2004.06.13更新
日本文化と文字「大」について
萩原 義雄
2004年6月6日(日)18:00〜20:00イタリア・ローマの若者にお話した時の概要資料
1,京都「大文字の送り火」※京都の人は、決して「大文字焼(だいもんじやき)」とは云いません。
『都名所圖會(ミやこめいしよづゑ)』〔三・65ウ図絵〕
毎年(
まいねん)
七月十六日の夕暮(
ゆふくれ)
大文字(
たいもじ)
の送(
をく)
り火ハ銀閣寺(
ぎんかくし)
の後山(
こうさん)
如意カ嶽(
によい だけ)
に有。むかし此麓(
ふもと)
に浄土寺(
じやうどじ)
といふ天台(
てんだい)
の伽藍(
がらん)
あり。本尊(
ほんぞん)
阿弥陀仏(
あミだぶつ)
ハ一とせ回録(
くわいろく)
の時此峯(
ミね)
に飛(
とび)
去り光明(
くハうミやう)
を放(
はな)
ち給ふ。これを慕(
した)
ふて本尊(
ほんぞん)
を元(
もと)
の地(
ち)
へ安置(
あんち)
し夫(
それ)
より盂蘭盆会(
うらぼんゑ)
に光明(
くハうミやう)
のかたちを作(
つく)
り火(
ひ)
をともしける。其後(
そのゝち)
弘法大師(
こうばうだいし)
大文字(
たいもし)
にあらため給ふ。星霜(
せいそう)
累(
かさな)
りて文字(
もんじ)
の跡(
あと)
も壓(
うづもれ)
しかハ東山(
ひがし)
殿相國(
しやうこく)
寺の横川(
くハせん)
和尚に命(
めい)
ぜられ元(
もと)
のことく作(
つく)
らしめ給ふ。大の字初畫(
しよくハく)
の一点(
てん)
長さ九十二間ありといふ。冬(
ふゆ)
の日雪(
ゆき)
の旦(
あした)
も此文字(
もんじ)
跡(
あと)
に雪(
ゆき)
つもりて洛陽(
らくやう)
の眺(
ながめ)
となる。これを雪(
ゆき)
の大文字(
だいもし)
とぞいひ侍る。
《補遺》江戸時代後期公家記録にみる「大文字火」の記事
○母君以下各下屋敷へ行向、東山大文字見物、一献催、殊明月也。〔『愛長卿記』天保十 三年七月十六日の條〕
○浄土寺山頭大文字最赫々、當北有法字次有妙字。<中略>當西北有帆掛舩極壯觀尊卑 群聚。〔『百一録』延寳五年七月十六日の條〕
○申剋爲送火見物行向轉法輪家、同道上屋敷行向見火、又見月及深更歸。〔『伊季卿記』 延寳九年七月十六日の條〕
○己剋斗行向河濱別莊、終日山野遠望、入夜大文字、妙法送火等一覽了及戊剋還了。 〔『内前公記』寳暦七年七月十六日の條〕
2,人文字で「大」
戦国三河の侍「鳥居強右衛門」の磔旗
MM364『英(はなぶさ)画(ゑ)口合(くちあハせ)俄(にハか)』初編・二代一九重一作、一冊。
16 くさつてもたゐ すわつても大(だい)
荒男(あらおとこ)大(だい)の字(じ)成(なり)にはらつて居(いる)處(ところ)へ友達(ともたち)來(きた)り此(この)暑(あつ)ひのに内(うち)で何(なに)して居(い)るのじや。男√兄貴(あにき)の處(とこ)の母者(はゝじや)か身(ミ)を大字(たいじ)にせいといわれるによつて大(だい)の字(じ)して居(いる)のじや。いつそ此侭(このまゝ)て江戸へ行(ゆか)ふと思(をも)ふ。是(これ)がひざ頭(がしら)て江戸行(ゆき)じや。友達√その形(な)りて行(ゆく)つもりか。男√牧方(ひらかた)でも此通(このとを)り伏見(ふしミ)でも大(だい)。大津でも大(だい)。草津(くさつ)ても大(だい)。〔画口合八ウ〕
ヨーロッパにもあった人文字「大」
会場の若者からイタリアの1ユーロ硬貨の裏図絵は、レオナルド・ダヴィンチの「大」の図が同じですと提言が御座いました。
3,「天」の文字を離合すると「一」「大」となる
『小野篁哥字盡』『弘法大師離合哥』→室町時代の古辞書『下學集』の序文にも見えています。
天(てん)は一(もつぱら)大(おほき)なり。
天地のこと〔陰陽(いんよう) 太陽と月 男と女〕。
《補遺》読本MM272『三七全傳南柯夢(なんかのゆめ)』(曲亭馬琴著、葛飾北斎畫。全七冊)○一人(いちにん)がいふやう。いかにわが神力(しんりき)を見たりや。縦(たとひ)領主(れうしゆ)。この國中(こくちう)の人を竭(つく)して来(き)たるとも何程(ほど)の事をしいだすべき。ほこらかに聞(きこ)ゆれハ。一人答て。いな/\。さハいひそ。もし知(し)れるものありて。蟇目(ひきめ)して足下(そこ)を蟄(すごも)らせ。その根(ね)に鹿尾菜(ひじき)の烹汁(にしる)を沃(そゝ)ぎかけ。しかして後(のち)斧(おの)を入(い)れなバ。今の廣言(くわうげん)もかひなからんといふに。はじめの一人。いたく驚(おどろけ)る声音(こハね)にて。やよみわすぎ。忌(いむ)電ハいわぬものぞ。事のその期(ご)に及(およバ)んにハ。天(てん)なり。命(めい)なり。もし縁故(ことのもと)をしりて。われを斫(きる)ものあらバ。終(つひ)にハ活(いけ)ミころしミ思ひしらせてんといふを。一人聞(きゝ)もあへす。呵々(かや/\)と冷咲(あざわら)ひ。しうねき電をいふものかな。ミづから天命(てんめい)なりとしらハ。怨(うらミ)ずとも止(やミ)ねかしと回答(いらへ)て。その後(のち)ハ音(おと)もせず。半六これを聞(きゝ)て思ふやう。三輪山(みわやま)の神木(しんぼく)に。千載(ちとせ)経(ふ)る杉(すぎ)ありとハ。世(よ)の人のしる所(ところ)にして。今みわすぎと呼(よび)うけしハ。三輪(ミわ)の杉(すぎ)にて。彼処(かしこ)の木精(こだま)。この楠(くすのき)が殃(わざハひ)せらるゝを訪(とへ)るなるべし。〔巻之一・深山路の楠15オ@〜J〕
4,弘法大師空海と文字
日本真言密教の開祖である弘法大師といえば、古く江戸時代まで「いろはうた」の製作者と伝えられて来ました。ですが、「いろはうた」は空海の作ではなかったのです。実の作者は未詳です。『金光明最勝王經音義』〔現在、大東急記念文庫所蔵〕のなかに七行七文字で表記された資料に見られます。
いろはにほへと
ちりぬるをわか
よたれそつねな
らむうゐのおく
やまけふこえて
あさきゆめみし
ゑひもせす
終了後、中庭で記念撮影。
サレジオ大学大学院生
浦田慎二郎さん通訳に依る