへりまうしす」と記載する。語注記は未記載にする。

 このように、上記当代の古辞書においては、標記語「」の語が収載されていて、古写本『庭訓徃來』及び、下記真字本に見えている語となっている。

 さて、真字本『庭訓往来註』八月十三日の状には、

506調ヘ‖拍子本末(カヘリモウシ)ス礼奠ニ|拝義也。神申亊御聞有也礼奠スル也。神供也。七夕乞巧奠供具云也。又備星疋(ヒコホシ)ノ云。礼記曰、釈奠学鄭氏註曰、釈幤云々。又幤帛以祭ヲ曰礼奠(テン)ト|。是質素祭也。文集曰、悟真寺戯奠无。言精進之腥物也。〔謙堂文庫蔵四九右C〕

とあって、標記語「」の語を収載し、語注記は、「賽は、拝を奉ずる義なり。神の申す亊御聞くに有るなりと云ひて礼奠するなり」と記載する。

 古版庭訓徃来註』では、

(カヘリマウシ)ト云事ハ。先規(キ)ヨリ有様一ツモ不(タガヘ)ト云心ナリ。〔下26オ八〜ウ一〕

とあって、この標記語「」とし、語注記は未記載にする。時代は降って、江戸時代の庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、           

(さいれい)の奠。賽ハかえりもふしともむくふとも讀。神の徳に報ひ奉るを云也。奠ハ物をそなふる事なり。〔73オ三〜オ四〕

とあって、この標記語「」の語を収載し、語注記は、「賽は、かえりもふしとも、むくふとも讀む」と記載する。これを頭書訓読庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、

加之(しかのミならず)臨時(りんじ)の陪從(べいしゆう)當座(たうざ)の~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)の詠物(うたひもの)拍子(ひやうし)乃本末(ほんまつ)を調(とゝの)(さいれい)の奠(まつり)如在(ぢよざい)之儀を致す~感(しんかん)()(きやう)嚴重(げんじゆう)()(わざ)(まこと)に以(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(およ)ぶ所(ところ)禿筆(とくひつ)に遑(いとまあ)ら不()(たゞ)高察(こうさつ)を仰(あふ)ぐ而已(のミ)謹言(きんけん)--當座~樂朝倉返調ヘ‖拍子本末ヲ|ス‖如在之儀ヲ|~感之興厳重之態_掲焉耳目之所アラ‖禿筆ニ|只仰グ‖高察ヲ|而已謹言▲賽ハ神(かミ)に立願(りふぐハん)して報謝(ほうしや)するをいふ。カヘリマヲシと訓ず。〔53オ八〜ウ五〕

加之(しかのミならす)臨時(りんじ)()倍従(へいしゆう)當座(たうざ)~樂(かぐら)朝倉返(あさくらがへし)詠物(うたひもの)調(とゝのへ)拍子(ひやうし)本末(ほんまつ)を|(さい)(れい)(まつり)(いたす)如在(ぢよざい)()()を|~感(しんかん)()(きやう)厳重(げんぢう)()(わざ)(まことに)(もつて)掲焉(けちえん)(なり)耳目(じもく)()(ところ)(およふ)()(いとまあら)禿筆(とくひつ)に|(たゞ)(あふぐ)高察(かうさつ)を|而已(のミ)謹言(きんけん)▲賽ハ神(かミ)に立願(りふぐわん)して報謝(はうしや)するをいふ。カヘリマヲシと訓ず。〔96オ六〕

とあって、標記語「」の語を収載し、その語注記は、「賽は、神(かミ)に立願(りふぐわん)して報謝(はうしや)するをいふ。「カヘリマヲシ」と訓ず」と記載する。
 当代の『日葡辞書』(1603-04年成立)に、

†Cayerimo<xi.カヘリマウシ(返申・) かけた誓いを履行すること〔願ほどき〕.文書語.〔邦訳115l〕

とあって、標記語「」の語の意味は「かけた誓いを履行すること〔願ほどき〕」とする。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、

かへり-まうし〔名〕【還申】(一)使命を奏聞すること。(かへりごと(返言)の條の(一)を見よ)復奏江家次第、十五、踐祚大甞會「天皇還廻立殿(クワイリフデン)之後、采女進申云、阿佐米主水(もひとり)、夕暁(ゆふあかつき)の御膳(おもの)、平かに供奉(そなへたてまつり)つと申」(これを、采女還申(かへりまうし)の奏と云ふ)續古今集、九、離別「長奉送使(チヤウブソウシ)にて罷りくだりて、かへりまうしの暁」(二){~に祈願して、報謝すること。おれいまゐり。報賽名義抄「賽、カヘリマウシ」宇津保物語、藤原君25「よろづの~たちに、かへりまうしの幣帛(みてぐら)奉らむとて、河原に出でたまひて」年中行事歌合(貞治)月次祭「夏の暮れ、年の終りの、月毎のかへりまうしの、~の幣帛(みてぐら)」〔0412-1〕

とあって、標記語「かへり-まうし〔名〕【還申】」の語を収載する。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「かへり-まうし【返申】〔名〕@使者が帰って来て、その返事や報告をすること。また、その報告や返事。復命。かえりごともうし。A(「かえりもうじ」とも)神仏へお礼参りをすること。報賽(ほうさい)。願ほどき。かえりもうで。B神前、仏前から立ち去るときに別れの礼拝をすること。また、その礼拝」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
[ことばの実際]
御参鶴岡八幡宮。都鄙御往還無為御報云云《訓み下し》鶴岡八幡宮ニ御参リ。都鄙ノ御往還、無為ニシテ御報ト云云。《『吾妻鏡建久六年七月十二日の条》
 
 
 

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